MIND BBS 〜掲示板〜

石井さんへ

まり

14.03.02 23:36

大英博物館や、ルーブル美術館や、ニューヨーク近代美術館の作品を紹介するナビゲートを石井さんがやる番組が出来ると、とても勉強になり有り難いのですが…。もっと「美意識」というか、この日本の状況下で、「意識」だけは、高くありたいと言うか、若者の目を肥やすと言うか、そういう番組を扱うテレビであって貰いたいです。豊かな人間教育にもなると思うのですが…。

3月は『自殺対策強化月間』です

愛虹ことり魚

14.03.02 12:05

この言葉をネットの広告で、目にしました

内閣府が、HPにまとめてくださっています
以下、いくつか抜粋、ご紹介させていただきます

誰もがみんな、ゲートキーパー.あなたの声かけで、救われる人がいます

★ゲートキーパー
悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人のことです
特別な資格ではありません

こういう場合は、こういう声かけをするのが望ましいなど、動画で見れたり、相談先や、様々な情報へリンクできるようにもなっています

『気づいてください!体と心の限界サイン』

まとまりなくて申し訳ありませんが、ぜひHPをご覧いただきたく…

『内閣府 自殺対策』で、ぜひ検索されてください
きっと必要な情報があることと思います

民族意識って?

石井竜也

14.03.02 03:37

例えば、日本と韓国は、今や敵対する国家とまでなり、憎しみ合ってしまっている。もちろん、個人的な事は、いろいろだろう。ここで言う敵対とは、あくまで政治の世界での攻防を差している訳ですが、これが、意外にも国民感情と比例しているんだな。それぞれの民族の誇りや、自尊心、歴史、得意とする分野、まさにその土地にしか出来ない作物だってあるし、その国が得意とする技術もある。僕の言う民族意識とは、単なる「その国の人々の連帯感」を差している訳じゃなく、自分では思いもしない所で出てしまう、その民族の癖の数々が、積み重なって、その国固有の美学や、学問、礼儀、道徳、威厳、誇り、勇気、品格・・・・・そんな物をひっくるめた言葉が、民族意識というものであると思うのです。インターネットが世界の一般人までを席巻して、既に10年以上。そこには、国や、文化を超えた交流や、今まで見えなかった人々の豊かな心もだいぶ見られるようになりました・・・が・・・・その真反対の、醜悪きわまりないなじり合い、品格をどこに見つけていいのかも解らない汚い言葉や、パフォーマンスの応酬、個人を追求して、自殺までさせてしまう殺人的メンタル発火装置、国と国をも、戦う事にまでヒート・アップさせてしまう脅威も、まだまだこれから出てくる事でしょう。結局、世界の人間達の興味は、『弱み』。どこかのくだらない週刊誌とそんなに変わらない。「糞でもぶっかけてやれ!」を品よく言うか言わないかの違いでしかない事が、この頃、インターネットの数々のサイトに見てとれます。これを止める事はもう不可能。だったら、この時代の民族意識って何なんだろうか?互いの美学や品位を過去から学び、必死に守っても、いとも簡単に違う国の全く違うイデオロギーに野蛮に打ち砕かれてしまう。折角作った奇麗で繊細な日本庭園に、コンクリートを流し込んで、ロココ調の噴水や、マーライオンを立てられてしまうような事に近いかな?ある文化が育んできた歴史からでしか学ぶ事の出来ない一種の主義主張、それを「美学」という言葉で言い表しても差し支えないのかは解らないが、少なくとも、その国民性にあった文化や美意識がある訳で、その部分に関しては、どの文化の文句も言えないはずなのだ。美学や文化と言った、心をある程度、豊かに昇華させてくれるような精神的イデオロギーの場合は、何の問題もないし、堂々と自分たちのアイデンティティーとして持ち続ける事が、未来に対しても、国も凄み、もしくは迫力になる。だけど、そう言った文化への造詣は、100年でも出来るもんじゃない。しかも、そこには勇気ある先人がその命を賭けて作り上げた整理整頓がなされていなければならないのだ。観阿弥光悦や岡倉天心など、優れた『目利き』またはプロデューサーが居たからこそ、阿修羅像も残っている訳だ。大英博物館でも同じ事が言える。ルーブル美術館や、ニューヨーク近代美術館もそう!それぞれが、芸術と値する豊かな感性の作品を、収蔵し、人々を魅了させている。自国の文化とは、それくらいに大切で、また、その国の人々の血の出るような努力からでしか生まれてこないものだ。そういった文化文明を促進する力は、研究と探求、好奇心と、地道な努力でしか勝ち取れない。また、国をあげてその考えを保護する訳でもない。自ずといい物は、その民族の美学に当てはまっている物だから、当然、誰かがその技術や、作家を庇護して行く。才能とは、マッチのようなもので、人々の心に、新しさと、過去から学んだ先人の知恵を踏襲して行けば、その国の国民には通じる、一種の信仰に近い文化が出来上がる。これこそが、「深い民族意識」というものではないかと、僕は思っている。他の国は関係ない。日本から見て、劣っているとか、優れているとか、そんな事は、考える事すら卑しい。ただ自分たちの幸福感を持てれば、お金の問題ではない。全てが経済事情という、ゴキブリも食べない粗悪な化学肥料と強い薬物、人工的に作られた全く方程式も定まっていない、天気よりもたちの悪い世界経済の不透明と不愉快さは、果たして人の心を幸福にしているのだろうか?確かに、「一台くらい、車を買いたい」とか、「あの化粧品を、ずっと欲しいと思っていたの」とかは、どんな国も人にもあるだろう。でも、これは文化じゃない。ただの宣伝と、購買意欲だけを追求した、心の洗脳に近い。文化は、洗脳ではない。自然と、200年300年と、時間をかけながら、子から孫へ、未来に引き継がれて行く遺伝子レベルにとけ込んだものなんだと思う。軽々しく飛び交う「民族紛争」だの「民族衝突」だのに、「民族」という言葉を使わないでほしいものだ。人は基本的には平等であるべきだし、またそうしなければ、世界には多様な文化や考え方、信仰や豊かな物の考え方も生まれないだろう。気候も生きる境遇も、政治体制も違う国々で、全く同じ精神構造を作れという事の方が無理でしょう?結局、解る努力が必要なのかもしれない。・・・でも、どう多めに見ても、差別をあらわに出す国もあれば、完全にトンチンカンな政治を行っている国もある事は事実である。少なくても、わざわざ火事になるのを解っていながら、その国に近づく必要があるのかな?この頃、こんな事を考える自分がいます。

