MIND BBS 〜掲示板〜

結局、

あゆ子。

12.11.04 04:32

自分を整えてリラックスして事にあたらないければ物事ー自分の体験としてのーはまともにとらえられない。でないと勘違いの見方をしやすいし他の人とも何かずれてくる。言葉によるコミュニケーションはお互いをより良く知るためにする。わからないことがあるから、またはもっと親しくなりたいから。悟っている人は言葉を使う必要が実はないのだそうです。なぜなら自己、イコール他者で違いがなくすべてを知っているから必要がないのだそうです。自分自身の内面ー心を知って行くことは結果、他の人を知って行くことにもつながりますね。

放射能と友達

愛うさぎ魚

12.11.03 05:59

ネットでも検索しないとヒットはしません
だから、その事が気にならないと出合いません

街の中にあったとしたら、自ずと目に入ります
買い物をしながらまわっていると、忘れていた行事を思い出したりします

あ…もうそんな時期…
CM見てそう思ったり…
(↑年賀状です☆)

放射能の本当のことについては知らない人は全く知らない。

たとえば…私のイメージは、(花粉症の時みたいな感じで)街の中にもあふれていることです
貼り紙や広告もたくさんはってあって…
食料品、衣料品、関連グッズ、健康食品、対策法…など
中には便乗してまがい物があったりして…いらないものもあふれるけれど、消費者はあふれる中から選んでいくんです。

私がいつも行く近くの大型も中型のスーパーにも、放射能の冊子すらありませんでした。
…もしかしたらあったのかもしれませんが、全く気がつきませんでした。

私があわて出したのは遅かったな…と思っていました
周りに話してみて、友達にも話しています
知らないんです…みんな…
中には今からあわてる人もいると思う…
でもそんな感じなんです。

本屋さんで感じられなくなって、気持ちが悪いって…実は吐きそうな感じだったんです…
自分でもこんな気持ちになるなんて驚いたんですけど…

久しぶりに友達に会えて、それ以外にも本当にたくさんの話をしました。
自分の話しをこんなにたくさんしたのはすごく久しぶりでした
大体は子どもの話しとか、どうでもいい話しとかだったから…

私のことがうらやましい…という言葉をまた聞きました。その度に驚きますね…隣の芝生は青く見えるんだなぁ…と思います。
よく話を聞いてみると、あらためて私はしあわせなんだな…と思ったりします。当たり前になっていたしあわせに気がつかせてもらうんです。

気が合う…っていいますよね。
お互いがどんどん素直になっていくんです
気持ちがわかりあえるんです
本当に大切な時間を持てました
お互いがもっと会いたいけど、なかなか会えないんですよね…
1年に1回…数ヵ月に1回…会えるかな…
いつも近くでこういう話ができる人がいればいいな…と思ったりします。
大人になるとこれはなかなかむずかしいです…

前に…実はねってもう過ぎ去ったことを話した時、悲しい顔で知らなかった…って言って泣いてくれました。
ひとりで抱え込まないで、聴いてもらって素直に甘えればよかったな…ってその時にも思いました。
私も自分を頼ってくれたならうれしいです。
出来ることしか出来ないけど。
悩んでよくわからなくなっていたら、話してるとだんだんとわかってきたりするんですよね。
心に響くいい言葉をかけてもらいながら、進んでいくんです…希望と勇気ですね
お互いを思いやって
お互いのしあわせを願いながらの時間は暖かかった…
だからちゃんと次につながる約束をして、心から『またね♪』って言い合うんです。
次に会うときには私もみんなもきっと次に進んでいるでしょう…楽しみです。

私はそう思うと…しあわせが増えているような気がしました。
今あるしあわせを大切にしたいな…と思って過ごしています。だからかもしれません。
『辛』から『幸』に変わっているかもしれません。

ただ、放射能のこと…事実が事実だけに、ひとつ本当のことを知るとダメージが大きくて…
この前ネットの動画を1つ見てみました…あまりの衝撃に次々には見れないんです
本当はまとめて見ようと思っていたんです…
…もうどうしようかと思って…探して探して…『人とは』みたいな本を読んでみるんです…少し読むといろいろ考えるんです…
だからたくさんの事実を知ることがなかなかできないでいます…
でも私にはそれが精一杯のペースです…すみません何もかも遅いです…

