MIND BBS 〜掲示板〜

『命の旅』...循環。

ジャッコ

21.06.24 00:13

石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。
私も『十艘のカヌー』を視聴させていただきました。もっと難しく硬いお話なのかな...と、少し身構えて(苦笑)いたのですが。とても人間味溢れる魅力的なアボリジニの皆様で、狩りの道中の会話も私達と変わらないな...なんて(笑)思いながら、リラックスして視聴出来ました。
.......でも、石井さんも仰っている様に、人にとってとても大切な事を語っている映画でしたね(また石井さんが、より解り易く書いてくださったので有り難かったです)。『物語とは長いもの』....大切なお話は事細かく丁寧であり長くなるもの...。それをどう興味を持つ様に、また心に遺る様に話し伝えるか?石井さんも仰っていた「声のトーン」や「間」も重要なんですね...。私は伝える・教える時は必死で、とにかく早く簡潔に...と、なっていたかも知れません(反省しました)。
確かに授業等も、ドンドン省略というか「ポイントだけ」覚えるとか「暗記」とか追われている様な気もします。この期間に勉強を詰め込むみたいな、でも本当に大切な過程は取り除いたり。それは先生・学校というよりも国の教育方針なのかも知れませんね?(熱意のある先生も多いと思います。)

狩りの道具以外は現地調達。そして「ゴミ」を出さない・無駄にしない。自分が死ぬ時でさえゴミを出さない。全て「自然に還る」んですね...「循環」している。本当に、人という生物としての人生...『命の旅』みたいですね。「生」を受ける・命の終わり「死」にも祝福を。そして風になり池の魚に還り「自然と1つ」になる等の死生観。また森羅万象に神宿る所は、日本の八百万の神の考えとも似ていますね。
掟・責任・教訓等の根源。そして例え「争い(戦)」が起きても復讐は「負の連鎖」を遺さない形に...次世代に継がせない・禍根を残さないように。日本の「仇討ち」にも似ている気がします。ただ、戦に行くのは「御高齢の人」。若者は残り、家族達・村を護る...未来を担う存在なんですね。そこは日本・世界とも違う...でも本来はそうあるべきですよね?未来ある若者が戦地へ送られるなんて.....。
また、お話(映画の作り方も)が面白く入り易い・興味を引く感じが、日本の「落語」にも似てるなと思いました。「意味」を持つ歌や踊り・化粧、呪術師も....何故か懐かしく身近にも感じました(古の記憶・血なのかな?)

十艘のカヌー....その造り方・出来も造り手それぞれの特徴が出たり、未熟な所は年長者が教える。狩りは「船出」にも似た、新たな大人の仲間入り・スタート。それでもまだまだ未熟で。段々と立派な船を造る事が出来て...それはやっと一人前、一家の主にもなれる証なのかな?そして、今度は自分が次世代へと教えていく...掟・責任と共に。生きる術・心持ち。私も、物語を通して『命の旅』を擬似体験した様な......自然に還った・触れた様な気持ちにもなりました。

