愛
愛うさぎ魚
12.10.09 20:35
今まで見えなかったものが見えました
無いところにはやっぱり無かったけど…
もう無いかなと思っていたけどあって…
すごくあたたかくて…
愛は簡単になくなるものじゃないですね
優しさがうれしくて私は泣きそうになりました
私も愛することを忘れないようにしよう
まわりのみんなにもあたたかい愛をむけられる人になろう
…そう思いました。

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愛
愛うさぎ魚
12.10.09 20:35
今まで見えなかったものが見えました
無いところにはやっぱり無かったけど…
もう無いかなと思っていたけどあって…
すごくあたたかくて…
愛は簡単になくなるものじゃないですね
優しさがうれしくて私は泣きそうになりました
私も愛することを忘れないようにしよう
まわりのみんなにもあたたかい愛をむけられる人になろう
…そう思いました。
いろんな考え方。
石井竜也
12.10.09 11:54
「現実逃避」「あきらめの境地」「見て見ぬ振り」「知らぬ存ぜぬ」「どうにかなるさ」「考えないようにしてる」「自分じゃ、どうしようもない」「多分大丈夫だろ?」「どうでも良いよ」「俺には関係ねえ」「正直、もうどうでも良いよ」「考えても疲れるだけ」「聞きたくないから、もう言わないでよ」etc・・・。現実から目を背ける事は、言葉やちょっとした、考え方次第でどうにでもなる。でも、残念だけど、これらの言葉は、ポジティブとは言わない。むしろ、ネガティブなんだ。人間には、あまりにも大きな大惨事や、自分の置かれた立場、環境によって、自分の心では受け入れがたい事実を歪曲し、出来るなら考えないで逃げ通したいという願望がある。結局、こういう人間の考え方が、社会悪を増やし、実質的に容認してしまった。いくら、「それはねえだろ!」と怒っても、起こってしまったり、実行支配されたり、事実上のOKをしなくても、何も「NO」と、声に出さなければ、それは納得済みという事になる問題が多すぎるのだ。世の中にはいろんな考え方があるように思われがちだが、場所は、だいたい同じだ。幸福感も、実は人間は、似通っている場所にある。多少の違いはあれ、個性というほど違ったりはしない。だから、巨大な悪は、そこを狙ってくるのだ。人々の似通った、正義感や、幸福感、社会的な常識とか・・・。とにかく、不特定多数の人が持つであろう、感情に入ろうとする。そこでは一人一人の個性など、どうでも良い訳で、大多数の意見を物にしたやつが、力を持つという構造だ。そこを見いだしたやつが、競争にも勝つし、また、巨悪との握手も出来る。しかし、一度悪魔と握手をした人間は、2度と、地上には上がれない事を、意外にも人は忘れがちだ。似通った、俗にいう『普通の考え方』とは、実は世界秩序として作り上げられた、文民統制に他ならないのだ。結局支配する側の論理は、従順でおとなしく、多少の事をしでかしても、我慢してくれる民衆が欲しい訳で、いちいち、自分たちの支配する悪の論理を、否定するような人間は、邪魔な訳だ。そこで使われるのが、「だいたい問題ない範囲の常識」これを作れば、人は意外にも、そこに安住を感じ、はみ出た人はことごとく中傷され、いじめ抜かれる。それがまた怖くて、「だいたい良い場所」にいようとする。サタンの狙いはそういう人間だらけでいてほしい訳だ。そこで、ご満悦になっていてもらっていれば、いくらでも陰で悪さは出来る。なんせ、「だいたいの場所」が確保されているという事は、羊の広大な放牧地のように結構広い柵で覆えば良いのだから。まあ、そこそこの自由ってとこだな。これに慣れると、今度は、その包囲網を、少しずつしかも着実に小さくして行く。一人の生活範囲は自ずとその範囲を狭められて行くのだが、あまりにも時間をかけて小さくして行く物だから、気がつかない人が殆どだ。でも、ある日、身動きが取れないまで小さくなっている自分の範囲に気がつく時が来る。だが、そこまでの圧政と計画的犯行には、緻密な人間精神分析が施してあり、既に暴動さえも起こせない恐怖政治まで行き着いている。こういう論理のもと、構築される社会構造は、60〜70年くらいの時間で行われていく。つまり、ある特権階級の親族支配が3代懸けて作り上げる社会なのだ。これをあまりにも早く作れば、今までの歴史に刻まれた独裁者のように、無惨な死が待つだけなのだ。もっと、極悪な物は、明るく、いかにもそれが理想のように、作り上げて行く。いつしか、人々は、「それが常識だ」と、口々に言い始める。作られた『常識・秩序』世界は今、この非常識な真実に頭を悩ませているのだろう。
心
月姫
12.10.09 10:19
時間や、場所や、お互いの置かれている状況や
いろいろな要素を越えて、何にも囚われず、
自由に語りかけることの出来る場所ですよね…。
嬉しかった時、哀しかった時、悔しかった時、
不安な時、進む道が見えない時
フト、心に浮かんぶ人の顔。
両親だったり、大切な友人だったり、尊敬する誰かだったり…。
「今、この人だったらなんて言ってくれるだろう?」
「この人だったら、こんな時どうするだろう?」
と、自分の中に記憶され、染み込んでいる
その人の何気ない言葉や、その人の生き様なんかが鮮烈に蘇って、
なんとなく、自分にヒントをくれるような気がすることがあります。