話しをする相手によって反応は様々です。
知らないほうがよかったかも…って言う人もいます。
小さなお子さんがいる友達に会ったら話を聞いてみようと思っています。

自らが動く

senka

12.11.03 01:08

喜怒哀楽って、自分の中で、自分が感じて、表すものですね。
喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで。
何かを見て、感じて、感情が様々に変化すること。
いつも喜んでばかりだとか、怒ってばかりだとか。
自分の状態が偏っていないか。
変化をすることがとても大事な心の起伏です。
ほんとうの心の働きだと思う。
それが人と人の間で表現する事を、許し合っている関係の中で生きているのか。自分の生きる場所。活きる場所で、喜怒哀楽を言葉にすることができているのか。
その日々は心を養い、鍛え、邪から身を守ります。
それは自分の中の光でもあり、先の道の灯にもなるものです。
自分自信の足下でもあります。
誰かが与えてくれるものではない。
自分が見て、感じて表すもの。

迫りくる…

叫びようもない…

12.11.03 00:07

すぐそこまで迫ってきている現実が…あるのに…気づいているはずなのに…
近隣の国のネット等の言葉を…あやふやなまま解読して…不安に陥る国民の気持ち…それを嘲笑うかのような…一部の団体…気のせいとはとても思えず…身動きもとれない心境…。
嫉妬や恨みなんて…言ってる場合でもない!2の次です…。
例えば命が消えそうな状態の時…

焦らないようにしても… もう…迫ってきているんです。
どうすればいいのか…
微かな光の切符…無駄にはしたくない…

怒りも悲しみも癒えない。

あゆ子。

12.11.02 23:15

魂の深い傷を癒せるのは神様の愛だけ。そうでしょうね。こんなに心が弱くなってしまっただけですから。もう二度とこの地上に生まれることがありませんようにー、と謳われる気持ちがよくわかります。

命拾い、か命取りか…

匿名

12.11.02 22:06

入院先を点々とする祖父…
お医者さまは、なぜ、ペースメーカーを入れたのでしょう…。
歩いていく…夢が叶う夢くらい…みせてあげられないのでしょうか…。
このままでは…植〇人間です…。