人は人の中で生きている。

花実月

14.02.28 06:52

私たちは、良くも悪くも、家族や友人関係、仕事や学校、ご近所関係、もっと大きく見れば地域や国全体の中で生きている、生かされている事から逃れる事は出来ない事を、改めて感じますよね。。

それを自由を妨げるしがらみと感じるか、自分を守ってくれる安心や温かさと感じるか、その人の性格や、その時の状況にもよりますが、自分に責任と覚悟、ある程度の人生経験が無ければ、どちらかに偏り過ぎてバランスを崩していくのかも知れないとも感じます。。そしてそれは人から教えてもらっても中々しっくりくる事は少なく、七転び八起きで自分が生きていく中でのいろんな経験から、自分自身にしかわからないそのちょうどいい感じのバランスを体得していくしか無いのかな?とも感じるこの頃です。

人は誰でもみんな孤独な存在であると嫌というほどわかってるからこそ、厳しい現実を受け入れ乗り越える為に、自分から大切なかけがえのない人たちと繋がっていきたい、一緒にいられる一時を大切にしていきたいと思います。

いろんな条件で、繋がる事が困難な人たちに対しても、せめてその人がまわりの人たちと温かい繋がりが持てるように願っていたいと思っています。

被爆地 長崎へ

こめっこ

14.02.27 14:55

スマホに変えてからアクセス出来なくなってしまい、8ヶ月振りにやっとこちらに来ることが出来ました。大変嬉しいです。
今月初めに娘と長崎に行ってきました。広島に次ぐ原爆被爆地ですが、ランタン祭り開催中ということで大変活気にあふれ賑わっていました 。
長崎大学の教授で永井隆さんという方の「この子を残して」という本のお話をガイドさんがしてくださいました。クリスチャンであった永井氏が長崎大学に進学し、中耳炎を患って右耳の聴力を失い内科医をあきらめ、放射線医学を専攻。戦時中、結核のX線検診に従事し、フィルム不足の為透視による診断を続け自らが白血病を発病し、昭和20年6月には余命3年と診断されたそうです。その2ヶ月後の8月9日、長崎に原爆が投下されました。爆心地から700mにあった大学も吹き飛ばされ、火の海になり、同僚、学生も多数の死傷者がでたそうです。
永井博士の奥様も亡くなられ、幸い祖父の所に預けた子供2人は無事でしたが、自分の亡き後を託していた妻を亡くし、残して行く子供達が困らないように書いた本が「この子を残して」だそうです。有名な長崎の鐘も永井博士によるものだそうです。
しばらくぶりに石井さんの書き込みを拝見してヒロシマの事に触れられていましたが、命をかけて平和の願いを歌にされた偉大さに涙が止まりませんでした。昨年高校を卒業したばかりの初々しいガイドさんが歌ってくれた「長崎の鐘」が今も耳に焼き付いています。
平和利用、産業の為に作られた原子力発電所の事故の拡散が原爆投下のように目に見えないだけに本当に恐ろしい気がします。
久しぶりにお邪魔して、なんだかまとまりがなくて申し訳ありません。ゆっくりと皆さんのお話を拝見したいと思います。

