MIND BBS 〜掲示板〜

もう一度考えてみませんか?

石井竜也

21.04.22 13:07

現在、世界に脅威を振りまいている、コロナウイルス対策の現状。確かに、これがある国の科学的発明により、生物兵器という形の攻撃であったなら、これは脅威であり、地球人は、二十年後には、絶滅するでしょう。でも、治せるという知識が少なからずあるのなら、これは兵器ではないと思います。確かに、我々日本も、例外無く、この新型の疫病騒ぎに毎日、戦慄していますが、治る以上、余りにも杜撰な、とある国の汚職や怠惰、汚染が原因であるのは、明らかではないかな?と思うのです。一番怖いのは、このコロナ不況を世界的にしてしまった我々の行動かもしれません。目にも見えない未知のウイルスで、世界が麻痺すると、一部の支配層や、テロリストたちが、そう考えることです。もちろん、そう考えていることでしょう。核爆弾や、核戦争そのものが、抑止力になった時代では、世界のどの国々も、競って、核爆弾の研究と、それを所持することで、国が、強気に慣れて、経済発展すると、勘違いしたわけです。ところが、全世界が、この技術を持ってしまった今、核爆弾の脅威は、危ういながら、均衡を保っています。それは、使ってしまえば、地球が一瞬で、崩壊し、人類の滅亡は、免れない!と、理解され、そのことに世界の民衆が気がついたのです。グレープフルーツ4つ分くらいの、濃縮ウランがあれば、東京を吹き飛ばすことは、容易にできてしまうのです。しかも、その技術は、すでに、個人でも作れるような範囲にまで広がってしまったわけですから、世界での優位性を保つ要素にはならないことを、今の世界は知っています。ところが、原子力発電という画期的な核保有は、いまだに、地球温暖化を食い止める、最善の方法ということになっています。こうなると、まるで、核爆弾は最悪で、原子力発電所なら、平和利用だ!ということになるわけです。しかし、この二つは、情緒的には違ったものでも、理屈は全く同じなのです。日本は、多くの原子炉を保有し、その稼働率は目を覆うほどの脅威です。そこから出る、核汚染物質の中から、核爆弾を作れる廃棄物が、一日に、とんでもない量が排出され、しかも、次に原子力安全・保安院で使えるように、ストロンチウムや、その他、核保有に適した物質を、日本は、純度を上げた状態で摘出し、確実に、地球を何度も壊せるほどの量を、実際には、保有しています。あとは、これを、日本が世界最高水準の技術で作った入れ物に乗せて、飛ばせばいいわけです。日本は憲法で「戦争の放棄」を謳っているし、スイスもまた、永世中立国の位置を謳ってはおりますが、核は保有しているし、世界に名だたる軍隊も持っています。日本も同じです。自衛のための軍隊だから、日本軍ではなく、「自衛隊」であると、声高らかに胸を張っていられるのは、日本には、すでに、あまりある核ミサイルを作れる技術があるからです。国民が知らぬ間に、人工衛星はすでに、相当数を打ち上がり、その技術力は、世界の尊敬を勝ち取るばかりか、脅威としても、見られているのです。日本が、世界の核保有国と違うのは、「持ってま〜〜〜す!」と言っていないだけのことなのです。自然災害の多いこの国に、一体どれだけのプルトニウムが保管されているのか?おそらく、数人しか、知っている人間はいないでしょう。政治家にもわからないほどの量。これは、マッドサイエンティストが、出ないことを、神に祈る・・・という、まさに科学と反対の、せつなる、しかも本当に脆い、願いであることでしかないのです。世界は、いろいろなイデオロギーとプライド、ネガティブスピリットやサイエンスバランスにも汚染されているのです。デジタルに依存する今の現場はすでに、AIなる電子頭脳に人間の尊厳自体が、コントロールされているかもしれないのです。そうなると、この地球上の自然界とのバランスや、人類が巻き起こしている地球汚染など、人類の犯した愚行を、AIは、果たして、このままにするでしょうか?人間より遥かに高い情報、能力を持ち、情緒まで行き着くのは、すでに時間の問題であり、今のデジタルサイエンスは、人間を、消滅させるための疫病を作り出すことも、可能なようにも思うのです。何も、核爆弾を破裂させなくても、人類だけを消滅させれば、地球が復活するという定義が、もし、世界を支配するデジタル頭脳があったと仮定して、人類と地球のどちらかを選択するか?という究極の選択に行き着いたとしたら、間違いなく、人類消滅を選ぶでしょう。僕は、世界の軍事整備より、この運命の方が、相当確率が高いのではないか?と思うのです。今や、こんなストーリーは、破滅的未来を描いたアニメや、映画なんかよりも、ずっと、リアルではないのかな?と思うのですが、ネガティヴに物事の意味を無理矢理、解釈しているわけではありません。現実的にありうるから、みんなで、考えなければならないと思うのです。現在のデジタル世界への盲目的な依存社会では、ここで言われている次の脅威に、コンピューターも含まれたことを、人類は考えた方がいい時代に、きたのではないかな?と、真剣に考えてしまいます。

