生きる
愛虹ことり魚
14.01.20 20:13
もう生きていたくない人がいて、死を選んで、本当に死んでしまった人がたくさんいるということ…
残されたその周りの人たちも、傷ついている
長い間苦しむのでしょう…
生きていたくないのではなくて、そこまで追いつめられてしまった人
生きる希望が、全く見えなくなってしまった人
精神的に深くまで追いつめられてしまうと、死ぬことを考えてしまうようにもなってしまう…
そこだけにしか道が見いだせなくなってしまう…道とは言わないのかな…
どこかで、光が見えますように…
わずかでも見えますように…
自分ではどうしようもなくなってしまった時には特に、友だち、家族、仲間、先生…誰かが、本当の自分を見ていてくれるといいのかなって思います
それは誰でもいい、ひとりでいいから…
本当の自分を見ていてくれる人は、その時に必要な気持ちをくれるから、その気持ちが光になる
生きる希望につながるのだと思います
いつも元気にしていたあの人がなぜ?
…それは本当の姿ではなかったということです
心の中は元気ではなかった、辛いのを必死にこらえて、ずっとずっとがんばっていたのでしょう
学年とか年齢とかで、区切れるものではないような気がします
その人の個性もあるし、人生もあるから…
たとえば、学校からしたら、自分たちのせいではないというし、家族からしたら学校のせいだと思う…誰のせいなのかの押しつけあいみたいな…
苦しんだ本人からしたら、いろいろあると思う…そして、誰も助けてはくれなかった…
あなたを救ってあげることができなかった…
追いつめられてしまった人が、やっぱりそれでも、もう一度生きることを選んだきっかけや、出逢いというのがあって、それは、自分で見つけることができる場合もあるし、誰かが不意に救ってくれることもある
自分ではもうだめだと思い込んでいたけれど、実は他の道があったりする
自分が追いつめられているなって思ったら、動くのがいいのかなって思いました
動くというのは、生きるためにどうにかしようとすることです
人というのは、心のどこかには、生きていたい…という気持ちがあるのではないのかな
人は生き物で、生き物というのは、生きるために生まれてきたのだから、本当の本当の気持ちというのは、生きていたいのではないのかな
人の世はいろいろだから、ある場合には対応しきれなくて、生きるのが辛すぎて、未来も暗くて見えなくて、見たくなくて、もう考えたくなくて、周りも狭まってしまって…追いつめられてしまうのではないのかな
生きるために、どうしたらいいのかなって、考えてみたり、聞いてみたり、行動してみたりすることで、どこかでどこかに光が見えてはこないかな
でもそこまで追いつめられてしまった人は、自分ではどうしようもなくなっているのでしょう…
助けを求めている時はまだいいけれど、助けを求めるのに疲れてしまって、あきらめてしまって、動けなくなってしまって…そして、誰にも気づかれない…
そこまでいってしまうまでのどこかで、何かの救いがあれば、生きていられるのかな…生きていられたのかな…
人が死ぬことは悲しい…
人が自ら死を選んでしまうことは、悔しくて、悲しいことです…
自ら死を選んでしまった御霊へ
今は、どうぞ安らかにお眠りください…
たったひとつの大切な命のために
