MIND BBS 〜掲示板〜

恨みが支配する世界。

石井竜也

14.04.06 15:35

特定亜細亜は、日本を恨みの敵国と見なし、もう何十年も核ミサイルを向けたままです。都合のいい経済では、日本を利用し、国をまとめるために、その経済的な友国も、平気で敵国と見なす彼らの考え方は、異様としか言いようがありません。到底日本人には、こういう考え方自体が受け入れられないし、理解出来ない。一体、こういう国との付き合いはどうしたら良いのか? 日本の精神文化にまで内政干渉し、恨みの連鎖を国民にけしかけ、教育も、強力な反日にどっぷりと浸からせてしまった現在では、彼らの考えを、改めさせる事は、この10年やそこいらでは、絶対に出来得ないだろう。たとえ、歴史を全て、日本が受け入れ、認めると言っても、彼らは、この国を滅ぼしたいだけであり、決して歴史認識など、どうでも良い事。臨戦態勢をとり続ける喧嘩野郎に、何を言っても無駄な事は、町のチンピラに絡まれたことのある者なら、解るはず。結局、「理由」なんて、どうでも良いのだ。「気にくわないから、殺した」と同じ論理・・・いや、論理じゃないな、極めて、短絡的で衝動的な愚行である事が解らないのだ。過去ばかりを全面に打ち出し、決して現在の状況や、世界観を受け入れようとしない、独特の考え方は、到底、我々日本人が教わってきた、「平和が一番」の考え方とは、「真反対」だ。一体、こういう国とは、どう付き合い、どう話し合えば良いのだろう。そもそも、共通言語が存在するのだろうか? 共通言語とは、言葉を同じにするという事ではなく、精神的共存部分を、見いだす事が出来るのであろうか?「2015年には、日本という国は消えてなくなる」と豪語した、中国ナンバー2のオーストラリアでの公式見解には、それなりの彼らの目標が見え隠れする。この1995年の会見には、中国共産党・軍部も同じ見解を示しており、「消滅させる」という同じ見解を示している。実際、ここのところの中国の驚異的な軍備拡張と武器の性能の向上には、目を見張るモノがある。尖閣諸島問題を、さも大きな問題のように演出しているのは、日本人なら誰しも感じている事。考えてみれば、ミャンマーという国を我が物として、弾圧し、屈服させてしまうその強引さは、驚くべき欲望の権化だ。どこまで我々は、こんな脅威と向き合って行かなければならないのだろうか?芯を失った国の恐ろしさは、実に衝動的な行動をとるところにある。こちら側からすれば、実に理不尽に思えても、あちらにしてみれば、嬉々としてさぞや、心躍る事なのだろう。2度の世界大戦の悲惨な状況を、勉強しなかったのか?それとも、彼らの論理である、2025年には、人口が80億人を超すという事実を鑑み、人口調節のための世界的巨大殺戮を行い、人口を中華人民を中心とした半分にするという、気が狂っているとしか思えない目標を、果たして、彼らは本当に信じているのだろうか?世界の殆どの国は、少子化と、人口減少に向かっているにもかかわらず、なぜもう何日も生きられない人を、今殺さなければ成らないのかが、全く解らない。確かに、化石燃料の時代は、後20年で枯渇すると言われている。だけど、それに合う燃料の開発や、代替燃料は、既に世界の科学者が開発にこぎ着けているし、緩やかな燃料移行は、黙っていても行われていくのに。なぜに今時、世界大戦などしなくてはならないのか?中国だって、少子政策は、もう30年も前から行っており、人口自体は、2028年にはインドに抜かれると言われている。侵略に次ぐ侵略で作られた血の歴史が、慈愛も、共有も、文化も、教育も、全てを、恐怖の概念に染めているのだろう。中国の最終目標は、世界の覇者として中華人民共和国を中心にし、強力な人口調節を行い、未来に、人間の遺伝子を、生き残させるという、まるでマンガの世界だ。こんな事を本気で考えている国と、一体、どこから話し合ったら良いのだろうか?・・・誰も得もしなけりゃ、幸せにもならない戦争を、人口調節だの、資源確保だの、歴史認識だの何だか、さっぱり解らない論理の破綻した自己満足を振りかざしてくる国に、日本は、どう向き合えば良いのだろうか?