ワクチンの予防接種。

ジャッコ

21.04.22 00:12

4月中旬に私の両親の元にも、市から新型コロナの「ワクチン接種券・お知らせ」が届きました。
書類を見ると、接種2回分の用紙が同封されていました。用紙の記入・電話予約等は御高齢の1人暮らしの方は大変ですよね...地域のフォローも大切だと感じました。
また接種会場も1番近い所は普段行かない、家からは遠い医療機関。その場所に皆が殺到しないかも心配になりました。接種予約受付開始が4月中旬となっていたので、私がネットから両親の予約を取ろうとしたら、受付開始日が変更(延期?)になっていました。医療従事者の方々もまだ終えていませんものね....。
うちの団地は御高齢の方が多いので遠くの医療機関では無く、もっと近い場所が接種会場に....例えば小学校等で行えると良いのですが。ワクチンの種類・供給量が増えたら可能性はあるかも知れませんね。接種を担当・実施される市区町村の方々も本当にご苦労様です。

勿論、ワクチン接種をすれば「もう大丈夫」ではありませんので、接種後も防疫対策の継続に栄養・睡眠等の体調管理、そして御心もお大事に。今の時季の新緑・花々を愛でるお散歩は心が少し和みますね(ハナミズキやツヅジ・サツキがとても綺麗です)。
また急に気温も高くなって来ましたね。マスクも苦しいですが、人の居ない所で外したり・水分補給をしたりと気を付けていきましょうね...。

新型コロナワクチン情報まとめ Yahoo!ニュース↓
https://news.yahoo.co.jp/pages/20210122

助けるということ

美惠

21.04.15 06:14

誰かを助けるときに思う事は、自分の目線からではなく、その人にとって何に困っているか考える事だと思います。
当たり前の事のように聞こえますが、すごく難しい。人は自分が経験したことからしか想像出来ず体感も出来ないから。全て自分の中だけの範囲でしか憶測出来ません。
石井さんの文中の自然という意味を考えました。とても自然という事は、相手にとって普通という事、例えば私は右利きですが私にとって便利な事は左利きの人にとっては不便なのです。階段の手すりでもとても不便だと思います。支えるはずのものなのに、相手に寄り添わなければとても不便な物になります。
相手の事を考えるのですが、基礎に自分の事を深く知らなければ、何に困っているのかさえきっと見つめられないと思います。
私の祖母は、字が読めません。病院で伝えても直後に看護師さんが祖母に、お名前住所あっていますか?と直接訪ねたりします。
字が読めない、目が悪く見えないと判断されてしまいます。祖母の字が読めないは、幼い頃体が弱く学べなかったからです。私には当たり前の日常でした。なので、字が読めないが理解されなかった事に衝撃とショックを受けました。電動ベッドも、自動で出るお茶も便利なはずなのにすぐ使えないのです。この色、この形、押してねと何度も繰り返し教えるのです。この作業は、家族でしかできなくて完全看護と言われても完全ではありません。普段からこう言えば祖母に伝わるがわからないと出来ないのです。この便利なものに出会うたび、胸が痛みます。起き上がりもお茶かお水かもそれさえもすぐに動かせなくて、間違えたら怪我や火傷の恐れがあり、それが病院にあるなんてと思う。助けるはずのものが凶器にもなります。看護師さんにその事さえも伝える事はとても難しいです。
昔から、何故か心を救う機会に出会います。その時も、まずは自分の経験やわかることから推し量ります。その域からかなり超えて行かないと相手を救えません。同じような経験であるだけで、同じ経験ではないから。誰かを救う時、それは自分が最大に学ぶ時だと思っています。一般的に言われている、転がっている物では救えません。当てはめるだけでは解決に向かわなくて、もっと傷つけてしまう事になる。聴き方や角度を変えてやっと知っていけます。そしてそんなふうに感じそんな事に傷つきそんな事で解消されるのだと知り沢山学びます。救うという事で救われているのかもしれません。
今、世の中の流れを見ていて思います。間違った正義感に溢れていると。正義だと思っていることになんとなく賛同し声を揚げる。人数も多数だから乗りやすいのでしょうか。一旦受け止め自分の中で整理し訴えている姿には到底思えません。
祖母にしても、助けたいと思った相手にしても救うにはものすごい過程が必要なんです。自分のわかる範囲から記憶を呼び起こし、その上でなにか深く探る。なのに、あっという間に正義だという声があがっていくなんて、とても考えられません。少なくても間から自分を深く知っていれば、立ち止まる事は必ずすると思います。
一見、正しいということに安直に乗るということが、とても恐ろしい事に加担するという事を忘れないでいたいと思います。
自分を知るは、体の仕組みも心の仕組みもです。とても置き去りにされているように思います。
人の体である事があまりにも当然とされすぎていて、根本の見つめ直しがされるべきだと思います。

