「人と違うこと」を受け入れられる世の中
月姫
14.07.31 13:43
16歳の少女の、今回の行動に至るまでについて
何方かも書かれていましたが、とても好奇心旺盛な子だったのでしょうね。
報道などで伝え聞く、彼女の興味や関心には
多分、小さな頃から、周りの同じ年頃の子や、
大人でさえ、「何でそれが面白いのか?」理解されないジレンマが絶えず在ったのだと思います。
周りが彼女を理解できないから、ちょっと遠ざける
と、同時に、彼女の側にも、どうせあの人達は自分の言う事を理解しようとしてくれないと、周りに期待すること、関心を持つことを止めてしまう
才能があり、頭の良い子だっただけに、確固たる「自分の世界」を創り上げ、その中で、自我を守る事で、生きて来たのかもしれないですね。
彼女にとっての、そういう全ての理解者であり、盾であったのが母親で、母親が、母親さえ、自分の事を理解してくれれば、分ってくれれば、他の人間の存在など、どうでもよかったのかもしれない...。
自分の存在の全てを肯定してくれている「母親」という唯一の人間を失って、彼女はむしろ「人の死」について、考えてしまったのではないでしょうか?
「なぜ人は死ぬの?なぜお母さんは死んでしまったの?」と。
亡くなったお母さんの姿を見ながら、身体に触れながら「人の死」というものを考えたことが、彼女の欲求に繋がってしまったのかもしれないと、考えることは出来ないでしょうか?
「怨みはなかった」という少女の言葉どおり、加害少女にとって身近に、母親のように自分を理解しようとしてくれる者の存在に気がついて
彼女ならお母さんと同じように理解してくれる、自分の考えや行動を理解し、受け入れてくれると、思ってしまったことが悲劇だったのではないでしょうか?
報道で、少女の供述として伝えられる「人を殺したいと思った殺したかった」というショッキングな言葉も、
現段階では、周りの大人や人間に対して「説明しても分ってもらえない」という心情が見え隠れした「型どおり」の表現のようにも感じられます。
事件に至るまで、なぜそうしたいと考えたのか、2人で、どんなことを話したのか、どんな時間を過ごしたのか、なぜ、そうせずに止める事が出来なかったのか・・・
亡くなられたお子さん自身や、ご両親のためにも、そして加害者となった少女の為にも、心を開いて深い部分まで、引き出して、双方への救いの道を見出して欲しいと願います。
現代社会は、大人の世界も、子どもの世界も、自分と考えることの違う人間、自分の理解の出来ないことを言う人間は、疎んじて排除する、傾向にあるといわれます
福祉や、今頻繁に起きている、幼児虐待などにも関連して、互いに「人と違うこと」を受け入れながら、他人と関わっていくこと、人それぞれに、違う、成長の度合いや、理解の度合いを「待つこと」の出来る余裕が、社会全体に求められている
報道で、留学を考えていた・・・というお話も伺いましたが
こうなってしまう前に、彼女という個性を受け入れ、導いてくれる世界と出会えていたら...
沢山の人生の方向性が、もしかしたら変わっていたのかもしれないと思うと、残念でなりません。