葛藤…

匿名…

14.02.27 13:57

人は案外…自分のことがいちばんわからないのかもしれませんね…本当は迷っているのではないでしょうか…?

例えば……
歩いてきた道…転んだ先での「?」を
そのままに…
何を悩んでいるのか…?その悩みの中で生きていけるのでしょうか…?
どのような未来が…
大人社会には、待ち受けているのでしょうか…?
微かに見えた光、
その光は…「?」を希望にかえてくれるのでしょうか…前をみてと自分に言い聞かせ、信じていた自分を信じることで命を繋いでいたり…。
命の保証等どの時代にもない…。
いつ自然災害や事故、事件で命を落とすかわからない…。
砂の城のように流されてしまうのは嫌です…正直、怖いです…。
正しい答え等、いらない…。素直な答えがほしくなるものです…
決して、悲観的になっているのでもなくて…。。

RE:田舎で暮らすこと・・・。

葉月

14.02.27 12:43

石井さんのメッセージ、とても共感する所が多々あって、うんうん頷きながら読んでました。。。

自然災害が起こった時、報道を見る度に限界集落(65歳以上の高齢者が多く住んでいる集落)の多さに気付かされます。自分の所以外にも日本中にこんな沢山の集落があるんだなって。

現実的に、都市部では医療技術の器具も最先端の物が設置されていて、限界集落の多い過疎部での病院は減っていく一方です。格差が激しいです。子どもの頃、田舎に住んでいる祖母がお風呂場で倒れました。脳梗塞です。時間が経ってしまう程、命の危険が高くなります。すぐに近所の人が救急車を呼んだそうですが、車が来るまで数十分。最寄の総合病院まで2時間弱。幸い命は取り留めましたが、初期症状より重い麻痺状態になり、結局、自分らが住んでいる都市部の専門病院へ転院になりました。。。病院が近くにあったらもっと命を救えたんじゃないかなぁと思うと悔やむ気持ちが今でも収まりません。。。だから余生は田舎で暮らしたいという親の気持ちや言い分も痛いほど分かっているのですが、生き方に茶々挟みたくないのですが、命を救うことを考えると、行く行くは介護する側からみると実際問題、葛藤します。。。

心を開ける人

葉月

14.02.27 11:57

20代の自殺の多さの書き込みを読んでショックを受けました。技術が発達している一方で、リアルなコミュニケーションがうまくできない人、誰にも相談できない、信用できない人の多さを伺えます。更にショックを受けたのは、日曜日に起きた名古屋駅での事故です。容疑者が不特定多数の人をターゲットにした事は、秋葉原の事件を思い出させる程、許せない行為です。何故こんな事件を起こしたのか?その背景を知りたくて、報道されていた容疑者が以前書き込みされたサイトの内容を読みました。


感情がない
心を開ける人が誰もいない
誰かに想われたかった


自身の周りに心を開ける人が誰もいなかったのです。例え身内がそばにいても拒絶されて、心が孤独になっていきます。一人でいる時よりもっと寂しいと感じる時ありますよね。。。