◯◯学級

美峰

14.04.05 23:47

私の通っていた小学校にもありました。担任の先生がクラスの皆にボランティアでお友達のお手伝いをしてくれないかと呼び掛けされ、給食を一緒に食べる・運動会で一緒に競技に参加する・登下校も近所であり出来る子はお願いしたいというものでした。私は是非ともやらせて!と友人と手を挙げました。始めはやはり戸惑いや驚きもありましたが、先生が色々教えてくれてサポートしてくれたので、個性をすんなり受け入れる事が出来仲良くなれました。これがきっかけで福祉関係の仕事に就きたいと思うようになりました。今は高齢者介護の仕事をしています。どんな事情を抱えていても同じ人間・同じ心を持っているんだと思えたら自然と優しい言葉が出せると信じます。解っていてもつい自分事で手一杯になってしまうのも現実にはあるんですよね… 私も日々反省を繰り返しています。長文で失礼しました。

集う皆さまへ感謝

ゆっこ

14.04.05 20:58

皆さまのメッセージ
何度も拝見いたしております。

日々の中で
自分の個性にて
お人にご迷惑おかけ

本当にごめんなさい
社会に生きたい
赦して下さい


優しいおこころ表現下さって
ありがとうございます

感謝しています
おもっています
心にいます
すべてを越えて愛しています。

そして
石井さんの熱を帯びたメッセージ
支えとなり今1日1日
生きることができます。

ご活動されることが
ご主旨以遠の人間にも
確実に恵みを流して下さっています。

目の前の出来事にどう向き合うか。

花実月

14.04.05 10:49

本当に、その人自身がこれからの自分が進む、未来の方向の明暗をわけてしまうと、私もすごく感じます。

どこかの誰かの言った何の根拠もない先入観に左右されてしまったり、ただ考える事が億劫で逃げてしまう、日常の忙しさに紛れ、自分の中にある悪意や罪の意識にも目を背け、本当の自分が正しいと感じる事が、わからなくなっていく。。

スポーツやエンターテイメントでの私たちの心に深くに感動を与えて下さる方々の表現には、それを刺激し、また、目覚めさせて下さる大きなエネルギーを感じます。

他人事でなく、どんな世の中の問題に対しても、自分はどう感じているかどう行動するか考える事は、私たち一人一人の中にある心を大切にする事でもあり、世の中を少しでも良い方向へ向かわせる、最初の一歩だとも感じますよね。


競争社会の中で

かざぐるま

14.04.04 23:57

オーティズムを知り始めたのは、長女が2歳になる頃からでした。物への執着、同じ歳の子達に対して、または大人の男性への過度な恐怖心、音に異常に敏感、、何かがおかしいかも…このままだと幼稚園に行けないなと、当時プレ保育の存在を知らなかったので、すがる思いでリトミック教室に通いました。幼稚園の面接日と3歳児健診日が逆だったら、多分発達障害児となっていたと思います。健診結果が発達センター行きでしたから。主人にも一度センターに連れて行ったよと告げたのは、何年か経ってからでした。幼稚園の事前説明会でも、入園後に発達センターに行く場合もあると言われていたので、隠していたというか、どう相談すればいいのかわからなかったし、主人の両親にも言えませんでした…

近所に3歳で自閉症と診断されたお子さんがいて、公立小の支援級に通っているママが、「この辺、支援級の子たちもっといるはずなんだけど、皆どこに通っているんだろ?」と聞いたことがあります。多分、隠したいかのように、障害児施設に行かれているのだろうと思います。

会社は厳しいですし、丁度この時期新入社員も入りますから、なかなか結果が見えないと、指導する立場だと板ばさみのようで、本当に大変かと思います。。

オーティズムの基準って何だろうかと、時折思います。大人になってから発見するケースもあると聞くと、他人事ではないなと、日頃から思います。
今は春休みなので、久々にその自閉症のお子さんと、うちの子達と外で遊んで、お子さんが急にふらーっと遠くに行きそうになったり、「今何時、何分?」と繰り返しママに聞いたりするけど、常にニコニコで、子ども達も何か面白いって感じで遊んでいました。
車の運転みたいに、免許みたいなものが必要なこともあるけれど、もっと個性に対しておおらかな世の中であって欲しいな〜と、この頃思います…

心の病気

yoko

14.04.04 21:03


 4月2日 World Autism Awareness(世界自閉症啓発デー) ブルーのショールを身につけて、会社へ通勤していましたが、周りはほとんど 誰も ブルー色を身につけている人は、いませんでした。たぶん、周りから浮いてたぐらいしか見られていたと思います。