私達のお手本に...見習う所が沢山ある、とても感銘した映画でした!本当に有り難うございました...。

大切なお話と十艘のカヌーと

美惠

21.06.23 06:34

最初に感じた映画の声。単調で静かだからこそどちらとも捉えられます。笑っているけれど、怒りや悲しみを感じます。
人は、自然の一部。神様が創造された一部。だから他の動物や自然と同じようにそれぞれの性を持ちそれを大切にし、命の操作もしない事が自然で、命が終わる時にはここにいた証とそちらへ戻りますという舞を踊るのだと思いました。
この映画を見、石井さんのその後のお話を聞きさらに大切なお話を読み、神やスピリチュアルではなくもっと目に見える事が死生観だと言う事を今も尚考えています。
十戒のようなは私も思いました。でもそれは神に近くどちらなんだろうと。今やっと気づいた気がします。
日常生活で目に見えない物は切り離しているのが現代で、本当は動物のように何万キロと離れていようが、生きる為の知恵をテレパシーで伝え合ったり、身の危険を勘で感じたり、悪いところは自信が持つ力で治癒させたりすることが人も動物だからできるはずなのです。なのに今ではその能力は欠け、不思議な事とされています。
アイヌ民族の考え方にも繋がりますが、ありとあらゆる物に神は宿ると言う事を普通に感じているからこそ、神は特別けれどいつも目にしているものなんだと言う事、それは目の前の人であり自分でもあり、光や水であると言う事なんだと思います。
人の能力は使わないと退化します。文明が発達し必要な能力まで消してしまい、医学を発達させ踏み入れてはいけないところまで踏み入れてしまっている。五感で感じるべき事を感じる時間さえ惜しむような現代では、とても自然の形とは言えず、生きづらくて当たり前でなんの為に生きているのかとなる事が当然だと思います。
この映画からヘイワ・ノ・セカイの歌詞が浮かびました。
本来の平和のあり方。心を通わせることだと思います。目に見えている事だけではなくてそこに動く気持ちを察する、それが出来たなら危険が迫っていても敵に知られず伝え合うことが出来ます。互いを深く見つめ合うから出来る事を今は何でも科学で解明し、形にしてしまう。それでは当てはまらないことが多々あるというのに。
映画の最後、私は皮肉でいっぱいだと受け止めました。本来の生き方を大切にしてはいるけれど、罰を与えるのに他の手段は無いものなのか、それ以前に奪い合う事は如何なものなのか、仲間を守るために行われている罰、その間にとても頭の良い人(ずる賢い人)が、自分の利益になるようにコントロールし、横目で見ながら幸せを掴んでいる、本当は自然に沿って生きる事こそ正しいのだけれど、正直者が馬鹿を見るような世の中なのかもねと思えたのです。
果たして、その正直者さえも本当に自然の神の意向に添えているのか、他の生き物から見れば失笑したくなるのが人の有様な気がします。
個性、個別の性、個別の在り方、らしさは必要でそれを尊重していく事ももっと大切にしていかなくては行けない事だと思います。
自然にパターンや現界はなく、科学で解明していると思う事自体、人間の傲りだと思います。
最大の危機に直面し必要となる事は、本来の在り方、本来持ち合わせている能力だと思います。だからこそ、他の生物の命と在り方を参考に学ばせて頂き考え直して行かない限り次々に訪れるピンチは越えられず未来もないのだと思います。
忠告されている間は、まだ許されているのだと言う事を受け取り、弊害が起きているところに問題があるという事を見つめなくてはいけないと思います。

大切なお話

coco

21.06.21 20:55

拝見しました。

目から涙が出たのですね
普通です。

輪廻転生のお話ですか?
原始的な時代にはよくあるのではないでしょうか?
古代日本にもその様な物語も実在していたのかも?

現世の父や母が遠いいつの日か生まれ変わって
兄妹や親子が入れ替わって再び巡り会う
親戚の叔母や叔父が祖母が祖父が
つまり遠い祖先が生まれ変わって再び巡り会う
素敵なことなのか因縁なのか
複雑に絡み合う糸なのか
現世で巡り会う奇跡
そこに何か意味があるのか

時々、考え込んでしまいます

解釈が違っていたらごめんなさい
なぜかその様な気がしました





十艘のカヌー

のんこ

21.06.20 15:16

アボリジニは目に見えぬものの存在を生活のすみずみまで生かし、自然の摂理に従って生きて死ぬことを実践している。それが映画に表現されており、そのようなアボリジニの死生観や人としての在り方を羨ましく感じる自分がいました。

私を含め、いかに現代人が目に見えぬものを生活から分離して考え、蔑ろにしてきたのか?科学・経済至上主義に嫌悪感を抱き、頭では自然との共生だのスピリチュアルだの「お天道様がみてござる」だのと思いながら、やはり実践できていない。