周りの人を大切にできているだろうか?自分の事だけで精一杯。昨日、私、20cm以上髪切ったんですけどね、誰も気付いてくれなかった。悲しいわ。

ハードルの高い就職

かざぐるま

14.02.27 09:10

20代の自殺の理由について、少し調べたところ、就職活動の失敗が多いんだそうです、、
100社にエントリーしてどこからも内定が出ない、等。
1社にエントリーするだけでも相当なエネルギーが要るのに…
大学受験並みの一般試験〜人事部での面接〜社長等重役との面接、といった運びなのでしょうか。
志望動機、自己の長所短所の分析からのPR、までは分かる気もしますが、そこからこの会社に自己をどう活かせるかPRから5年後、10年後の自分は?会社をどう運んでいくのか?PRetc…
十数年前の就活本にはそんな事が書かれていた気がします。
そして他に志望している会社はあるか?の質問には無いと答えるべし。
女子に対しては結婚するのか?したらあなたはどうするか?の質問には働くという建前でいくべし、でも「する」と答えた時点で不採用だろう… あまりにもハードだと思います。 当時私は正社員はムリ!とあっさり派遣社員の道を選びましたが、
今や派遣社員採用も少なく、困難なようです。
精気が吸い取られますね…
もちろん、勝ち抜いていく人もいると思いますが、その先にもリストラのリスクが付きまとうようです…
主人も時折、今なら定年時よりも多く退職金がもらえるよーとお誘いが来るみたいですが(汗)
ここで語られる命の尊さ、自然を愛することとは程遠い世界です…

今朝、石井さんのメッセージを拝読しまして…かなり動揺してしまいました。
私は父の転勤先であった土地で生まれ、両親の地元である北海道に(転校した)戻ったのです。その日から親戚のしがらみに囚われ、当時中学生だった私はもうこんな環境は嫌だ、高校を卒業したら必ず上京すると決断しました…
ですが特に母からは猛反対でした。
父の親戚関係が複雑で、母はその親戚とのしがらみを一緒に受けてほしかったのだと思います。でも若かった私には出来なかった。全てから解放されたかった。
今でこそ皆歳をとって、母はもうお互い歳だからね、昔のことだよーと受け入れたように話しますが、元々神経質なのもあってか、薬の量が半端でないのです、、
父が良くも悪くも無口なのが、今では痛いほどわかる気がするのです…

今年、関東圏でも大雪でしたが、
地元では日常のことで、
私が地元に帰っていれば、雪かきできただろうなとか、親孝行できてないなと自責の念です、、
私事を色々と綴ってしまい、申し訳ありませんでした。

