MIND BBS 〜掲示板〜

心の声

愛虹ことり魚

16.03.15 23:27

心のケアが必要な人は、たくさんいて
そばにいる人も、離れていても
たくさんの人が、傷ついてしまっているから

治すことのないままの心
完全には治らないままの心

自分のことに気がついていなくて
ある時に、気がついたとしても、あとまわしになってしまう

なんか気になるけれど、これくらいはだいじょうぶ
たぶん、だいじょうぶ

忙がしすぎて、心を亡くす
何かを忘れてる
見えなくなってる

そんなに、悪くなってたの?なんて
もっとはやく、何とかしていればよかったな、なんて

だいじょうぶが、だいじょうぶでは、ないときがあります
心と身体
人は繊細なので、大事にしてあげないとです

無理は禁物です
自分の中の声も、聞いてあげないとです
悲鳴が、聞こえてきませんか?
痛いところは、ありませんか?
痛みは、サインです
少しの痛みのうちに、治すことがいちばんいいのです

どうか、自分自身のことを、忘れないでいてくださいね
自分自身を、助けてあげてくださいね
自分自身を愛することを、忘れないでくださいね

そんなに、がんばりすぎなくても、じゅうぶんにがんばっているのだから、そのままでも、じゅうぶんなのだと思うのです

だから、安らぎの時間が、もてるといいのかもです
安らぐことができて、素直になれて、そんなひとときがあれば、それがいいと思います

お祈りいたします。

浅野洋子

16.03.14 23:21

石井さんと大谷さん「東日本大震災 犠牲者追悼・被災地復興祈願法要」お疲れ様です。
午後2時46分の時は、仕事をしてました。次の日は、祖父と祖母の法事で休みを取ってあったので積めて仕事をしてたら気が付いた時には忘れていました。
東日本大震災の翌日が、長野県での震災も忘れないように、大勢の犠牲者の方にご冥福をお祈りいたします。

想いと祈りを。

ジャッコ

16.03.14 00:08

あの日から5年。私も3月11日に空へと手を合わせ、鎮魂の祈りを。被災地(北茨城も)や東北と、各地で避難生活を余儀なくされている皆様の、見える復旧・復興と心の復興を祈らせて頂きました。
祈り心寄り添う事の他に何かを…と。未だ遠征も難しく、支援・特産品購入等しか出来ていませんが、引き続き、MfM基金へ微力ですが御協力させて頂きながら、後世へ繋がるものも考えていきたいと思います。
……そして、石井さんと「まほろば塾」等に参加された方々が、心待ちにされていた東北の皆様と心の交流、心温まる一時を共に過ごされた事と思います。(訪れた先々でも。)東北で色々なイベントが増えていきます様に…。

この所、天候・温度差が激しいですね。多忙と様々な想いが募る時季、皆様も心身お大事になさって下さいね……。その中で、春の気配を感じる出来事もありました…また改めて書かせて頂きますね。

追伸・・・数ヶ月前から、長年使っていた機器からMfMのBBSへ投稿すると届いていない事があり、今はケータイから投稿しています。ケータイ・サイトの方は文字数が決まっており、私は文章を纏めるのが下手で、端折り過ぎて解り難くなる事が多々あると思いますが…今後とも宜しくお願い致します。

5年という歳月

宮城県在住

16.03.13 23:59

今日、実家の家族との会話で、震災時の話になりました。
それぞれが、あの日をどう過ごしていたか、家族の誰かと初めて連絡がとれた時の思い、どんな食事をとっていたか、近くのスーパーが開いて、行列に並んで、いつもの値段では買えなかったけど、初めて買い物が出来た日の感動、ガソリンを給油できた時の有り難さ、初めてお風呂に入れた日、水道から水が出た日、電気がついた日の感動、震災翌日の朝、県北に住む伯父が、何時間もかけて駆けつけてくれた姿を見つけた時の感動。
全国各地の県外ナンバーのパトカー、自衛隊、その他災害支援の車両が行き交う光景を見る度に感じた有り難さ…

あの頃は、本当に有り難いことばかりで、出しっぱなしの水がもったいなくて、もっと大事に使おうとか、当たり前に感じていたものへの感謝だらけでした。
でも、5年経った現在、果たしてどうなのかと…
まだ5年しか経っていないのに、あの頃の思いはずいぶんと薄れているよね…人間てそんなものかなぁ…。そんな話をしました。
確かに、忘れられるから救われていることもあるのですが。こうして、3.11が来る度に思い出していきたいなと考える機会になりました。