 私は、対人恐怖症 心の病気をもっています。自然と治る障害ですが、なかなか治りません。見た目は普通だから、人見知りしとか思われません。いろいろ、誤解されることが多くて社会生活が、苦しくて辛いときがあります。
気楽には話せませんが、障害を知ってもらうことは、私も精神的に、少しは楽になれると思います。
障害者にやさしい社会になって欲しいと願っています。

教育

葉月

14.04.04 11:47

石井さんのメッセージ、「そういう人々を、理解しようとする教育や運動が起こらない」で思い出した事。。。

学生の頃、校舎の隅に障害のある子達が学ぶ「○○学級」という教室がありました。一緒の学び舎なんだけど、なんか隔離されていて疎外されていた感があります。

先生方の中には、生徒の中でちょっと行動が鈍い子とか、言う事聞かない子に対して、「○○学級行けよ!」ってよく暴言されていました。大の大人が歪んだ認識で教育されていたんですよね。

ある日、○○学級のお掃除担当になったのですが、掃除時間、教室に入るといつも誰もいなくてたまに○○学級の先生が私らの掃除のヘルプを黙々とするだけ。誰かが「生徒達はどこ行ったんですか」と聞くと「プレイルームじゃないかな。ここにいて一緒だと迷惑かけちゃった事もあったから」と返事。結局、その子達を知ることも交流する事もないままでした。。。

今の教育現場ってどうなんでしょう?教育の影響大きいと思います。

きよこさんへ

M

14.04.04 00:55

いろいろ気にかけて頂いてありがとうございます。
きよこさんも今までいろんな辛い経験をされたんですね。
様々な辛いことを乗り越えてきたからこそ、人に対する優しい気持ちや慈しみの心をお持ちなんですね。
暖かい文章から伝わってきました。

私の父は癌で亡くなりましたが、闘病中に抗がん剤の副作用でてんかんの発作が起き、その時初めててんかん持ちだったと分かりました。
子供の頃一度だけ出た発作を、親が単なるひきつけだと思い込んでいたようです。
父は元気な時に発作が出たことはなかったので、私自身大変な経験はしていませんが、苦しんでいらっしゃる方の気持ちは何となく分かります。
本当にお辛い思いをされたんですね。
後輩についてはてんかんの事は思いもしませんでしたが、多分大丈夫じゃないかなと思います。

昨日私がいない間にまた仕事で一悶着あったようで、彼女が落ち込んでいたと聞き、どうしたものかと頭を悩ませています。
やっぱり職場としては、彼女が正社員である以上できない仕事があるのは問題だし、みんな平等の目で見ているので、現状では彼女だけ特別扱いはできないんです。そういう意味でも、ちゃんと病院で診断して頂ければ、彼女も楽になると思うのですが。。。なかなか思うようにはいきませんね。
何とかいい方向に持っていけるよう、指導する立場として私も頑張ろうと思います。

乱筆失礼いたしました。

人の気持ち。

花実月

14.04.03 08:14

自分の気持ちが、良い方向にも悪い方向にも溢れすぎている時、バランスを崩している時、誰かの本当の気持ち、その心を感じる事は、少し難しくなるのかもしれないですよね。。

人はそれぞれの人生の中で、その人だけの喜び悲しみ様々な経験を通して自分なりの基準や感じ方考え方を作り、壊し、また新たに必死でみつけながら生きてきたので、そのバランスはそれぞれで、どちらが正しいとか一概に決める事は出来ない。。共感は出来なくても、理解してあげる気持ちが互いの心を活かし、救うことに繋がるのかも知れないと感じます。。