しかしながら、アボリジニの死生観で人生を送ったら、この掲示板に書き込むこともできないし、石井さんの歌声を聞くこともできない。おそらく。
それでは困ります。

ユーモアと利他愛を忘れず、私たちが生まれたこの時代、この世界を生き抜くしかないのだな、と思います。
そのためには、石井さんが仰る「考えることから始めよう」、そして石井さんが様々な活動をとおして形にしているように、私たち一人ひとりが、自分にできることを日々の生活で実践していくことが大切だと思います。
消費者として、保護者として、労働者として、市民として、国民として…この社会で生きていく中において、一人ひとりに様々な役割がある。その役割を最大限生かす手はないと思います。

アボリジニにはアボリジニの生き方がある。
日本人には日本人の生き方がある。
『十艘のカヌー』の映画で、自分の生き方を省みることができました。
視聴の機会をくださった石井さん、ありがとうございました。

十艘のカヌー

愛虹ことり魚

21.06.20 00:39

縄文時代がなんか好きで。
石や骨で作った道具を見るの、なんか好きで。
どうやって作ったのかなとか、どうやって使うのかなとかいろいろ想像します。
縄文土器もいろいろあって、土偶もいろいろあって、いろいろ気になります。
縄文の住まいも、見かけよりも中に入ると意外と落ち着くとか。

ちょうど、縄文時代を映像で見たいなって思っていたところでした。
縄文時代の物語。
なので、縄文時代にも想いをめぐらせながら観ました。

大切なおはなしがいっぱいだったんですね。
あらためて考えてみることが、いろいろありました。
自分の中のいろいろと重ねたりもするので、今でも想いがいっぱいなのですが、またいつか観たら、新たに感じることがあるんだろうなと思いました。
想いがあふれてくる映画というのは、すごいなと思いました。
また観たいなと思う映画って、すごいなと思いました。
どうもありがとうございました

