MIND BBS 〜掲示板〜

リアルを知ること

リリィ

21.12.04 12:42

これまでの人間にはできなかったことをAIが凌駕していく時代の到来。
そして、バーチャル空間上にある大量のビッグデータ。
一昔前は、これらを処理できるコンピュータが限られていた訳ですが、いよいよ量子コンピュータも実用化され、私たちの生活は今以上にコンピュータに支配されていくことでしょう。バーチャル空間の中に、幾つものこの“世の中”が存在しているわけです。バーチャルの中に、私は何人いるんだろう?なんて考えてしまいます。

このような世の中で、子どもたちには「便利さ」だけを残したら罪だと思うのです。この情報化社会の中で生き抜く力を育てなければいけない。それは、学問的なことも必要不可欠でしょうが、「リアルを知ること」が最も大切ではないかと思っています。コロナ禍になり、オンライン配信などが増えてきて、より一層そのように感じます。何事においても「経験」の価値が上昇してくるはずです。
実際に見たり、聴いたり、触ったり、感じたり、作ったり、行ったり、、、
そのような経験を子どもたちに残してあげたいと思っています。

科学技術は、人類を不幸にするために、地球を破壊するために、存在しているわけではありません。人々の暮らしを豊かにするために発展してきた側面があることを忘れてはいけないと思います。一方で、情報化社会が促進されていく動きも止められません。もはや、利用する側の意識だけでは太刀打ちできないものになっていることも事実です。自分のデバイスに、AIが選んだ情報が流れ込んでくる時代です。石井さんとは視点は異なりますが、電波やWi-Fiの届かない山にでも籠るしかないと、私も思います。そうでもしないと、「人間」の持って生まれた感性を見失いそうです。

手に入りやすいからこそ。

ジャッコ

21.12.02 00:01

石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。お話が難しくて違うかも知れませんが...。
今はTV・新聞等のメディアよりも、インターネット・SNSの方が情報も早くて観てしまいますね。また個々での投稿(様々な事象の報告等)もあり、より状況が把握出来て助かる事も多いですが、中にはあまり考えずにUPする方もいらっしゃるので、良くも悪くもある気がします。
真偽・偏った情報(操作)・不安を煽るものやレッテルを貼るものも。情報収集...手に入りやすいからこそ、気を付けなければと感じます(解ったつもりが上辺だけで、深層(真相)は、あやふやなモノだった...とか)。

海底火山と言えば、小笠原諸島の海底火山の噴火により発生した大量の『軽石』。水産業もですが、海の生物達が餌と間違えて食べたり等の被害も心配になりますが...。でも、場所によっては生物達のコロニーになったり、珊瑚等の自然の再生を促す・手助けにもなっている様ですね...。

メディアという浮遊物。

石井竜也

21.12.01 14:42

メディア、メディアと連呼されていた時代は終わり、インターネットなどの個人的思想の公表という方法論に、世界は変化した。それはまさに、「個人が何を考えているか?」という時代に入ろうとしている。個人の自由が実に厳しい空気にさらされるということでもあることを、僕らは気をつけなければならない。言葉は、その個人の考えを固定化し、物事によっては「あの人は、あっちだから!」と決めつけられる危険もはらんでいる。これは、人類で初めて起こる、思想の厳しい自由だ。人は、名前を隠そうとしても、おそらく当局は、個人名を出すことは簡単なことだろう。これは言い換えれば、人が野生に戻ったとも考えられる、あるいは、人類が一定の集団で生きていた時代から、野生動物のように、個体での団体意識を持つ初めての時代になるのだろう。そこに、より歯止めが効かない、コロナ感染も世界を覆い、個人主義の時代、個人の責任の時代に、移り変わろうとしている。これは、産業革命どころの騒ぎではない。人は「国単位」「団体主義」「集団権利」の崩壊を見るのである。今まで、それを見聞きしていれば、世間の大半を知っていると思い込まれていた新聞、雑誌、テレビ、ニュースも今では、個人が発する媒体にしか映らない。そこで言われているのは、プロデューサーなんかの一個人的意見からの側面でしか無いことを、現代の人々は、老人に至るまで知っている。これは、一つの自然淘汰だ。わたしたちが、声高に叫んでいたメディアの一党独裁が、崩壊に追いやられているのだ。ワイドショーは、井戸端会議以下の存在になり、ニュースは、上辺だけの情報のたった一つに成り下がった。全国放送とは名ばかりで、YouTubeでの視聴が中心の、時間・場所関係なしの何度も見れる録画状態でしか無くなった。人々の関心は、今や、自分の生活や心情をどこに向けていくかにシフトされ、気に入った情報しか見なくなり、その偏りは、メディアが闊歩していた時代より、浅瀬の広い火山島のようになっていった。ここで不具合が生じるのは、決して、高い火山だけではなく、中途半端な高さの浅瀬にできた火山も存在することだ。要するに「福徳丘の場」のような場所が増えたということだ。島にもならない、巨大な噴煙だけは揚げるのだが、一向に「島」になる気配は無い。こういう精神的な場所が、現代人を、異常行動に走らせる。今までは、手の届かない才能や情報を、まるで、コンビニで何かを買うように、簡単に手が届くと勘違いをする。しかも、その商品を作っている人々の顔は見えないし、見ようともしない。その内容物に含まれる成分に関しても・・・・。これは健康的な生活をするには、山にロッジでも作って、自給生活でもしないと乗り切れない状態だと思う。

