本来人は残酷性を持ち合わした生き物…かも…
千
14.07.31 23:00
「残酷」と一言にいうと「とてつもなく悪いこと」として嫌悪感をあらわにされる方が多いかもしれませんが、私は、この地球上で生きる動物として「残酷である」ということは、ある意味、生きることに必要として全てに備わる性質のひとつだと思っています。そして、そんな「残酷の善悪」ということをどの位置(どのライン)で分けるかが、個人(または社会)の道徳性によって大きく異なってくることなのだとも思います。「残酷なんてありえない」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、子供のころなんかを思い出してみると…「確かに今思えば残酷なことをしてたなぁ」というようなかたちで、昆虫などを捕まえては死に至らしめてしまっていた経験や記憶などがよみがえる方も多いのではないでしょうか。また、命あるものを殺生して食していること自体、ある意味十分残酷なことだとも思いますし…。だけど、ひと昔前なら、そういったことの理解を前提に「食べる」という当たり前の行動のなかでも「命をいただく(食す)ということはどういうことなのか」とか、また、昆虫や草花などに触れて遊ぶなかで「小さな生き物であっても同じ一つの命を宿し生きる存在であり、むやみに殺生してはならない」ということなどが、そんな何気ない日常のなかで、何気なく様々に様々なひとから諭されていたりして………、本当に、何気ない日常のなかの体験に基づきながら、単に「言葉」だけではなく身を持った「経験」として、道徳感(心)が養われていて…「命の尊厳」や「事の善悪」「価値基準」…そして「自然の摂理(命の循環)」「感謝」など…を心身の全てで覚えてきたと思うのです。だけど、今の時代は、日常の時に、心の成長過程として見つめたり向き合ったりする必要性のある「闇」となる部分にも、間違った蓋(過剰な防御?)がされてしまったような……、妙に「きれいごと(光)」だけで子供たちの表面を固めることが「良し」とされるような風習(環境)が根付いてきたりしているっようにも感じて……、健全な成長過程で生まれてくる様々な心の闇も見えない(または、あえて見ない)まま、対処されないまま(または、対処の方向性や対処の方法を学ぶ機会がないまま)に放置となっていて………、だけども、一方では日々、異常感じる様々な報道や、インターネットの普及などにより危険極まりない世界などの闇は無防備にさらされているという、変な矛盾が広がっていて…………、本当に、大人である私たちでさえも、ふと、何が正しくて何が間違っているのか判らなくなるような混沌に混乱の今の時代に、未熟で純粋な子供の心が侵されていかないわけがないと思うのです。なので、今回の…、確かに理解しがたい異常性の訴えのなかで引き起こされた悲惨な、本当に言葉にもできないくらいにショックな事件ではありますが……、だけども本当に「他人事」ということで、その個人だけを、単に「病気」とか「異常」ということで責めて終わらせていていい問題でも時代でもないと、危機的に感じるのです。本当に…、大人たちも、連日、信じがたい訴えでの様々な凶悪な事件や事象を引き起こすような世の中です。だから…、本当に心して…、「心の深い闇は誰にでも突如発生する可能性があるもの」でることを自覚しながら…、特に、良し悪しの判断もまだまだ未熟で、価値感や興味も様々な方向へと流れやすい…不安定で…ある意味純粋に柔軟な子供たちの心(情緒)を、真にどう守り、どう育むかを、今一度、真剣に見直す必要性があると、危機的に強く感じました。