大切なお話。

石井竜也

21.06.18 01:17

僕は今日、オーストラリア映画「十艘のカヌー」をオーストラリア大使館で鑑賞して来ました。ありがたいことに、その場で映画の感想と自分の思いなどお話しする機会を設けていただきました。ここで、僕が色々と勉強になった点を、是非、皆様にお話ししたいと思います。観てきた映画は、全篇アボリジニ(オーストラリアの先住民族)の言語で構成され、アボリジニの意識や信仰、死生観や生きていく方法と哲学、男と女、家族や友人、子供達を守る方法論など、とてもじゃないが、僕らがその問いに困り果ててしまうような質問に、最も簡単に、しかも、笑いと誇りを忘れずに、紡いでいくストーリーテリングの方法論(語り部が、ある物語を語っているようなスタイルのこと)を取った、実に見事な自然を映し出した映画でした。デジタルで作り上げたわけでもなく、写りが陰でも全然気にせず、つまり、自然さえも、そのままを上映するような真実味のある表現でした。今の映画の、ほとんどが色彩を調整していますから、やたらとジャングルが緑だったり、曇り空をわざとCGで青空にしたりしますが、そんな手の指先の操作など、一切感じませんでした。そこで語られていたことがあまりの直球であり、誰しもが心に持つ感情と、自然界に生きる厳しさと喜び、人間であるが故の嫉妬、恋愛、憎しみ、恨み、これをどのように、賢く最小限の罰と、謝罪で済ませていくか?命とは一体なんだろう?・・・このようなとても、この文明社会とやらが、忘れてしまったお話を、ただ、淡々と、演技とも、自然ともつかないリアルさで作られた「十艘のカヌー」という映画でした。この中で語られていく話の深さと、生きて行くためのまさに「十戒」と言っても過言ではない、生き方そのものの奥深さに圧倒されました。まずは、僕が目から涙が出た言葉を、ご紹介しましょう。その先はあなたが考えてみてください。「私は魚だった、父が母を呼び寄せてくれて、お前の母親だと言うので、私は、そのお腹に入った」ここから物語は始まります。とっても素敵な話の始まりでしょう?次は「その昔、今から太陽が途方もないくらい上がっては落ちた時間の昔、ある村に、とても勇気のある戦士であり、良き夫であり、良き父でもあった男がいた(リジミラリル)。この男には3人の妻がおり、これは、野蛮なことではなく、勇気と責任感、そして何より愛があるからである。この昔話は、まだ、狩りもジャングルでの生活も慣れていないある若者(ダインディ)に、村から尊敬を受ける彼の兄である一人の男(ミニグルル)が、自分たちの先祖の話として、じっくりと語っている・・・という始まりだ。その若者は、自分の興味のある色恋の話ばかりを聞きたいとせがむ。そこで兄が言う言葉は「いいか、とても大切な話をするのには、十分な時間が必要なんだ。樹木と同じで、幹だけを話すことは愚か者がすることだ。土、雨、日差し、根、枝、葉の話をせずに、樹木を教えるとは言わない。昔話の中で、やがて、その勇者の男の二番目の妻(ノワリング)が、忽然と消えてしまった事件に移るのだが、妻が消えたのは、どうも、この間、よろよろと村に入って来た全然違う、言葉の通じない部族(アボリジニの言葉と民族は120以上ある)の男が怪しいと、勇者の男は嫉妬に燃えてしまう。嫉妬は男の判断を狂わせ、全く関係のない、同じ言葉を使う違う村の男を、勘違いで槍で突き殺してしまう。勇者の男に付き添っていった一人の老人(ビリンビリン)は、部族同志の大変な戦争になることを恐るあまり、その死体を隠した。「いいか、悪い精神で行ったことは必ず隠しおおせることはできない。それは、自然ほど人間は完璧ではないからだ」。やがて死体を見つけた部落の戦士たちは、槍の作り方、突き刺さった槍の削り方で、犯人を炙り出してしまう。「人の作ったものは、その人の癖がある。どんなに隠しても、犯人を探し出してしまう。偽りは、一番の隠れ場所だから・・・光が漏れるのさ」。そこで二つの村の男達による、罪のない男を殺した罪の深さがどれほどのことなのか?を篝火を囲んで裁定が行われる。ここは裁判と同じように、どっちの村からも、人生経験豊富で懸命な長老がひとりずつ、ついている。罰は決まった。勇者の男は、殺された部族の戦士たちの槍投げの槍に当たらなければ、罪はそこまでとする。しかし、当たって死んでも、どちらもそれ以上の事はしないというルールなのだ。いざ、槍が投げられると、勇者の男は最後まで槍を交わしていくが、最後の槍まで体力が続かなかった。男は腹に深傷を負いながらも遠い道のりを歩き通して、血だらけの体で、自分の家で倒れた。妻たちの看護も虚しく、男の命は、消えようとしていたが、そこに現れるのが呪術師でもあり、司祭でもあるような、村の冠婚葬祭、狩の豊漁などを占う占い師でもある人物。体に、泥絵具で見事に全身を染め抜いた男が、勇者の男の横に陣取り、人払いをする、死にゆく男の耳元で彼はこう言う。「お前の周りには今、死んだお前の父親が来ている。もうすぐこの体は動かなくなるが、心配する事はない、お前自身は風になり、ずっと、村の池で渦を巻いていくだろう」。ここまで言う司祭は、流れる涙を拭わない。この男のために、心からの別れをしているのだ。残された女達は声も枯れるまで泣き続ける。そこで起こる事は壮絶な事である。勇者の男は最期の力を振り絞り立ち上がり、死に際に戦士だけが許された踊りを、火の周りで、痛さと死にゆく体に鞭打って、死の瞬間まで踊るのだ。やがて、屈強な男でも、倒れる時が来た。段々と、死に近く頃には、女達の歌に変わっていく「私のお腹に戻ってきなさい、わたしの子として、生まれて来なさい」と、叫びのような歌を泣きながら歌うのだ。なんと優しく、荘厳に人の死を讃えているのか。でも、その歌や妻達、村人、友人に向かい、彼は最後の「ありがとう」の意味で、指を何度も動かすことで答えているのだ。・・・男が死んだ。・・・死とは、彼の父親が来て彼の心臓を止めてくれたのだ。
アボリジニの死生観は、ソウルとか神とか、スピリットとかとは違うように思えた。もっと、見えるもののように感じられる。彼の遺体には、村の池で風になり、父親と遊べるように、池の絵と魚の絵が描かれる。物語のお仕舞いはこうだ。「人は3人の妻を持てるかもしれないが、それは3人の命に責任を持つということだ。そして、食事に困らないように、子供達の世話に困らないように、大人にならなければならない。嫉妬などはしてはならない。嫉妬は人を狂わせるからだ、でも、妻を持てないものがいても、決して、馬鹿にしてはならない。人とはそういうものだからだ・・・だから、歩きなさい。生きている限り、生きなさい」これがこの映画のラストの言葉です。これ以上の言葉が出て人生教訓としてあるでしょうか?寛大で、命と、秩序を重んじ、殺人は許されない行為、それも、隠したり、嘘をつくことは、自然の万物に失礼な行為であることを、暗にこの物語は、深く語っているのだ。笑い飛ばしながらね・・・