命、その一つ一つの大切さに、優越をつける事は出来ない、一つ一つの命を、私も心から大切に思います。

本当にこの場所にメッセージを送られる方々、皆さんの命への思いやりに、いつも癒され元気づけられます。

現実社会と幻想社会。

石井竜也

14.04.03 03:20

私たちは、ある意味、この二つを行き来しながら、なんとか正気を保っている存在でしかないのです。現実社会での自分は、あくまでも秩序を重んじ、出来るだけ言葉を慎み、大人らしく振る舞う「ただの人」になりきる事に、全神経を集中させて、かろうじて「いっぱしの社会人」を演じきってるに過ぎないのかもしませんね。日本でよく言われる、本音と建前は、実は、自分を社会的弱者の側に傾けないようにするための必死の防御作用なのかもしれないな。幻想の世界は実はその人の本当の姿で、現実社会では、幻想の自分を造らなければならない必死の攻防が行われていることに気がつかないまま、実は使い分けているのかも?そう考えると、自閉症だの何か障害を持っている事って、現実と幻想が同時にその子やその人の中で出てしまう現象の事なのかもしれませんね。多分その感覚は、全身の皮を一枚むかれて、真っ赤になった肌の痛みのように、ひりひりと常に痛みを伴う感覚に等しい過酷な条件なのかもしません。普通はきっと、現実社会に傷つけられたり、疲れたりしたら、旅行や、人との会話、あるいはエンターテインメントの世界で現実から少し離れる事で、それを癒しながら、調整しているのかも?だけど、俺はそもそも、現実社会の方が遥かに、「悪い夢」のようであると、ずいぶん前から気がついていました。平気で人を見下す人、悪い事を悪いと判断出来ないでいる人、どんな事からも逃げる事しか考えない人、誰かに自分の罪をかぶせる事でただ浮遊して生きている人、責任や立場を全く感じていないとしか思えない人、他人には何の興味もなくただ無節操に自分のみの満足だけを追いかける人、お金の事で頭がパンクしそうな人、一つの事に執着し過ぎて過剰に嫉妬と妬みを糧に生きている人、これ全部、異常と言います。だけど・・・悲しいかな、誰でも、この中の一部分を持っているんです。そう考えると、人間の欲深さとか、愚かしさとか言う物は、実は自分にもあって、誰かを傷つけているかもしれないのです。それに気がつかない限り、この現実社会の悪癖や悪夢は続くのかもしれませんね?オーティズムの方々を社会が受け入れ、もっと、人間的に、もっと、自然に接する事は、今の現実社会では、まるで夢見ごとのように思われている。特に日本はその兆候が顕著な国です。しかも、そういう人びとを、理解しようとする教育や運動が起こらない。この社会ではオーティズムの子供達はひとくくりで考えられ「問題児」として扱われ、彼らの個性は完全に抹消され続けてきたのです。それは、この社会体制に置いては、「面倒だから・・・」に他ならない考え方ですよね。文化や文明の発達は、精神も伴わなければならない事を、世界が知らなければならないんです。この間のソチ・オリンピック・フィギュアスケートで、俺はこの世界が抱えている問題を、見られた気がしたのです。グローバリゼーションという危うい基盤と、勝者と敗者を必死で追いかけている民衆。だけど、浅田選手が、その壁を一部分壊す事に成功した。彼女の態度や立ち居振る舞いは、世界の賞賛になった。それはひたむきに、自分の役割以上の重圧を乗り越えたところを、世界に見せたことにあります。彼女のフリーでの演技には、まるで何かが宿ったかのような神々しさに限りなく近い輝きを放っていた。世界はそれを見逃さなかった。悪質な汚い金と裏取引をしている審判員がいたとしても、おそらく涙を流したと思う。いや、そう思いたい。コソコソしている悪の要素が、はずかしくなるような、純真さと真摯な行動として、映ったのではないだろうか?本来の人間の勇気や感動、希望や理想というのは、実は、現実社会にも存在しているし、夢の世界にも、汚い金が渦巻いていたりもする。世界は一人の人間によって形作られている事を、俺たち、一人ひとりがもっと真剣に向き合い、考えた方が良いのかもしれない。誰でも解っている果物に、どこのスーパーでも、「これはリンゴと言います!」とか、レッテルを張らない。簡単に人にレッテルを張って行きていく社会は、もうそろそろ、終わりなのかもしないと、浅田真央ちゃんが、教えてくれたと、俺は思っている。そのうち彼女との対談もしてみたいと強く思う。金をとった羽生君はヒーローとなり、真央ちゃんは世界に感動を与えた人であると、俺は思います。結局、人の感性は、勝敗より、どうその大きな運命に向き合ったか?という事に感動と生きている意味を見いだすのだと思いました。

最新の発言に戻る

category

【ATTENTION】
当サイトでは、BBS内に書き込まれたURLのリンク先の情報、またその内容から発生するあらゆる問題についての責任は負いかねます。

BBSご利用上の注意