熊本城。

ジャッコ

21.04.15 00:02

14日、そして16日の本震と2度の震度7の地震が発生した「熊本地震」から5年になりますね...。改めまして震災により犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

各地もですが、鹿児島県のトカラ列島近海でも地震が相次いでいて、気掛かりな事と思います。
......そんな中、「熊本城天守閣の復旧工事が終了した」とのニュースを聞きました。色々な御心....皆様が少しでも元気に、勇気付けられますように。そして多くの方々に、立派にそびえ立った雄姿を見せていただきたいなとも思いました。(復旧工事等に携わっている皆様の懸命な作業・御力は本当に凄いですね....。)

「くまモン」に「熊本ヴォルターズ(Bリーグ)」の皆様も、変わらず応援して参りますね。

よみがえれ熊本城 〜みんなの思いを再び〜 NHKオンライン↓
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kumamotojo/index.html

熊本地震から5年。引き続き、あたたかいご支援を Yahoo!ネット募金↓
https://donation.yahoo.co.jp/promo/kumamoto/?cpt_n=kumamoto2021&cpt_m=yjtw&cpt_s=yj&cpt_c=kumamoto2021_yjtw_yj

追伸・・・沖縄の首里城も、支援や再建が進みますように....。

自分を知ること

美惠

21.04.11 02:10

自分を知る
本当に大切なことだと思います。
自分を知れば、全てが同じ事が平等ではないとわかります。
私は、今の世界が平等としている事はとても苦痛です。
私は女性として生まれました。男性との体格の差があり、力の差があり、思考回路の差もあります。これが全く同じことが平等とされるなら、しんどくて仕方ないのです。同じ事を同じ力量で頑張らなくてはいけません。沢山の声が、差別だと上がっていますが、私には理解出来ず、あぁまたしんどいことが増え生きづらくなると思うのです。
元々備わった差があるのなら、それに合わせた生きやすさが平等なのだと思います。

私は らしくありたいです。

有り難うございます。

ジャッコ

21.04.08 00:10

石井さんの3月31日の書き込みを拝読して(有り難うございます)。
確かに「何か起こるのでは!?」と、ビクビクして日々を過ごしても仕方ないですし、勿体無いですよね。「限りある命を大事に使いたい」とも思いました...有り難うございました。
特に自然災害は防ぎようが無いものも多いですし。でも最低限の備え「水や携帯食・塩飴・マスク・笛・ライト・ハンカチ(バンダナ)・救急セット」等は鞄に入れています。普段でも、ちょっとした怪我や空腹時にも使えますよね。

コロナ禍や不穏な世界情勢等で、不安になる事が多いですが.....でも何が原因で何時、自分の人生が終わるかは解りませんし、やはり今を大切に...楽しまないと損かも知れませんね?
心のUpDownはありますが、石井竜也さん・米米CLUBの皆さんの「色々なお楽しみ」を夢見て、踏ん張っていきたいと思います。

......そして4月4日の書き込みも拝読して(有り難うございます)。内容が難しくて理解出来たかは解りませんが...。ただ世界レベルの問題に国々が関わる時は、例え人助けでも、慎重に事を運ばないといけないのかな....と思いました。(ミャンマー軍の、実弾を市民へ使用するのはやはり間違っていると思いますが。)
まだ平和な方の日本で暮らしている私には解らない、その人達の主義主張・正義があるんですよね。その人達の立場(人生)にならないと、本当の意味で理解出来ないでしょうし、差別・憎悪等も根深いのかもと思いました。
「根気強く・地道な努力」.....何事もそうかも知れませんね。有り難うございました。