イエロー・ケーキの実態。

石井竜也

12.11.02 17:59

イエロー・ケーキとは、第一段階の精錬を施したウランの事をいう。世界的にウランの採掘をさせられていたといわれている国でも、採掘されていた時代がある事は、あまり知られていない。つまり、意外にも、世界中で、ウランの採掘は広範囲行われている実態があるという事だ。当然、高い放射能と、ウランによる被曝はその現場では避けられない。爆発した原子炉の何倍もの放射線量の中での過酷な仕事は、労働者には殆ど、それがどんなに危険な事かは知らされていないのが現実だ。こうして、相当数の人間の命と引き換えに、ウランは、掘り出されている。しかも、そこからプルトニュームに生成されれば、ウラン原料の数万、数十万倍もの破壊的な毒性になると言われている。つまり、原子力に頼るという事は、その周辺、強いては地球規模での被曝を促す危険にさらされるという事だ。ちなみに、今の福島は、このウラン採掘場より、高い値の放射線量の中で、人々は生かされているとも言われている。元来、古代人のある宗教でも、近づいてはたたりがある場所として、採掘場には、絶対に子供を近づけなかったという言い伝えが世界中にある。よく言う、「汚れた土地」とか「悪魔の場所」など、言い方は違えど、この強い放射線に古代人もとっくに、気がついていたのだ。そう考えると、完全に現代人は、パンドラの箱を、入っている物を知りながら開けるという無謀で愚かな行為に出た訳だ。開けたパンドラの箱は、二度と閉める事が出来なくなった。生成技術の向上により、より放射能濃度の濃い物が、使われるようになり、MOX燃料に至っては、今の科学では、押さえる事の出来ない破壊的なエネルギーが出来上がってしまった。それを、事もあろうにプルサーマル計画は、エコと言い放って、「もんじゅ」に代表される、プルトニュームのリサイクル計画という、今度はサタンのドアを開ける計画まで考え始めた。どこまで愚かな行為を続ければ人間は、考えるのだろうか?小さな細長くほとんどが山で、川の流れも厳しい起伏にとんだ土地、海に面し、しかも大陸プレートの不安定きわまりない複雑に入り組むこの土地は、地震と、台風、河川の氾濫等の大きな悲劇に見舞われる事が多い。国のほぼ全域に広がる地底の状況には、目を疑うように多くの活断層が張り巡らされており、その数は、今の地質学で発見されている300倍の数があると言われている。大地震と津波は比較的小さなものまで入れれば、100年おきか、20年おきに起こっている、いわば、自然災害国である。そんな、脆弱な土地に、このウランをふんだんに使った原子炉が54基。これはどう見ても正気の沙汰じゃない。青森県六ヶ所村には、既に、核廃棄物が99%以上満杯状態で保管されてはいるが、だからといって安全では決してない。この施設が一旦、爆発でもすれば、北半球は甚大な被害が及ぶほどの量のプルトニュームが六ヶ所村の貯蔵庫には眠っている。しかも、一本ずつの距離は1センチもない。それが何万本と、今も増え続けてている現実。どこにも使い道のないこの核廃棄物を、武器に転用するのは、いとも簡単であるばかりか、殺傷能力は、その国の子々孫々まで影響を及ぼす程の破壊力だ。実は、この武器の名を、『劣化ウラン弾』という。こんな物騒なものを、日本が作る訳がない!と、つい最近まで俺は固く思っていた。どう考えても、原爆の恐怖を二度も味わった国がする事ではないし、反対に、そう言う武器は、反対の立場である事と信じきっていた。だが現実は、目も当てられない状況だった。実はイラク戦争の始まりとともに、劣化ウラン弾の製造が日本でも行われ続けている事は、意外にも知られていない。イラクで使われた実に30%が日本製の劣化ウラン弾である事を、日本人は知らない。今、6〜7年前に使われた劣化ウラン弾の影響で、イラン全土で、奇形児が頻繁に生まれ始めているという。酷い村になると、村人の80%が被曝が原因とおぼしき症状で亡くなってしまった所まであるのだそうだ。日本政府は、たいそう凄い事を、アメリカの言いなりになってやっているのか?それとも経済大国のお決まりの「死の商人」を買って出ているのか?情けない状況だという事を、よく考えてみてほしい。「プルトニュームなんか、飲んでも何でもない、むしろ健康にいい」などと、豪語していた某大の自称原子力推進派の教授達は、何を思い、このような愚かきわまりない暴言を吐いているのだろう。未だに道筋の決まらない政治に、国民の恐怖の限界が近づいている事だけは確かだ。