追伸

 日本にも、アイヌ族という先住民族がいます。この話は、
 また今度、詳しくことの経緯と、彼らの明治政府による
 弾圧の歴史とともに、お話しさせてください。
 多分、驚いてしまいますよ。

第二弾!

Coco

21.06.17 21:15

笑いました!

ここ数日、人間関係できつい日々が続き
滅入っていました

久しぶりに心から笑えました
石井さんのコント

この様な時はコントや歌がいい

ただ..落とし穴に人を落として皆で笑う?
なんて時代になってしまったのですね...
なんだか社会の縮図見せられた様な気持ち
どうか子供達が一人で見ませんように

今の子供達は塾で忙しいのかな?






歪。

ジャッコ

21.06.17 00:17

石井さんの書き込みを拝読して(有り難うございます)。
動物等の乱獲による絶滅・又は絶滅の危機。保護も増えれば「数の調整」という間引きや、中にはハンティング等の娯楽・お金儲けに利用する人間も...読む程に人間とは罪深い生物だなと感じます。
どんなに科学が進んでも、人間が命を自由にする行いには必ず「歪み」が生じると思います。例えば自然界に存在しない生物を生み出す(厳しい環境でも育つ、食糧難対策という名目で)。結果、自然のバランスを壊し人間をも脅かす存在になるかも知れません。
「淘汰」も人類にも当て嵌まる事を忘れてはいけませんよね。増え過ぎた人間も間引かれる...疫病の歴史もその1つかも知れませんね。......ただ、財力・権力等を持つ人達が最新科学・医療等を駆使して、結果多く生き残り、また愚かな人類の歴史を繰り返してしまうのでは?とも思ってしまいます。

生きる為に欠かせない食物。代々、畜産農業・漁業等を営む方々もいらっしゃいます。戴く命への感謝・敬意等を忘れずに大事に戴く。改めて「戴きます」「ご馳走様でした」の言葉に重みを感じます。
度を越さないように。先人・ご先祖様達は、自分達や村等が食べる分(お裾分けも)だけを...次へ遺す・繋ぐように収穫をしたり。売買も決められた量を厳しく守ってこられたと思います。あらゆる自然・生物との共存を改めて考えさせられます。

そして「核戦争は、起こりません」のお話。地球を破壊しては元も子もありませんよね。ただ核(原発も)が有る限り、誤作動・又はサイバー攻撃され核が爆発...は有りそうな気がします。
電子機器・食品・薬・有害物質等に晒されている人類...順応しているのか異常なのか?もう「自然界の生物」とは言えないかも知れませんね?人間という生物...地球にとって「歪な存在」なのかも知れません。それでも人の情や「過去から学び・今に活かし・未来へ繋ぐ」事を......信じたいです。

こわいのは。

Y

21.06.16 17:48

持病あり、薬を使わざるを得ない身としては切なくなります。
食べ物も、家族の健康と地元の生産者さんにエールを!
と、できるだけ道産、できるだけ国産、できれば無・減農薬を選んでいるのですが。。。

昨年亡くなった母は、「人間がいちばん恐ろしい」とよく言っていました。開戦の月に産まれた母の言葉。13年前に逝った父が晩年「イヤな世の中になっちゃったなぁ」と、ポツリと口にしていたことも忘れられません。

