12.10.21 13:58
年上の人が先に死ぬということはだいたい予測ができるので、心の深い所では構えてもいるはずです。どんな場面を迎えるのか。こうかも知れない。こうであって欲しい。漠然と思い描く時もあるでしょう。死を迎える事が、より良い状況であることを願いながら、私たちは自分の出きる範囲の中で環境を整えて日々の生活を営んでいるはずです。それは無意識に行っていることかも知れませんね。
生命のある間は、人は予測のつかない行動や言動を繰り返し、人と人は、愛情をもって忍耐強くそれに対応しつづけます。死はその行動を瞬間に止めてしまいます。
死を迎えようとしている人にとっては、死を人に見せる事で、人としての責務をまっとうするという気持ちが心の中にはあると思うのです。もう二度と出来ない行動ですから。大変な出来事を静かに迎えるのですから。死をもって語ろうとする最後の行動でもあります。
それからです。自分の目の前で活き続けた人の「整理」がはじまります。その人と一緒にではなく、その人が生きてきて遺した物や出来事の整理を自分の中で始めてゆくことになります。死は現象を止めますから、あとは遺された物と、自分の心の中で思い起こされる様々な出来事を合わせて、「人の出来うる経験」として、一つの教訓になるような、「学び」になるものを感じとって行く日々がはじまります。
私は死は学びだろうと受け止めています。人生の総括がそこにはあって、完全なかたちをみることができるから。この自然界で生き抜いて、一つ一つ刻まれた物語と歴史です。それをずしんと受け止められる事。
人は生きている間、他者を意識しつづけています。人は人のことを考えて思いながら人生を過ごしているという事に他ならないのですから。