いちご~

Y

16.03.13 22:43

祈り、考えるのは11日だけではないものの、やはり何とも言えない気持ちになる日でした。
私は幸いにも3・11も、その他の災害にも今のところ遭っていません。そんな自分がものを言ってよいのかと、いつもいつも悩むのですが、やはり、「復興」という言葉がなんだか一層ひっかかってしまう5年目でした。「復興より復旧を」とのコメント,大きくうなずいてしまいました。普通の生活を、誰かが置いていかれたりすることなく送ることができるよう、祈っています。願っています。それから、5年というのは数字上はキリのよい数かもしれませんが、問題を直視し検証することなく節目などとしてはいけない、と思うので、時間の経過に負けずに考えてゆきたいと思います。

11日、おいしそうないちごをみつけてしまったので、ひとパック買いました。宮城県産でした。小粒でしたが、香りが強く、味も濃くて、おいしかったです。

忘れないこと、思い出すこと

hona ☆

16.03.13 15:02

5年目の3.11。保育園の子どもたちに震災の話をしました。保育士の表情から何かを感じたのでしょう。よく耳を傾けていました。保育士を真似て、小さな手を合わせようとする1才児。小さいなりに感じとっているようでした。

5年前のあの日。やはり保育園にいた私。
大きく揺れる地面を「止まって!」と必死に押さえていた子どもたちの姿が鮮明に蘇ります。
東北のかたはもっともっともっと怖かったでしょうね。

あれから5年。いや、まだ5年・・・。
忘れないこと、思い出すこと、伝えていくこと・・・。
この職についた自分の使命なのだと改めて思いました。

職員一同で、東北に向かい黙祷し手を合わせました。

伝わりにくいかもしれません。

atsuko

16.03.13 14:01

3月11日仕事中ではありましたが
一人、その時間、給湯室でお客様フロアのテレビから流れてくる黙祷の時間を耳で聞きながら黙祷をさせていただきました。
復興。五年という歳月の流れは
まだ私の中では【もう】なのか【まだ】なのかテレビのドキュメンタリーやニュースを見ても判断つきかねます。
前を向いていらっしゃり笑顔の方もいらっしゃいますがその心に現実の
地域や建物、経済、何もかもが追い付いていないことが前を向いて話をされてる方達の心と現実が一致されていないことが心の復旧にも関わるのではないかと感じています。。。私自身、阪神淡路大震災を経験したのが14歳。
大人でもなく子供過ぎてもいなかったせいか、こう言うと不謹慎かもしれませんが今年の3.11当日朝の携帯電話の訓練での地震警報音。3.11と知りつつも
訓練警報とは気づかず動揺し手と足が震えて周りの同僚から【訓練音やで】と言われ落ち着きを取り戻した後には
一気に心拍数が上がり過ぎたせいか暫くの時間は頭痛が治まらない状況でした。
それ程、阪神淡路大震災から時間が流れ日々の生活は普通に過ごせてる状況でも心はそれ以来、そんな状況です。
当時、中学生とかでは冷静な判断がつくほど大人でもなく、怖かったと感じる以上に少しでも日々の生活が一変する判断もできる中途半端な年齢だったのもあるでしょうか。小さな地震にでも過剰に心が怯えてしまいます。
そんな風に自分のことを踏まえて考えると3.11でも5年が経ち子供達は今、高校生くらい、20歳くらいの方達、これから社会に出ていく世代の方の心が気になります。心の傷に世代なんてないのも分かっていますが。。。復旧に向き合う心、それはとても大切であり、とんでもなく大きな壁でもあり大変なことなんだろうと感じています。
久しぶりのメッセージで上手く書けず気分を害されましたら申し訳ありません。

あれから5年

2児のママ

16.03.12 23:11

3・11地震発生後、仕事を中断し、別々の保育園に通う0歳と3歳の子どもたちを余震におびえながら必死に迎えに行きました。
あれから5年…。
当時幼かった子どもたちもだいぶ大きくなりました。しかし当時の記憶はあいまいのようです。
だからこそ、鮮明に覚えている自分が、ずっと語り継いでいきたいと思いました。

阪神・淡路の皆さんへ。

sen

16.03.12 00:36

当時、無関心でごめんなさい。

心の復興。

sen

16.03.12 00:31

とても難しい。街の復旧より時間が掛かりそう。もう大丈夫だと思っていたけど、ここ数日は息がつまりそうでずっと変だったし。
今、12日になって、ホッとしてるし。

でも、顔晴る!いろいろ顔晴る!!

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