状況の把握の意義。

石井竜也

12.11.02 12:23

人間は、環境で生きている。自分の周辺の自然環境、あるいは社会の仕組みを小さく構成している会社組織の一員として。しかし、このどれもに言える事は、自分の立場や、状況を、きちんと把握しているか?という事ではないか?と思う。自分の危険な状況を把握する事なく、知らされる事もなく、もしも命をなくすような事があるとすれば、これほどの悲劇はない。例えば、子ども達だ。彼らに何の罪も情報も知らされてはいない。たとえ、知らされても、悪戯に恐怖に苛まれるだけの弱者であるのが、子どもという者だ。こんな罪なき存在を、この時代を形成し、構成し、運営している、大人達の欲望と、愚行で、彼らの未来を、もぎ取る権利や、権威など、この世には存在してはいけないはずだ。この人間世界で一番愚かしい事は、まともな議論もせず、ただ時間を費やし、綺麗ごとを並べるだけで、人の心に危うげな希望だけを、結局、推測の域を出ない情報だけを、歪曲して流し、ごまかしの情報操作で、罪なき人々を、崖っぷちに追い込む愚行。これは、鬼畜生のする事だ。せめて、助からないのなら、人には自分の最後を整理する時間が許されていいはず。その危険度をひた隠しにして、蛇の生殺しのような状態に人民を置く、権威者どもの諸悪は、当然許される訳もない。医者には、患者を治す責任が伴う。それと同時に、本人、または家族に、終焉の宣告をしなければならない義務がある。何も言わず、死を待たせるような事があってはならないのだ。同時に、病人もまた、自分の身体の変調や、自己の責任として、自分のかかった病気と勇気を持って、向き合わなければならない。そして、精一杯、自分なりの完全治癒を目指さなければならない。生きているという事は、病気になろうが、災難に巻き込まれようが、生きているときの瞬間のきらめきを、どれだけ大切にしたかにかかっている。だから、我々は、現実と向き合わねばならないのだ。夢や希望は、どんなときにでも、あるべきだ。たとえ、「そんな事考えている余裕なんかない!」と思っても、心に、光があるべきだ。人は、ギリギリの状態になると、決まってこういう「こんな状況で、夢なんか見られるか!」でも、それは、違う。現実世界と、夢や希望や祈りを持って生きて行くのとは、考える次元が違う。 よく、並べられる、夢と現実。だけど、この二つは本来並べるモノではないのだ。全く別の次元にあるものを、無理矢理言葉面だけで、並べてはならない。現実世界で起こっている厳しい状況は、把握する権利がある。当然の責任とも呼べる。また、『夢』とは、個人個人の救いであり、自由な空間であり、光だ。だから、現実を把握し、落胆しても、立ち上がる勇気を現実世界では持てば良い。『夢』なんか見れない!と嘆く前に、自分が、一体今まで、どれだけの夢を追いかけ続けていたろうか?と自分に問いかけてみるといい。とかく現実に押しつぶされ、それを理由に簡単に自分の夢や希望をないがしろにしてはいなかったか?我々日本人には、いま、この二つの相反する、精神が一緒に胸に掲げて生きていかなければならない世界がある。前を見て勇気を持って生きる事はとても勇気が必要だ。だけど、そういう凛とした態度を、生き様を、子ども達は見て育つ。もちろん、大人のついた嘘も全てを見ての話だ。だから・・・だから、自分の置かれている状況を、きちんと把握し冷静に考える所は考え、夢を見る事を忘れないように、難しくても、均衡を保ちながら生きて行かなければならない。自分の理想や、最高の状況は、そう上手く整う訳がない。それはこういう時代だからではなく、いつの時代でも、同じだったはずだ。だけども、「希望」や「夢」は、人間なら全て、心の奥底に光として、存在しているはずだ。それを絶対忘れてはいけない時代でもあるのだ。それが、輝いていれば、現実の厳しさに直面したり、厳しい状況が言い渡されたときにでも、強くいられる。それくらいの覚悟で、生き抜いて行こうじゃないか!!俺たちはそんなに弱くない。また、弱くては生き抜いて行けないこのも、正直、ある時代だ。たくましく生きる事は何も虚勢をはって生きて行く事ではない。勇気を持って、現実と向き合い、それでも希望を失う事のない覚悟の事である。その覚悟を、勇気に変えて、後ろから押してくれるのが、『夢や希望』なのではないか?と心底思う今日この頃である。

一歩、手前

Yoshimi

12.11.02 08:37

ずいぶん前の事ですが、『辛』と『幸』はよく似てる。
もう少しで『幸せ』になるのが、『辛い』の文字だ。…って
誰かに教えてもらいました。

幸せの一歩手前!
結構厳しい状況ですが、ここまで来たのだから諦めず、ゆっくりでも今の「一歩手前」を、一緒に乗り越えましょうね。

感謝

シー

12.11.02 05:04

夏に癌と告知され、その手術が終わり動けるようになりました。
慌ただしかったなぁ。夏からずっとこの子を残して死ねないって、その事しか考えてなかった。
でも、手術の後に病室に戻ってきて麻酔が覚めきってないボーっとした頭の中にママって声が聞こえてきた時に、死ねないんじゃなくて死にたくないんだって気付いたんです。私、この子とやりたい事いっぱいある。起きなきゃって思った。

今、目が覚めちゃって、談話室にいます。(見つかったら怒られちゃいますが)ここにいると、周産期病棟なので赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるんです。産まれてきたばかりの赤ちゃんの声って、私の中に何かをくれるんです。ゴメンなさい、言葉でうまく言えないですけど… スゴイ素敵な声ですよね。

死んじゃうかもしれないって考えて、初めてどうやって生きていこうかを真剣に考えたのかもしれません。なんて、時間がないんだろうって焦りました。漠然とやりたいなって思っていた事、今やらなきゃ後悔する。石井さんのライブだって行かなきゃ。
今、私の周りの全てがいとおしい。私がここに在る事もうれしい、感謝したい。この気持ちを忘れないで、生きていきたい。


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