MIND BBS 〜掲示板〜

同じことを思ったよ。

紫陽花

15.03.13 19:09

 初めてライブに17歳で行ったとき、あぁ日本人でよかったなぁって

思ったよ。石井竜也が大好きだ!

忘れない日。

葉月

15.03.13 12:42

震災から4年。震災の犠牲になられた方々へ、心からのご冥福をお祈りし、復興への加速へ向けて、微力なりとも協力していく想いです。3.11、私も地元から東北へ向けて黙祷しました。TATUKO様と同じく、追悼式の若い女性の言葉に涙しました。愛する肉親と胸を引き裂かれる気持ちで離れ離れになった状況、震災に遭っていない人からは想像を絶する程、辛過ぎて、苦しかったと思います。今、生きている方からも、死と隣り合わせの過酷な状況に遭い、苦しくて、耐えるしかなかったお話を聴く度、自然災害の恐ろしさを改めて感じます。津波。震災直後、知識のなかった私は、正直大した事ない、津波の高さしか想像できていませんでした。映像を観て、まさか?と思い、目を疑いました。東北を襲った津波は、日本の南もだし、太平洋の世界の海にも到達し、大きな影響を及ぼしたんですよね。忘れてはならないですね。東北は勿論、茨城県もですよね。石井さん出身地であり、石井さん自ら状況をお伝えしてくれていて、GAの支援されている皆様は、状況を知っていますが、まだ知らない方々も多いのですよね。報道で、漁港や観光が今も、かなり影響を受けている。と実際行かれた方の投稿を目にしました。今後も、微力ながらも協力していきますね。心の復興も、もっと大事ですよね。前回のメッセージで、壁を乗り越えるには、仲間の存在も必要だなぁ。との想いで書きましたが、一人で苦しい状況を抱え込ませずに、皆で温かい気持ちでサポートするのは大事ですね。。。震災関連死での死者の多さに心痛みますね。。。


寄付に関して、自ら直接的な支援の仕方もあれば、今も引き続き東北震災支援を行っている企業も探してみると多くて、物品の購入金額の一部を支援に充てているというのも聞きます。春が近づき、移動等でお世話になった方へプレゼントする時、震災支援にも繋がるような選び方もできるという提案もしたいと思います。


PS
雑誌GIRL(P305)石井さん、カッコイイです!!

この4年…

花実月

15.03.13 03:31

皆さん、それぞれの環境の中での、この震災による心への影響、ひしひしと感じるこの頃です…

管理人である石井さん御自身も、お母様を想い、故郷を想い、どれほどの不安や心を痛める体験をしながら、乗り越えてこられた日々だったことだろう…様々なコンサートやイベントをしたり、復興のためのプロジェクトに参加されながら、お父さまがいらっしゃらない悲しみも重なり、御自身のお心も癒しながらの、被災地や日本を想い続ける4年という年月だった事。
このサイトで一緒に感じ考えてきた一人として、改めて感じています…。

この場所で、石井さんのその時々の『心』を、皆さんで一緒に感じながら…本当にこの4年、MfM掲示板での石井さんや沢山の皆さまのメッセージのおかげで、私自身も、大きく影響を受け、震災はもちろん、世の中やこの時代に、向き合う気持ちが、変わっていきました。まるで、心の眼がゆっくり開かれていくみたいに…

無知、無関心、見て見ぬふり、そんな自分を変えたい、何かを変えたいけど、一人で考えていても、どこか虚しいような同じところをぐるぐるまわるだけ…。
どうせちっぽけな私なんかが1人で考えてても、何も変わらない…誰かと一緒に考えたいけど、誰もそんな事は無駄、知らん顔のように見えて…。
どうしてよいかもわからず、この混沌とした時代の中、1人取り残され、未来への不安で押し潰されそうな毎日でした。

そんな時、自分の中のいろいろな感情と向き合いながら、真実に真剣に向き合い、それを私たちに覚悟を持って伝え続けて下さった、石井さんの毎回のメッセージに、救われていました。

私は、関西に住んでいるし、友人知人も被災地にいないので、もちろんニュースなどで心は痛めてはいましたが、石井さんがいらっしゃらなければ、もしこのサイトがなかったら、本当に『遠い出来事』のままで、自分の今いる、狭い狭い世界で、得体の知れない不安を抱えながらも、それに向き合う勇気も持てずに、ただただ、日常の生活でいっぱいいっぱいの生き方しかできなかったかも知れない…。

でも、このサイトで石井さんからの沢山の情報や、この時代や日本や世界について、教えて頂いたり、心を癒し元気にして下さる人生に役立つ言葉をたくさん頂くと共に、皆さんの沢山のメッセージから、それぞれの人生、悩みや迷いから立ち上がる姿。東北の方々の投稿から、そのつよさとやさしさや暖かさをより身近に感じられたり。日本人全体の持つ、品格や誇りを確かめあえたり。