せっかく先人達が命を繋いでくれたのに、数々の苦難を乗り越えてきたのに、持ち得た技をよい方向へ向けることができない人間。地球上の生き物として生きていくためには適応と共存が大前提のはずなのに。

私に何ができるだろう?と、平和を支えるはずであろう教育に関わる仕事に転職してから10年。教育業界もなかなか大変(汗)
子どもたちに見つめられたら、嘘はつけない。相手が何歳でも。この子たちにとんでもない世の中を引き継がせるなんて、嫌だ。

デジタルの世界は素晴らしいこともできるけど、恐ろしいことと表裏一体。そして、凄いようで脆い。万能だと思ったら足元をすくわれるのでは。どんな技を手にしても、人間は動物。

母の死をきっかけに、母方のいとこが平和活動に見を投じていることがわかりました。親子ほど歳は離れていますが、メールのやり取りがはじまりました。拳を振り上げるのではない、静かで頑固な闘い。

ところで、重要土地規制法って大丈夫なのでしょうか。。。
本当に必要なのか。なぜ必要なのか。
十分に審議されてきたのか。
国民は理解できるのか。
また採決強行って。。。

核戦争や戦争よりも恐ろしいものは身近なもの

美惠

21.06.16 07:22

と思って、最新の石井さんのメッセージを理解しました。
ボタンと押すで、前の自分の書いた事を思い出しそれは怖くない事だと言われたように感じたのですが、でもタイトルに戦争を入れたものの、戦争さえ必要なく終わらせる事が出来ると書いたと思い読み返しました。
終わらせる、一度に世界全てをではなくて興味を持ち情報収集に優れた能力があれば、なんかむしゃくしゃする、やってみたかったと、他のニュースでの虐殺の理由で聞くような簡単な意志でゲームのように実行してしまえる状態が恐怖です。
大切にどこかの国が保有している核さえ必要がなく、事前に勃発しそうな事さえ全く予想もつかない状態です。一人一人が何を考え企てているかなんて全て把握する事は無理です。
ボタン1つで、私が表したものは利益の為や地位維持の為ではなく、興味やなんとなくが起こす衝動的な理由が蓄積された結果、徐々に身につけた知識が押され爆発させる事です。
それがとても身近にあるという事は、本当に知識の習得、情報収集に優れていれさえすればなんとでもなってしまうんだと思います。
戦争よりも核よりも、毎日口にする物、これは生命維持の為に必要な物がすでに汚染されてしまっている。薬もとここまで、考えを振り返り書いていて気づきました。最新より1つ前の石井さんのメッセージに繋がっているように思います。
根本的な物に手を出してしまっています。神様が創られた仕組みをいじりとても不自然なものを生み出しています。遺伝子の組み換えや命の誕生前からの選択や、不自然な延長、どこかに歪みが起きない訳がないです。他の動物等に比べ本来持つ能力はすでに失ってしまった人間が、どの生命よりも優れ特別だと勘違いし、他の生命を操作しているのにこのままな訳はなく人数を調整されて当たり前だと思います。
人の為に苦しみと悲しみに消えていく命がどんなにあるかと思うと本当に申し訳なくなります。
自分達が発達させた物によりじわじわと自分達を絶滅させる方向に向かっている事は、幼稚園でもわかる、神に触れては叱られると言う事がわかっておらず、自殺行為に向かっている事にさえ気づいていないと言う事だと思います。
心や美しいものや、手間がかかっても自然を活かす事や本来の形を大切にする事を忘れ、一秒に満たない時間さえ利益を優先させている。
人は既に心を失ってしまっていて、動いているのはAIでも持っている心さえない箱同然の大きな物体だと思います。その大きな物体が、他の生命や自然に有害であるならば、神は放っておくはずがなく捨てていかれるはずだと思います。
1番弊害で恐れるべきものは、大きな事でも未来の事でもなく、今現在あるそれぞれの温かくない心だと思います。
お金、学歴、あってないようなもので、他より優れている幸せだと感じる心だと思います。
生命、それぞれの特徴、それぞれの性質、それを生かさなくて未来はないと思います。
既に自然にとって、人一人一人が核爆弾のようなものなのかもしれません。

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