どうか どうか....。
ジャッコ
21.09.30 00:01
頑張り過ぎないでくださいね...。
.....十分、頑張っていますから.....。
心より御快復をお祈り申し上げます。

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GROUND ANGEL 2002-2011の
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どうか どうか....。
ジャッコ
21.09.30 00:01
頑張り過ぎないでくださいね...。
.....十分、頑張っていますから.....。
心より御快復をお祈り申し上げます。
『地震・雷・火事......』。
ジャッコ
21.09.23 00:05
先週の台風14号、皆様は大丈夫でしたか?9月は台風のシーズンでもありますね。注意して参りましょうね。
近年では「雷雨」の発生も多くなった気がします。昔は雷が珍しくて、窓に張り付いて眺めていましたが、「落雷」も物凄く増えて命の危険も感じました...。
『地震・雷・火事・親父』とは、昔の方はよく言ったものだなぁ...と。その時代の世情・ユーモアも感じます(諸説ありますが)。「親父」...は、今はどうなのかな?「お袋」に変わってたりして(苦笑)。また現代では、そこに疫病や他の自然災害も含まれそうですよね...。
.....そして、「親父」(又はお袋)ではなく、「人間」と称され、それが色んな意味で「一番恐ろしいもの」となるのかも知れませんね。
でも、私も「人間」の一人....気を付けます。(「人のふり見て我がふり直せ」(「人の上見て我が身を思え」)...で。)
追伸・・・一日遅くなりましたが。石井竜也さん、お誕生日おめでとうございます。本当に、掛け替えのない...唯一無二の存在だと実感する日々です。これからも石井さんの道を貫いてくださいね...。
秋分の日
Coco
21.09.22 22:32
少し詳しく調べてみると1948年公布・施行されたそうです。
「祖先を敬い、亡くなられた方々を偲ぶ日」
しばしば昼が短くなり『昼夜の長さが等しくなる日」といわれているそう。実際は昼の方が少し長いとか....
暑さ寒さも彼岸までといわれていたはずなのにね
感じることで痛み悲しみ、時間を知る事
美惠
21.09.21 00:29
その色だから伝わる事があります。例えば白黒の戦争時の写真。最近はそれをカラーにしたものを目にします。けれど何もかもが今この時代に合わせて、見える物とする事が本当に身近に感じるものなのでしょうか?
白黒だからこそ昔の時を感じ、恐怖が伝わり混沌とし物が何もなかったことや餓えや悲しみ、痛みを感じることが出来ます。白黒だからこそ、その当時の人達の心に光がささない状態、いつその時が開けるのか見えない未来に絶望を感じる事も伝わります。
それがカラーになると時代がわからなくなり明るさを感じてしまいます。
そのものがわかりやすく見える形に全てする事で、奥底に隠れた気持ちや季節、時代を感覚で感じられなくなるように思います。それは人や他の生命と向き合う時にそのままだけしか受け取れなくなると思います。言いづらい、誰か気づいてほしい、そういった感情を救えなくなってしまう、もっと言えば自然のわずかな変化に気づかず危機が迫ってもわからなくなると思います。
私は時々文字で遊びます。文字には魂があるので見つめていると変化します。例えば石井の文字。射的、金魚救い、ヨーヨー釣りに屋台、夏祭りの景色に見えます。竜也の文字は噺家さんがキセルを持っているように、灯台と光、小舟と船頭さんにも見えるのです。文字。それだけ受け取ればそこで終わる。けれど何かを感じようとすれば景色が広がります。その景色はとても暖かく心に実りをくれます。
飛行機を飛行機そのもので表現しなくても、先一本でもそう感じられると思います。相手の奥底を知る、その時代に生きた人の痛みを知る、この時代の色ではないからこそ感じて受け取る事がすごく大事だと思います。
判断。
ジャッコ