この震災によって、日本人が得られたいろんな気付きを、絶対に活かさなければならない、この震災で失ったもの学んだ事を決して忘れず、被災地の復興を第一に、日本が少しでもより良い未来に向かうよう、心と心で繋がり、この時代をどう生きていくか、皆さんで一緒に考え続けていきたい…ただただそう願う毎日となりました。

これからの時代、日本や世界を、あらゆる面から広い視野で見つめ、自分たちの時代、そして、子供たちの時代が、ほんの少しでもよくなるように、できるだけ多くの皆さんで、目の前にあるいろいろな問題に一緒に向き合い、共有したり、情報を交換していけたら、本当に心強いだろうなと、いつも思っております。


石井さんの故郷のモニュメントブロンズ像が作られること、素晴らしいですね!きっと故郷の皆さんを見守る、復興へのシンボルとなることと思います。詳細、心待ちにしております。

※前回の私のメッセージのタイトル、『2015』が入力ミスで『1015』となっていました。お詫びして訂正致します。

突如 叫びたくなった。

柵

15.03.13 00:48

石井竜也あー!!好きだあー好きだあー大好きだあー!!石井竜也が大好きだあー!!

水蒸気爆発した日。

KAZ

15.03.12 20:00

当時、保険会社に勤めていましたので、自分の担当のお客さんや出入りさせていただいてる企業に行き、安否確認の仕事をしていました。車で移動中に一斉メールが届きました。東京本社から福島支社、福島支社から各営業所、支部から個人へ。
「東京本社からの通達です。福島第一原発3号機が水蒸気爆発しました。今すぐ、家に帰って下さい。必要最低限の外出は控えて、窓を閉め切り、換気扇もできれば回さないで下さい。尚、出勤については追ってメールしますので、自宅待機していて下さい」その時の受信メールです。
地震の時は「この世の終わりだ」と本当に思いましたが、このメール受けた時は何が起こっているのか理解できなかったですね。。

今日から5年目ですが、今も必死に福島原発で働いて下さってる方々、、雨や雪の中でも、除染作業をして下さる方々に、深く深く感謝しております。
有り難いことです。

悲しい、辛い、嫌なこといっぱいあるけれど、きちんと受け止めて、そして強く前を見て生きていきたいと思います。私の5年目の決意。
ヒハマタノボルから。

祈っています

Y

15.03.12 12:00

雪がちらつく北の空の下からも
祈りを込めて

共に生きてゆきましょう

三月十二日になり…

七色インコ

15.03.12 09:15

あの日、ひとりでみた、あの…
そこから
言葉を失ってしまうほど、あの日の映像が今ある心境にも重なり…恐怖からの吐き気さえ出てしまうことが度々あります…。

その土地で暮らしていた訳ではありませんが、渦を描くような揺れの中、…ひとり震えていました…。
被災地の方々のご苦労、ご心痛が、TVに映るその表情、言葉から、ヒシヒシと伝わり…。

自身のことも、重ね合わせながら…
あれから、まだまだ癒えない傷と共に、例えば今日という1日があり、明日に希望を…そう願いながら歩いて行くしかなくて…。
モラハラという言葉に、どこか似た生活が私にもある気がして…威圧感から酸素不足のようなその環境で生きていれば…精神面にも影響が出て…悪循環を繰返し、
また…転ぶことも予想できます。
どこまでを我慢というのか…窮屈は、心まで窮屈にさせてしまうのか…。
生きていく智恵をいくらレイアウトしても痛い思いばかり…
だから、私なりに歩けるところまで、歩いて生きて行くしかありません…。

もう、2度とあのような悲しい災害が起こりませんように…少しずつ、笑顔が増えていきますように…。

全国からの祈り

かざぐるま

15.03.12 08:36

昨日は全国から、東北の皆様へ黙祷が捧げられました。私も同じく祈らせて頂きました。
また、今尚厳しい状況に置かれている方々へ、少しでも心の痛みが和らげることを願ってやみません。

3月11日を迎えて。

Kei

15.03.12 05:49

はじめて書き込みさせて頂きます。

心でどれだけ思っていても、言葉にしなければ伝わらない。
そう知っていたのに、ここに書き込むのには勇気が要りました。

石井さんや皆さんが言葉にしてくださるから、込められた想いや力で、今、私は未来を望むことが出来ているのだと心から思います。

3月11日、あの瞬間、事の重大さを真剣に受けとめることすらできなかった自分が生きていることに、この4年間ずっと、負い目や、やりきれなさを感じてきました。

先日、石井さんが書かれた「生きるとはそもそも、生き残る事と同じ意味」「結局は人間も、地球上で生きている他の生き物と、さほど、変わらないのが現実なんじゃないか」に、ふっと息を吹き込まれたように感じました。

今日の延長線上に必ず明日が在るわけではない。
私は今、たまたま生き残れているだけのこと。
上手く言葉に出来ませんが、今この瞬間、生きていることに負い目を感じるよりも、未来を願ってやれる事があるのだと、やっと思うことが出来ました。