田舎で暮らすこと・・・。

石井竜也

14.02.27 03:25

この東日本大震災で、被災なされた多くの日本人が、世界の印象として、礼儀や、忍耐、人情を体現している国民として、大きな評価を貰いました。確かに、日本人の精神構造の中には、ある側面そういう風に見える場所も多く存在しています。しかし、田舎で生活をするということは、非常に難しい側面もあり、それは中規模都市や、大都会で生活している人びとには、理解しがたい部分でもあるのです。隣近所との付き合いが、家族より優先される場所もあります。良い意味でも悪い意味でも封建主義で、保守的であることの他にも、人の目、つまり隣近所の目を異常に気にしたり、恥ずかしいことは、その家系の恥とする文化も、日本の田舎と呼ばれる場所には、まだまだ存在するのです。「あの人の顔をたたせなければ、申し訳ない」とか、「こっちはあそこの家には、随分と、人情を尽くしたのに、香典は、これだけか?」とか、人数の少ない土地では、人とのつながりだけが、生き残る知恵、もしくは、方法論にまでなっているのです。家の中でのことは、絶対に他言はしてはならないし、特に、旧家となれば、何回も首長を務めた名士となると、その威力は絶大です。限られた人口の中で暮らすというのは、「面倒」な事との戦いだ!と言っても良いのです。ときには精神的に追いやられてしまう家族まで出てしまうほど、その土地その土地の生き方は、風習、人間関係が複雑に入り組んでいる場所が殆どです。そういう事に嫌気がさして、違う町や、東京のようなあまり人の生き方に無関心な場所を求めてしまう事は、僕にはよくわかります。下町と、オフィス街があんなに違うのには、こういう事実も絡んでいるかもしれません。お互い詮索はせず、限りなく『無関係で無関心をお互いに装おう』つまりは東京の文化の7割方は、東北のそういうしがらみの文化からの脱却を、『気軽だ』と感じる人びとで作られていると思います。まあ、この意見は、人口の少ない田舎で過ごす人なら、全て感じる事だとも言えます。考えてみれば、隣近所のある程度の情報なんか、筒抜けの近所付き合いですから、一旦、村八分にされたら最後、そこで生きて行くにも肩身の狭い思いをさせられます。そうやって、自分達の文化や悪疫を排除してきたとも言えるのですがね・・・。僕は少なくても、そういった田舎の性質を、子供の頃から、見てきました。時には、大人がいやになるほど汚く見えてしまう事もあるし、コミューンというくくりで考えたら、信じられないほど、助け合っているところもあるのです。要するにこれは、自然環境の厳しい場所で暮らす、人間の知恵だともいるのです。限られた資源や、厳しい自然環境で暮らすには、良い意味でも悪い意味でも、形見のせまい生き方をせざるを得ない事も多くあるのです。また、孤立は、田舎での生活の一番の障害です。今ここに書いている要素は、あくまで、「のどかな田舎の風景の裏の事情」というところですかね?だから、ある意味、違う環境から来た人への歓待は常軌を逸しているのか?と思うほど、手厚いです。都会に疲れた人は、その手厚い歓待をその地域の人情と受けとめてしまう人もいて、「ここは素晴らしい場所だから、ここに住むんだ!」と、丸の内の一流企業も辞めて、田舎暮らしを、のどかで心温まる人生の場所と来てしまう人も出てくる。ところが、一晩二晩、そこに滞在するのと、一生涯その土地で生活するのとでは、天と地ほどの差があります。生活を決めたその日から、まずは、その人、あるいはその家族がこの土地に適した人物かどうかの値踏みがあります。もちろん、その価値に匹敵すれば、下手をすると、食べるのに困る事がないほど、隣近所の手厚い保護が勝ち取れます。・・・が、一旦、その土地に適さないという判断が下れば、その時点でもう、その土地には住めなくなるくらいの無視が待っています。都会にもルールがあるように、田舎にもまたルールがあるのです。また、そのルールは、都会の場合でも、田舎の場合でも、非常に厳しい審査なのです。ウェルカムな性格じゃないと、田舎には不向きです。しかも、自分の利権は、自分が守らなければなりません。もちろん、親友が出来れば、ある意味、そこまでしてくれるのか?!と驚くほど、守ってくれる事もあります。大きな都市では、考えられない人間関係である事は、確かです。限られた人口の中で暮らすには、一種の足かせが必然的に出来るのです。それを不自由と感じれば苦痛ですし、これが人情だ!と感動すれば、なじめます。田舎で暮らす事をお考えのみなさんがいらしたら、まずは、暮らす町の人情の形をよく知ってからでないと、御勧め出来ません。しかし、これだけは都会も田舎も同じです。それは、「一生懸命に生きている人は、誰かが手助けをしてくれる、あるいは、見守ってくれる」ということ。いずれにせよ、どこで暮らすのも、そこに自分が、最初からアウトローとして、生きて構わないという覚悟があるのか?それとも、順応して生きて行こうとするのか?の選択を迫られるのは、同じ事かもしれませんね。都会しか知らない人から見たら、「助け合いの精神」と見える行為も、田舎で言えば「お互い様」という事なのです。その風土や土地柄に対して、力んで生きれば、誰も助けてはくれません。まるで100年もこの土地にいるかのような感覚で入って行ければ、確かに、田舎は天国かもしれません。土地をけなしたり、人の心を踏みにじれば、都会だって、排除されるでしょ?その小さな縮図が、田舎という社会なんです。縮図ですから、当然、その色も濃くなるという訳です。原発誘致問題や、市長選挙などで、時々見せる田舎の牙は、本来の人間が持っている欲望と、知恵なのです。それが、純粋なだけに、もろに見えてしまう瞬間を、僕は子供の頃から、いやというほど、見せられました。だから、アウトローの俺は都会に身を潜める決意をしたのです。故郷や、田舎は本当はとても愛しています。だけど、そこで暮らせるか?と言えば、僕には無理なのです。そんな理由もあって、アウトローである俺は、せめてもの恩返しのつもりで、東北の復興や、福島の原発問題を熱心に、考えてしまう訳です。まあ、変わり者のレッテルが張られただけ、確かに、生きやすくはなりましたね。だから、今は田舎の生活も、良いかもしれないとも思っています。今考えてみると、その境地にたどり着くまでの40年近くの道のりだったのかもしれません。でもまあ、考えてみれば、どんな土地にも、良いところと悪いところが、あるものです。「面倒」と思えば、全てが閉ざされてしまう。自分の世界に閉じこもりがちな日本人の気質は、こういうところから、構成されてきているのかもしれませんね。結局、礼儀作法も、その家系のインテリジェンスの証明なのですから。田舎で暮らす事は、結構大変です。だからこそ、俺は、小さな町の人びとの暮らしが、時々、いとおしく見えるときがあるのです。・・・・俺も歳(都市)かな?

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