21.09.16 00:13
ワクチン接種もようやく各世代へ進んだ感じでしょうか...。アレルギー等、諸事情で接種が出来ない方や、接種に疑問があり躊躇する方もいらっしゃいますよね...そのような方々が今後差別されないように。また接種を望む方々が早く受けられますように...。
私も先日、やっと1回目のワクチン接種を受けられました。受付→問診→接種→待機と、とてもスムーズで負担なく終えました。小さい頃は注射が大っ嫌いで、あらゆる予防接種に「無駄な抵抗(逃げる・哀願する・大泣きする)」をしていましたが(結局、打ちました(苦笑))...。注射してくださった看護師さんが上手だからか、大人になったせいか?(笑)始めチクッとした後は平気でした...凄いです。
兄は接種した夕方から「腕が物凄く痛い」と冷やしたり、翌日は微熱も。やはり「副反応」が出るみたいですね(私も少々)。特に「2回目」は強く出る様なので、翌日は安静に。私も解熱鎮痛剤や多めに食品等を用意しておこうと思います。
確かにワクチン接種をしても罹患しますし、前は重症化し難くなる...でしたが変異株が増えて、2回接種をしても厳しいですね。それでもワクチン接種の有効性はあると思います。勿論、防疫対策は引き続き行って他者に感染させない・拡めないように努めます。
そして睡眠・バランスの良い食事・適度な運動等も。初秋を探す・感じながらのお散歩も素敵ですよね。(リハビリに少し外の空気を吸いに...でも良いと思います。どうぞ御大事になさってくださいね。)また音楽等の娯楽も。色んな御負担がある中、コンサートを開催してくださって本当に有り難うございますね。御厚意・覚悟等を無下にしない為にも、これからもマナー・ルール、防疫対策を厳守して参加させていただきますね。
そして石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。無反応・無関心等々.....心が麻痺している様な。今の時代、PC・スマホ等の「画面越し」で色々見聞きする事に慣れて。目の前で起きている事件を通報もせず、先ずはスマホで撮影したり.....一線を越えている・感覚がおかしくなっている気がします(そのせいで危機感や責任感も薄れたり)。......勿論、得られる情報等、利点もありますが「生活の全て」にならないように。画面を通した世界ばかりではなく、直に自分の目で心で...個で感じる事も大事にしたいです。
シトラスリボン
葉月
21.09.15 17:03
ウィルスによる恐怖心が及ぼす人間の様々な精神状態が、ウィルスよりも恐怖。考えさせられますね。自粛警察、今後、ワクチン差別もその一つでしょうか?厄介ですよね。
シトラスリボン活動。ご存知の方多いと思います。コロナ感染者、医療従事者等、差別、偏見を無くし、相手を思いやる気持ちが、ゆくゆくは、コロナ感染防止に繋がる活動広まってます。全国知事会会長平井知事の右胸に、シトラスリボンが優しく主張しているのをお見掛けします。
ただ、地元の偏見の恐怖は、未だ根深い傾向です。仕事で他都道府県出張時、ローカル報道で観たクラスター感染学校名、職場名、店舗名公表一覧。敵はコロナ。徹底的にコロナと戦う姿勢。びっくりした次第です。県民性あるのでしょうか?
石井さんのメッセージ読後、BGMはLIFE IS WONDERFULでした。米米LIVEリハーサル多忙な合間に、親戚でもないのに、読み手の側に立って寄り添う距離感、このサイトは、有り難いことですね。コロナ渦、人間皆、精神強くあるべき事ばかりではないですから。今後も、御指導、御鞭撻、皆へお願いしたいところです。
カオスな時代を優しく乗り越える愛。忘れないでいたいですよね。
自己愛
ジェルフィッシュ
21.09.14 19:00
自己愛性パーソナル障害、怖いですね、増えているように感じます。想像力、共感能力の著しい欠落。生まれてきた時は自己愛しかない、他の情は育てる物・・!!そうなんですね、少し驚きました。自分も闇落ちしないように心を強くもたなくてはと思いました。
見えないことも悪くない!?