1日ではつくられない事

美惠

21.11.27 21:50

コンサートを観ていて白い椅子がコーヒーカップに見えた事から、コーヒーを飲む時、飲み方がとても気になり始めました。 幼い頃、父と母と喫茶店に行くとスプーンの置き方等を教えてくれました。祖父祖母も日常で必要なマナーは教えてくれました。それはわざわざではなく本当に何気ない時です。そうしていてくれたから、こんな時はどうするのかなと常に疑問を持ち興味を持つ事が出来たのだと思います。
そして学びます。なぜその形なのか等を。デザインだけではなくきちんと考えられています。でもカップにしても今は紙コップも多く、父と母がしてくれたようにそんな会話に到るかなと感じます。 
マナーも効率優先で消えていってしまうように感じ、寂しい気持ちになります。私はまだまだ学び身につけたいマナー等が沢山あります。
マナーから感じるのは敬意です。その物に対して、周りの人に対してとても大切な感謝や配慮があるからこそ誕生したものだと思うのでその気持ちを忘れず人だけでなく物に対しても接したいと思います。
洋服やお化粧等で着飾ることはすぐに出来ますが、どんなに飾っても内面や普段の自分から滲み出ることは隠せず飾れないと思います。
美しい身のこなし仕草はお金では買えなくて日頃から得ていくものだと思います。それは学習する事も大切ですが、形だけを学ぶのではなくてそこに込められた気持ちを学び大切にしていこうと思うと自然と仕草も優しく配慮が出来る動きになると感じます。
便利で効率優先な物が溢れていますが、効率を必要としない事がありそれを残していく事が必要だと思います。
茶道のように繰り返し動作をする中で感じとる心、それを効率が悪い、意味がわからないから避けるではあまりにも寂しいと思います。

病気の子どもとその家族のために。

ジャッコ

21.11.25 00:01

YAHOO!ネット募金さん。『ドナルド・マクドナルド・ハウス』さんをはじめ、その他にも様々なプロジェクトを応援されているんですね...。

病気の子どもとその家族のために『ドナルド・マクドナルド・ハウス募金』↓
https://donation.yahoo.co.jp/detail/5125001?cpt_n=mcd2021&cpt_m=yjtw&cpt_s=yj&cpt_c=mcd2021_yjtw_yj_5125001

公益財団法人 ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン↓
https://www.dmhcj.or.jp/

新・古の力。

ジャッコ

21.11.18 00:02

石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。
『エネルギー問題』。昔に比べて様々な発明・技術が開発されているのに、エネルギーに関しては余り進んでないですよね?対策にしても。(ケータイ...スマホなんて昔の人が見たら驚きますよね。)......何か・誰かの不都合になるからでは?と、疑いたくなります。

皆様も各自で出来るエコ等をされている事と思いますが...。現代と色々な状況(人口や経済等)が違うかも知れませんが、エネルギー、自然災害・気候変動等、『古(先人達の言葉や研究、歴史・書物等)を調べる・学ぶ』事で何かヒントを得られるのでは?とも思います。もしかしたら、その時代では無理でも、現代では実現可能なものもあるかも知れませんよね。そして、色んな分野の若者達の柔軟な意見・発想等にも、耳を傾ける事が必要だと思います(サポートも)。少しでも長く、奇跡の星・美しい地球と共に在りたいですね...。

本当に、色々な事が起こり過ぎて疲弊しますが...皆様もどうぞ御自愛くださいね。

100年を

美惠

21.11.13 14:49

短いと感じるのか長いと感じるのか、エネルギーの問題を考えていたはずですがそんな事が気になってしまいました。
僅か100年。祖母は100歳近く、その生きてきた道程を思えばものすごく長い期間なのですが、自分に当てはめると100という数字がピンと来ません。
いつからか生きる事より死を意識して生きているからだと思います。1秒先もわからなく人はもろく弱いものだと思って生きてきました。あと100年もと感じる事もでき、自分よりも後に生まれるものを考えればたった100年とも感じます。けれど根本的に人の先はわからないがあるのでやはりピンと来ません。残された時間や生かされる時間は神様しかわからず今日も生きられた、朝、目が覚めれば今日も目が開いたと感謝し過ごさなくてはと思います。
後に生きるものの為に生きる道を作るべきなのでしょうが既にあるものが危険すぎ、それでもそれを使わなくてはいけないもので溢れ300年前の生活を送るならばあまりにも気候等が変わりすぎ同じように生きられるかといえば生きられないと感じます。