今日から5年目のはじまり。
犠牲となられた多くの御霊と被災地を忘れない事。
忘れない事と悔やみ続けることは違うのだと気付かされた事。

心の方向がやっと定まりつつあると感じています。


あの地獄のような光景から4年・・・

石井竜也

15.03.12 05:40

極端に長く波を打つように突き上げてきた地震、それは今まで東京でも感じなかった不思議な、天変地異に感じました。ビルの上にいた方、地下にいた又、偶然海に出ていた方、僕は半地下にいました、コンクリートむき出しの作りの、モダンな建物でした。四方が、天井近くの明かり取りの細長い窓に囲まれた、落ち着いたミーティングルームでした。最初の余震がきて、いつもの「すぐ・・・終わるんじゃね?」という言葉を聞いた瞬間、コンクリートの壁が震えるように振動してきました。誰かが大声で、ドアを開けろ!!立っていられないほどの揺れを感じながら、みんなでなんとか出口は確保、上を見ると電信柱の先端や、街灯、電線、驚く事に細長いビルまで揺れていました。女性や、お年寄り、犬までしゃがみ込んでいるのを見て、外に出ても尚続く緩い揺れにガラスの多いビルから離れようとしていました。家族にと事務所に電話をかけても通じず。帰ると家の中は無惨にいろんな物が倒れ、意外な物が倒れていませんでした。まず細長い縦型のDVDラック。俺の部屋のオブジェ達。反対にがっちりと壁に固定されていたはずの巨大な棚がそのまま倒れていました。当然上に乗っている物も下に落ちてしまい凄い有様でした。自分の地獄はここからでした。テレビを付けると、東北の海沿いから関東に至るまでの広い範囲での大規模津波の情報を、声が割れるほどの脅威でヘリからの中継をニュースは臨時ニュースで報じていました。「・・・ああ、だめだ・・・」とっさに出たのは、この言葉でした。家族やスタッフの安否は確認出来たものの、母親が故郷にいる事を思い出し何度も何度も携帯電話をかけるのですが・・・繋がりません。部屋は、夕方には整理がついて、さほどもの凄い破壊はありませんでしたが気がかりなのは母親の事です。なんせ、当時は一人暮らしでしたから、北茨城市の情報がチラチラ出るのですが、一体どのくらいの規模の津波が押し寄せたのか見当もつきませんでした。夜にたまらず、そこいら中のタクシーを止めて「すんません、北茨城まで行ってもらえますか?」のくりかえし、答えは「常磐道もだめだし、下の道も千葉前で終わっちゃってますから・・・行けませんよ」悔しいやら、自分が、父親の死を看取れなかった事まで思い出し、こんな事で母親も俺は失うのか?と自問自答。道ばたで生まれて初めて恥ずかしながら泣きました。それから3日後に母親が僕の通っていた、中学校の避難所となっている体育館に避難されていた事をいとこの電話で知り、「今は、山道を2時間かけて、日立までつれてきたからね・・・」の一言に力が抜けました。丁度、親戚の『Aおばちゃん』の車に同乗中に前の車がバウンドしているのを見て、ドアをあけたら道にみんながしゃがみ込んでいて、国道は車で埋め尽くされていたとの事。丁度、目の前が避難場所の体育館だったのが不幸中の幸いで、2日間そこで寝泊まりしていたそうです。一日目は、そこいら中のカーテンをとって、毛布代わりに寝たそうです。でも、余震は30分ごとにあり、その度に外に逃げたそうです。外では、ドラム管に火を焚いた男の人たちが、怪訝そうな表情で港の話をしていたそうです。他の人は、何も言わないで、ただ火を見ていたのが印象的だったと、後に母親が話してくれました。今あの日の事を聞くと「もう忘れたいから・・」と言います。そのくらい恐怖と、無力を感じたんだろうと思うと、母親が恋しくて仕方なかった。その日から俺はせめて、自分が出来る事から始めようと思い立ち、被害が無かった関西方面でチャリティーを急遽企画し身一つで数カ所でコンサートを開き、皆様の暖かいご支援を賜り、またこのサイトも立ち上げました。しかし、出てくるニュースは、増え続ける未確認情報など、どの局の情報も混乱していた事を思い出します。それくらい現場では情報が錯綜していたのでしょうね・・・。3日後、母親の安否が確認出来ると、すぐさま、戦場カメラマンの広河 隆一氏の事務所に御邪魔して、お知恵を貸して頂く事にしました。その日は福島第2原発が水蒸気爆発した日でした。深刻な表情の広河氏に会い、これは尋常な事じゃない事を悟りました。それからの経緯は皆様の方が僕より良くご存知ではないか?と思います。


     改めて、この大災害で、
     御亡くなりになられた幾万の人びとの尊い命、
     その後の不便な生活を強いられた、
     東北の皆さん、必死に救難活動を
     行って下さった、自衛隊の方々や警察の方々に、
     心からの哀悼の意と、尊敬の言葉を
     贈りたいと思います。

      「僕は、本当に日本人で良かった、
       この国に生まれてよかったと、
       心から、誇りに思います」




           2015年3・11
                 
                     石井竜也


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