リリィ
21.09.13 22:09
時間を見たことがありますか?
感情は?
他にも、音、数、空気、温度、、、
これらは、目に見えないものです。さらに分類すると、
時間、感情、数は本当に目には見えません。物質として存在していません。
空気は、肉眼で見えないけれども、分子として存在しています。
音や温度は、空気などの物質を媒介して存在することができるものです。
これらのものに、恐怖を感じる人はあまりいないのではないでしょうか。
人間は、古代から、見えないものを表現するために、
時計、言葉(文字)、五線譜、数字、元素記号、温度計などを発明してきました。これは、誰かに伝えたいという側面もあるでしょうが、見えないものを可視化することで、不安を取り除いてきたのだと思います。
ウイルスのことも、免疫のことも、どれだけ分かりやすく説明されても、自分のものにすることがとても難しいです。しかし、分かろうとすることを止めてしまったら、そこで終わりだと思います。だからと言って、それを詰め過ぎたり、気にし過ぎたりして、心や体が壊れてしまっても元も子もないので、どこかで「気にしない」ような「見ない」という選択も必要だと思います。でも、それは見えないとは違うと思うのです。
見てるからこそ「見ない」という選択ができるわけで、分かろうとするから「分からない」のであって、考えていないわけではありません。この「分からない」という部分が、畏れとなり、心に棲みつくのではないかと思っています。
一方で、最初から目を背けて「見ない」「考えない」人たちも一定数います。石井さんの投稿で、たくさん名前がついていた鬼たち、悪魔。そして、傍観者。
自分も当てはまるなぁと思いながら、身が引き締まりました。
マスク、黙食、ソーシャルディスタンス、人との接触が絶たれた今の社会で、子どもの心は健やかに自由に育つのでしょうか。
面識のない方に電車で子どもをあやしてもらったり、病院の待合室で先輩ママに励ましてもらったり、そのような人との温かい関係をどうやって伝えていけばいいのでしょう。「マスクは鼻までね」と我が子の防疫のためというより、社会の責任を押し付けるような感覚で言っている自分に罪悪感を覚えました。
私も、青空を何度も仰ぎ見た2回目の夏でした。
今現在、これまでにないスピードでウイルスや免疫に関する研究が進んでいることでしょう。情報通信分野の進展も凄まじいです。ウイルスが可視化できるメガネかなんかができたら、今の私たちの不安や恐怖は軽減するのかな。
そしたら、みんなマスクにメガネになってしまいますねo-o
それも嫌だな。
それに、美しい空や人の表情にも、ウイルスが映り込んでくるのかな。
もっと嫌だな。。。見えないのも悪くないのかもしれません。
時間が経つのはなぜ早いのでしょうか?
美惠
21.09.13 15:03
昔よりもずっと1つの作業にかける時間は短いはずです。便利なものが増えて洗濯も機械に任せ、任せている間は他の作業が出来ます。洗濯板を使っていた頃はそれ一つだけしか出来なかったはずで、それならばその時間は機械がしてくれているのだから空き時間になるはずなのです。洗濯だけではなく色んな場面で便利なものが出来、空き時間は増えているはずです。
なのに昔より慌ただしく感じます。ゆったりと感じるものも減りそれを感じる時間も少ない。四季の移り変わり、風の僅かな香りの違いや温度の違い、光の明るさの違い、遠くの方でする懐かしい香りが冬は鮮明に感じる事や秋は穀物の実りの香りやまだ少し夏を残したオレンジ色の景色等、夏は水撒きや夕涼み、少し涼しくなった庭先で静かに虫の鳴き声を感じ優しい団扇の風や蚊帳で過ごす時間を楽しむ。絵になる景色は日常にもっとあったと思います。1つの動作ももっと多くてだからこそ生まれる美しさもありました。便利になり楽になったのかもしれませんが、仕草さは大きく単調になり男女の差も減り、趣は減っていると感じます。
空白の時間が増えたはずなのに、なぜこんなに慌ただしく、時間が経つのが早く何かに追われている気がするのでしょうか?