これらの言葉の本意。

石井竜也

21.04.04 03:15

主義主張、道徳教育、精神性重視、潔さと諦めの違い、慈悲深い心、根気と追及の学問、人生の喜び、人間らしい生活、清貧、心根の強さ、武士道、優しさの本当の意味、幸福感の探索、事故発見の努力、嘘と真実を見分ける力、言葉ではなく胸の中で何を考えているか?ということ。愛するという意味の世界的な価値観、まだまだ、並べられますよ。お偉いさんが、しょっちゅう使っている言葉の羅列でした。・・・ここで皆さんに、言っておきます。この言葉の全てが、世界中で多かれ少なかれ、いい言葉としては受け入れられています。でも、世界の国々では、この全ての言葉の意味が微妙に変わってくるということです。それは、こちらが正しいとも言えないし、あちらが、全て悪いとも言えません。ここからが、今回言いたいことなのです。「人を助ける」という行為は、とても勇気のいる行動ですし、なかなか出来るもんじゃあありません。なぜか?・・・それは見返りを求められない事だからです。困った人を助けるという行為は、一見、「正義」に感じます。正義ですから堂々としてもいいのか?ということにもつながってきます。いいですか、世界は、色んな文化文明、経済事情、政治的方向性、人柄も、気候によっても違うし、食べ物でも違ってきます。もっと、細かく言えば、生きている今日によっても全然違う見解が生まれてしまうのです。そう考えると、「じゃあ、何もやらない方が、・・・放置しておいた方がいいの?」となります。でも、それも違います。ぼくはこう思うのです。「人を助けるときは、自然じゃなきゃならない」そこに一抹の、プライドも持ってはいけないのです。これが出来るのなら、「人助け」もいいでしょう。結局自己責任の取り方が、できうることは人は全て、社会的地位とか、役割なんかで違ってくるってことです。ですから「自分の分を弁える」ということがどんなに大切か?というところに結びつくのです。ましてや「正義感」なんて、国によって全く違うことを、想像しましょう。頼まれてもいないことをしたが故に、全ての信用を無くすことだってあるんです。今、欧米諸国では、ヘイトクライムが大問題になっています。これは東洋人に向かっての、人種差別です。アメリカで言えば、士農工商に似て、白人、ヒスパニック、黒人、黄色人は、かなり低い位置です。悲しいですが、ある地域に行けば、顔や肌の色だけがはっきりした特徴だからです。それでも、日本人はまだ、何もでしゃばらないだけ、いい方だとは思いますがね。結局は黄色人種に違いません。それはアメリカ映画などの、中国人や日本人の取り扱いを見ても、わかりやすいですね。韓国の整形の文化も、西洋人にスタイルや見かけを近づけることで、西欧諸国の「憧れ」を引き出したいと思ったのでしょう。でも、人間は、結局は中身の問題です。ぼくの友達でも、アメリカでの地位をきちんと築いている日本人も大勢います。しかしながら、それまでの苦労は、とてつもない苦労を強いられてきたようです。彼らは、そういったことについては、話そうとはしません。それはそれとして、あまりにも、ひどい差別行動があったからに他ならないのではないでしょうか?でも、何故か、そういう人たちのプライドは、高いのです。使うべきは武器じゃないのです。暴力でもない。今季と地味な努力でしか贖えない現実なのです。どの民族も、違う言葉で夢を見てるんですから、当たり前のことなのかもしれませんね?自分を知ることから始めれば、世界はあなたと繋がります。目立ったことなど、いらないことなのです。

免疫力。

ジャッコ

21.04.01 00:09

アッという間に4月になりましたね...(汗)。『エイプリル・フール』も、洒落たもの・クスッと笑えるもの等、人を傷付けない・騒動にならないものが好いですね(ネットで拡散され大騒ぎになったりも)。

ワクチン接種も中々進みませんが....早く特効薬・治療薬が出来て欲しいですね。それまで私も、手洗い・うがい・アルコール消毒・マスク着用等の防疫対策を継続して、三密を回避・黙食にも努めます。