たとえその場に一人きりでいても
その人がすぐ近くに居て、笑いながら応えて、
肩を抱き、背中を軽く支えてくれているような
穏やかだけど、強くて、熱いエネルギーが心に満ちてくるように感じたりしますね…。
氾濫する情報や、混迷の中に溢れる言葉から自分を切り離して
自分に還り、問いかける時に、
人は限りなく孤独に向き合わなきゃいけない
そんな時に聞こえてくるのが、
自分の大切に想う、そして自分の事も大切に思ってくれている人の
心に棲んでいる声なんですね。
「MY FATHER」の歌詞にも車の中での情景が描かれてました…。
だから尚、お父さんを感じられる空間なんでしょうね。
優しい空間ですね…。
いつも元気な私でいたい
愛うさぎ魚
12.10.09 08:07
まだまだ必要だったのに父親をなくしているからでしょうね…
私がちょっと元気がないだけでものすごく心配します
私が死んでしまうのがものすごく恐いんだと思います
前に疲れちゃって私がぐったりしていたとき、本気で心配しちゃってたので…
『大丈夫。お母さんは絶対に死なないから!』と言い切ってあげました
子どもにはもう悲しい思いをさせたくないから、不死身の母親でいたいです…
いつも笑っている元気な母親でいてあげたい…
命を守る
愛うさぎ魚
12.10.08 21:14
戦地には自分の子どもは行かせない
誰がなんと言おうと
どう思われようと行かせない
絶対に行かせない
危険な場所からは遠ざかる
逃げる
隠れる
大切な命は絶対に守る
少し疑問がー、
あゆ子。
12.10.08 20:11
命は大切。さずかったものだから。たぐいまれなる祝福として。大切なことー本当に大切なことを思い出すために。食べるために生きるのではなく、生きるために食べる。慈愛ーそうそうわかったようには使えないことば。はかりしれないことば。謙虚な人は簡単に口にしない。
母親の気持ち
愛うさぎ魚
12.10.08 19:53
生命力がある
150歳まで生きる
そのくらい強気で言いきってみると、本当にそういう気がしてきます
そのくらいの気持ちにならないと、今を…これからを乗り切ることができません
だって不安だらけだもの
私は本当に150歳まで生きたいわけじゃありません。
もう満足だから、私なんてどうでもいいんです
子どもを守れるのならば喜んで犠牲になります
戦争のこと…
前に、子どもを見送る母親の気持ちになって綴ったものがあるのですが、ものすごいものがあり投稿しませんでした
…もしも…子どもが弱ってしまったら…ずっとそばにいてあげたい
その時は自分が弱っていたらだめなんです
元気をあげられるくらいじゃないと
もちろん子どもにも生命力があると思う。
だから…
ちゃんと大人になって、普通の未来を生きて欲しい
私は孫を抱いて…
私は、そんな普通の…しあわせな未来が来るのを楽しみにしています
…なんだか泣けてきますね
痛みはそこに…
ムラサキ
12.10.08 16:29
第二次世界対戦に負けたから…権利はない…と…。
もしもこの時代に
戦争に巻き込まれているのが大切な人ならば…
痛みにたえられるのでしょうか…?
あなたは…流れ弾にあたらないでほしいのです。母なら…誰だって、そう言います。
母が殺される方がマシです。
ネットをみていて…みるにみかねて…
今さらの事ではない。
あゆ子。
12.10.08 12:25
社会、世間で問題とされていることと個人で抱えている悩み等は昔も今も変わらない。時代によってスタイル、傾向が多少違うだけだと思います。幸せは自分自身で体験してわかるもの。ただ否定的な体験は相手があってと向かいがちになるけれど本当の愛の体験は人類共通の唯一違いをともわない体験です。とはいえ人によって愛の解釈が違っていることもまだあると思いますが。個人が良しとすることから取り組んでみるのも第一歩だとは思います。条件付きの愛は緊張関係で無私の愛は安らぎをもたらしすべてに恩恵を与えます。こういう話し?はいま世の中に本としてカジュアルなものが溢れていますから求めている人でしたら知識として十分、得られるものがあると思いますよ。パソコンからも可能性は広いですよね。
生命力
愛うさぎ魚
12.10.08 12:09
私は生命力があるような気がします
なんかわからないけど、そういう気がします
生命力って何だろうって考えても自分ではよくわからなくて…
でも毎朝ベランダの植物を見て、生命力を感じていました
真夏に水があげられない時にも、台風でも耐えて
まだ花を咲かせて
まだ実をつけて…
私はいろいろあっても、それでも生きているような気がしました
昨日いつものように子どもとくだらない話していて…
何の話だったか忘れちゃったけど、子どもが90歳になったらというから、じゃあ私は何歳なの〜って話して…
それだけ生きたらもったいなくて死ねないよぉ〜もう150歳になっても生きてやるぅ!
これからどうなるのか見届けるまで死なない〜わっはっは〜(←魔女風に)
…お母さん恐い(笑)
そんな話をして笑っていました
…150歳ってあと100年以上あるわぁ〜すごいな(笑)
私は生きるために選んで進んでいるんだと思いました。
子どもが私を必要とする間は生きていないと。
ただ生きているだけじゃなくて、心の中はつよくないと。
心の中が弱っていると何もしてあげられません。
だから大好きな自分に戻るのがいちばんいいのかな…と思いました。