物理的に楽になり短縮が増えているのなら時間は増えているはずなので、考えられるならば人の心がただ慌ただしくせっかちなんだと思います。
その心がそれぞれにあふれているから全体的に慌ただしい。今同じものがある状況で、心に時間を一斉に持ったとしたら凄くゆっくりと時間が流れる気がします。余りすぎるほどに。
と、いうわけで!
石井竜也
21.09.11 14:07
色々と、知ったかぶりをしちゃっていますが、僕は自由ですから!笑・・・冗談はさておき、実は、こういう分野自体、何一つ、このジャンルの話には、世界的な学者でも、はっきりとわかっているわけではありません。おぼろげながら「多分、こういうこと?・・・だったんじゃねえか?と、・・・思うんです・・・・的な?」そんなレベルです。博士たちは、必死に、とっくに石化した骨と、5万年前の事をご相談していると・・・。大体「進化論」自体が、怪しさだらけですから。本当のことは、わかりません。ここにも、投稿されている、若い母親さんからの、ちっちゃな我が子への今の時代の悲しさ、不安、動揺、とてもよくわかります。なんせ相手が見えないことほど不安を引き起こす事象はないですからね。それでも、僕は一応、言っておきます。確かに、明日をも「危機感」としか考えられない時代です。でも、よくよく考えたら、人間という生き物は、危機感で成長してきたとも言えるのです。つまり「緊張感」です。その見えざる敵に、飛びかかるやつ、逃げ惑うやつ、隠れて出てこないやつ、何を考えていいのかわからなくなって、自分だけのお花畑に遊びに行っちゃうやつ、・・・考えようによっては、お花畑は幸せかもね(笑)いやいや、もっと、不幸はあります。それは、自分だけを不幸と思い込み、その吐口を他人のせいにし、何食わぬ顔で抹殺できる「異常者」になってしまう奴です。これが一番タチが悪い。なぜかといえば、このタイプに成り下がった人物を、仏教では「畜生道に落ちた」と言います。つまり「鬼畜」のことです。思いやりも、愛情も、優しさも、社会の秩序も、人間らしさまでも、無くしてしまった「生き物」のことを指します。厄介なことに、こいつらは増えるのです。新型のコロナより、たちが悪い病気は、こういう「輩」を指します。自分の不安の解消に人を殺め、楽しささえ感じる、もはや「人間」とは呼べない、単なる危険生物と化した「怪物」。世の中に、怪物というものがいるとしたら、こういう「殺人者」を言うのです。これは、たとえ人を殺さないとしても、それと同じくらいの言葉の暴力を平気で発せられる奴は、同じ「怪物」です。要するに、「緊張感」や「危機感」に勝てなかった者たち。ダークサイドに逃げ込んだ奴らを「悪魔」というんです。こいつらの武器は「無常」「無秩序」「無反応」「無関心」です。これらの精神要素を中心核として崇める奴らを、総じて「無法者」というのです。悲しいかな、こういう時代には、これらの怪物は増えていくのです。特定の少数派ではなくなる可能性さえあるのです。その心は・・・「自分本位」ということです。同じく「餓鬼道」に落ちるやつもいます。こいつらは、「自分」さえも持ち合わせていません。つまり「無邪鬼」になるわけです。こいつらの救われないところは「何も考えない」ということを、餌にしているところです。しかも極悪なことに「無頓着」で「無神経」です。こういう奴らを、社会は排除しながら文化を作ってきたのです。反対にいえば、文化的になるためにこういう奴らと戦ってきたと言っても過言ではないのです。「まとも」なんてのは、こういった奴らからしたら、どうでもいいんです。しかし、もっとタチの悪い奴らが存在しています。それは、こういった「悪魔・怪物」のしていることを、他人のフリをして、遠くから眺める奴らです。こいつらの心の確信には「俺には関係ないから・・・」という「確固たる信念近い、不純物」に汚染されてしまっていることさえ、分からないでいる状態の人々を指します。