環境の変化、自然の変化に関わらず人はそこ、ここに生かされている、いまその状況に生きる事になにか意味があり、元から変える事なんてとても恐れ多いことなのかもそれません。
わずかに発達した知識が、変えられると勘違いし命を操作してしまった。生きる日数が削られていく事は全てが輪になっているこの世界では帰ってきた順番だと思うべきかもしれません。

我々人類に残された時間

石井竜也

21.11.11 20:52

これはあまりにも、現実的問題なため、読みたくない方は、読まないでくださいね。まず大きな問題は、エネルギー問題です、陽イオン電池の危うさにあるかもしれません。他の水素や太陽光発電、風力発電、原子力発電もまた危険度がかなりの確率であると思います。中国では、石炭の不足で1日にこの寒気の時期に暖を取れない状態です。ちなみに北京の位置は北海道より上ですから、マイナスの気温ではないかと思うのです。中国ではもう一つのエネルギー枯渇状態に苦しんでいます。ダム大国と言われるほどのとんでもないほどのダムでの決壊が続き、おそらく、その犠牲者の数は、万単位ではないかと囁かれています。ヨーロッパでも、寒波が襲うのではないかと、囁かれております。温暖化も恐ろしいですが、間氷期にあたるこの頃の気候変動には、人類をも絶滅させるほどの危険性があるのです。しかも、世界経済は、このコロナ禍の時代に随分と、逼迫している訳です。僕は個人的にこう思うのです。この中でエネルギー革命を起こしたとしても、結局、エネルギー対策は、全く変わらないのではないのではないか?いや、もっと逼迫してしまうのではないかと。そうなると、人類に残された時間は、せいぜい100年程度。それが嫌なら、人類は300年前の文明に戻さなければならなくなるのではないかということ。これは、かなり現実味のある話に、今なら聞こえます。

有限。

ジャッコ

21.11.11 00:01

石井さん・スタッフさん方が、SNSにUPしてくださる「石井さんのハロウィンでの仮装姿」。毎年、楽しみにしております。今年も御多忙の中、HOLLOW MANとしての仮装を有り難うございました。
......その御姿を拝見するとやっぱり、GROUND ANGELコンサートへ行きたい・体感したいと思ってしまいますね...。(勿論、御多忙等で開催が困難な事は十分理解しておりますので...。)
私的には、2013年のGROUND ANGEL『HOPE 』コンサートのACTの登場人物、ポロスキン博士...ポロちゃんでのハロウィン仮装が1番衝撃的...恐かったです(苦笑)。

そして、石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。人類...人間は本当に「非力で脆い生物」だなと、様々な事象から改めて感じます。だからこそ、驕らず謙虚に。限りある儚い命...よっぽどの縁(薬師寺執事長の大谷徹奘師の御言葉より)出逢いを大切にしていきたいと思います。

進化させつつ退化している

美惠

21.11.07 14:21

人は優れていて他の生物とは違い特別なものと言う思い込みは、便利なものを作り自然を理解し解明していると勘違いし本来の能力を退化させているように思います。
他の生命は地球の変動に伴い生き残れる形に変化しつつ生きているように思いますが、人は優れた能力があると思い込みとにかく便利で時間も短縮出来るものを作り出し、本来備わった勘を大事に残す事は大切にしてこず、今もしていないように感じます。
他の生命は道具を中心に生きてはいないと思うのです。天気等気象の変化も勘で察知し危険を仲間に知らせ、引き継がれた知恵で安全な場所を探しています。何もなくても強いのは人以外の生き物です。
人が壊して汚してしまったというのは思い上がりなのかもしれません。元からいつ壊れるかもしれない場所に人が誕生していると言う事。明日が必ずあるとは限らなくて、数秒先も不確かなのが生きると言う事だと思います。
全て失った時、他の生命のように察して遠くにいても手段を伝え合う事が出来るように思いません。今のままでは先が見えないです。
無意味に思えると言う最後の文に深いものを感じます。どれだけの日々を越え、どれだけの人が誕生し亡くなり、もっと自然に沿った大切な事が残っていてもいいはずなのに、それは何も残っていないし残されようとしていないから、本当に無意味だと感じてしまいます。
元から備わった能力を進化させるから生きていける。でもそれは面倒で不確かだから道具を進化させる。本来のものを退化させている事は気づかずに。
変動に沿い、進化ではなく退化させているのだから生き残りからは遠ざかっているんだと思います。
本能や勘が優れていれば他の生命との向き合い方も違うと思います。
石井さんの文を読み、一瞬矛盾を感じ自分が感じた事も文字にすると矛盾してしまうのですが、「生きる」ただそれだけの事に向き合う方法が退化しているという事が生きていけない(疫病や災害に戸惑う)に繋がっていると思うのです。

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