新型コロナウイルス感染症まとめ Yahoo!ニュース↓
https://news.yahoo.co.jp/pages/article/20200207

そして免疫力も。胃腸を冷やさない様に温かく消化の良い物を(スープやお味噌汁に野菜を沢山入れたり)。よく噛んでユックリ...も心掛けています。散歩にも素敵な時季ですね。春色の風景を観るだけでも心がポカポカします(水分補給も忘れずに)。
また石井竜也さんの歌や映像を視聴して。心身の免疫力を低下させない様に何とか乗り越えていきたいと思います。早くコロナが落ち着いて、各地でもコンサートが開催出来ますように.....。

追伸・・・ミャンマーの軍によるクーデター。反対する市民への残忍な弾圧....言葉になりません。死傷者も増え悪化してますし、一刻も早く国連・各国でも救済を願います。

だけど、多分死んでいくのは、いつもの場所。

石井竜也

21.03.31 02:48

「死ぬ」っていったって、事故もあるし、病気、殺人、戦争、自然災害、・・・・ある意味、その角を曲がったら、車にぶつかって、大したことがないと思っていたら、眠るように、その夜、ころっと。自身だって同じですよ、きた!と思って、あらゆる過程で、家族を守るための災害グッズも、違う部屋で映画見ていたんで、コンクリートが落ちてきて、せっかく、高い金払って用意した防災グッズが、なんの活用もできなかった・・・なんてね?まあ、ネガティヴなことを言ってたら、キリがないんだけど。今なら、会社に行ったのが3ヶ月目で、大事な書類を取りに来ただけなのに、急に地震。なんとか、瓦礫の空間に挟まって、生きてるのは生きてるけど、水、携帯、光、喉もほこりでガラガラ、すぐ10メートル向こうで、自衛隊の人々が必死の作業をしているのは、確実なんだけど、四日も食べてないし、水も飲んでいない、体力は刻一刻と、死に向かっているし、すぐそこで、助け出されている人も、いるらしい。このシチュエーションだけは嫌だよね。遠くで「さあ、ここはもう、見たから、ガラガラやっちゃってくれ!」なんて聞こえてきた日にゃあ、気が狂いそうになるよね?でも、災害とは、そういう、ほんの少しのラッキーで助かることが、ほとんどだと思うのです。ほぼ多くの犠牲になられた方々は、すぐそこで救命活動をしているのに、気がついてもらえないのではないかな?と思います。もちろん、救命班の皆さんの尽力には頭が下がります。こういうのを、世間じゃ、「運命」とか言うんでしょうね?かと言えば、癌末期なのを知らずに、入院一週間で、亡くなる方もいる。運命とは、なんとも残酷なものなんでしょうか。そう考えたら、なんだか、楽しく生きなきゃ、それこそが損だな?ってことになる。色んな不安はあるけど、そんなもんに振り回されながら生きていくことこそ、バカバカしいことかもしれませんね。

感じるという事

美惠

21.03.25 08:28

年をとっていくと物に執着が出て集めたり、それを誰かに奪われる恐れを抱くのは何故なのかなと考えました。祖母を見ていて、時々その行動が見られるので。
高齢になると、自分が思うように動けなくなる。無意識のうちに体力、思考力が奪われていく。こうしたいが出来なくなり、言葉もすんなり出てこなかったりする。思うようにいかない、これはとても寂しい事で悔しい事だと思います。
だから、それを補う為に何かを自分の物にしておきたい、無意識になくなっていくのだから、誰かに奪われる盗まれる不安と戦うのだと思うのです。その寂しさを出来るだけ埋めてあげたいと思います。高齢になっても、出来ないことが増えても、その生きてきた軌跡は私達の教えになり、私達には真似が出来ないのだから、生きて教えて下さいと、存在がとても役に立っているのですと伝えたい。何も働く事だけではないと思います。誰かの為になるという事は。その年齢に応じた出来る事、その人だけができる事があって、それはとても貴重で大切な事、大きな役目と伝えたい。
誰かの為に役に立ちたい、きっとどんなに年をとっても思う事だと思います。重ねて、出来ない事が増えれば誰かの負担になるという気持ちが増えていくのかなと思います。
先に生きてくれたからこそ今自分がいる、その事を忘れずに出来る限りの感謝と居てくれたからあるのですを伝えたいです。

いつかは自分もなっていく、それがとても欠けている。
もし、自分がそうならばも欠けている、すべての事において。

感じるという事、心を寄せるという事をもっと大切にしていかなくてはいけないと思います。

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