こういう人たちを「傍観者」と言います。かろうじて人間ですが、すでに足元は「悪魔の領域」に入り込んでいる人々を指し、悲劇は、この領域の人々が、かなりの範囲にいることです。どっちにも入れないでいることを、唖然として見ているだけの人々が、社会の中間層に多く存在し始めた世界では、ことの「善悪」を決める事ができなくなります。つまり「社会的責任麻痺」をひき起こします。ぼくはこれが一番怖いのです。コロナなんかの何十倍も怖い事です。少なくとも人間の世界では、一人一人の責任が子供の頃から培われ、大人と言われるようになれば、その責任において「軸」とします。この「軸の概念」がなくなるのです。人の愛は、実は不自然にも似た努力からでしか作り出せません。生まれつき備わっているのは「自己愛」だけです。これを他人にも使えるように努力する意思を「愛情」というのです。これは「芸術の概念」でもあります。たとえば「歌う」それを「聴いてみる」という関係や、「絵を描く」それを「鑑賞する」。これはすごい感覚で、他者への敬意であり愛情です。この感覚を持ってこそ、このようなカオスの時代も生き抜けるのです。自己愛だけを振りかざし、それを「善」と考えることは、飛んだ間違いにも程があるというものです。人間の関係性や社会生活の全ては「微妙」という言葉からできています。これは非常に脆く崩れやすいのです。自分の思うようにはいきません。誰しも、これをわかっているように考えるのです。「わかっている」と「理解」の違いは、「当たり前じゃん!」と「読み解こうとする意思」との違いです。実は世の中のほとんどのものは「当たり前」なんて存在しないのです。現代の社会に生きるわたしたちは、この「わかってる!」に支配されています。この言葉を軽く使う人に「物事を深く理解」している人は、いません。むしろ「分からない」ということを理解している人たちの方が、数十倍優れているとも言えるのです。「感性」の最初の衝動は「どうして?」という言葉から始まります。この「どうして?」という疑問はその人に愛情が備わっている証拠なのです。例えば歌を聴いているとしましょう、その時に「どうしてこのアーティストは、この歌を歌っているのだろう?」とあなたは思います。そうなんです!「全ての出発点」は、そこからでしか、生まれないのです。空気は吸っているのに見えません、水は全てが飲めるわけでもありません、どの土にでも作物がタワワに実るものでもありません、空や海がいつでも優しいわけでもありません、同じように人の心も見えるわけでもありません、これもまた同じように、人の善悪も不思議なものです。善の中にも悪があったり、悪の中にも善があったりします。愛情もそうです、見えないが故にすれ違い、どれほどの愛情に包まれようと、それを感じない時もあるのです。数字と時間に支配され、お金と金額でしか物事を判断出来ないくらい退化した感情、今では情報の中の嘘を必死で探す懐疑心、悪意を隠すための優しい言葉、それを知っていても安心したい弱さ、欲望の塊なのに簡素化することで誤魔化す煩悩、失敗の反省も途中で切り上げ次の失敗に向かっていく愚かな人生観、このどれか一つぐらいは「私はまとも」と思っている人々にも、当てはまっているはずなのです。白黒写真の中に色を感じて、色彩として記憶してしまう感覚や、一本の線から地平線や国境、水平線やモラルの表現と、解釈はみんなが違うことになるはずが、単なる「一本の線」としか判断し感じることのできなくなってしまった感性。つまり・・・・・今のあなたの「不安」「悲しみ」「恐れ」「悩み」は、この「精神の簡素化」がひき起こしている、甘えと弱さにその原因があるわけです。いま思っていることを、一行、紙に書いて壁に貼ってみてください。多分、次の日には違う言葉を書きたくなります。それが「まとも」ということです。