MIND BBS 〜掲示板〜

つよくなりたい。

ジョニー

13.03.31 04:43

私事で流れを乱してしまいますが、少しつぶやかせて下さい。
コミュニケーションをとるのって難しいです。

毎日のようにメールのやり取りをしていた方と突然、音信不通になってしまい、落ち込む二週間でした。

私にとって、無視は何より凹みます。
そんな中、今夜ようやく返事がきました。

内容はともかく、捕れなくてもキャッチボールをし合えるって大事ですよね。

優しくなるために、寛大になるために、つよくなりたいと思います。

私の今年の目標は、「挑戦!」
今秋、初の個展をすることになりました。全くの無名ですが、
私にできること、したいこと、など強く感じられるようになったのは、ここでの影響が本当に大きくて感謝しています。

少しでも、ほんわか。していただけるよう頑張ります。

4月、石井さんの絵本と特設ページがとても楽しみです。
2日は、青いモノを身につけて考えます。
おいしいライブも楽しみです♪
米米の時のように募金箱あるんですか?

ここで少しぶちまけさせていただいたら、モヤモヤが取れました。
ありがとうございます☆

もやもやが取れたので、今から、MOONLIGHT DANCE PARTYをやっと観れます。
この場所があって本当に感謝しています。

場違いでしたら、消して下さいね。

今日の気づき

宮城県在住

13.03.31 02:25

どなたかの書き込みを読んでいて、自分が今日ふと感じたことを思い出しました。

日中、普段履き慣れない、ちょっとヒールの高い靴を履いて街を歩いていました。
疲れて足に痛みが出始めていて、人混みを避けながら歩いていると、ちょうど点字ブロックの上を歩いた瞬間がありました。

若干ふらつくし、ボコボコして余計に足の痛みを感じ、仕事柄、「こういう段差が車椅子でも大変なんだよなぁ…。足腰の悪い人も歩きづらいだろうなぁ。やっぱりバリアフリー大事だよね」などと、考えていました。

しかし、そう感じた次の瞬間、いや、待てよ…と、違和感を感じました。

私の歩いていたところは、目の不自由な方のための点字ブロック。本当は、必要な方のために空けておかなければならない場所。そして、学生時代にとあるボランティアをして教えていただいたこと…

「今、バリアフリー化の取り組みが進んでいて、お年寄りや車椅子の方に優しい街づくりが進んでいます。もちろん、良いことなのですが、これが逆に障害になってしまう方もいるんです。」と。
目の不自由な方は、点字ブロックの上を歩くことや、白杖で触れるものでその場所や、自分の位置関係などを把握されます。それが、バリアフリーになることで、目印や判断材料が何もなくなってしまうのです。

そのボランティアは、私が介護の道に進み、障害者介護をするきっかけになったもの。こんなことも言っていました
「あなたも眼鏡をかけているから障害者だね」というようなことを。

結局、みんな同じなんです。私は視力が悪くて眼鏡やコンタクトという道具で不自由な部分を補っているわけです。そうじゃないと、見えません。眼鏡やコンタクトの方、今の世の中、たくさんいますよね。障害の程度の違いだったりで、いわゆる健常者とか、障害者とか言われるだけ。

何の力も誰の力も借りずに生きている人はいないわけで。ある人にしてみたら障害になるようなことも、ある人にしてみたら便利だったり、またその逆があったり。

上手く伝えられませんが、ふとそんなことを考えた一日でした。

人間ドック

みー

13.03.29 22:02

人間ドックは早期発見にとても大切です。
私の父は脳梗塞で、手術をしました。この梗塞は古くからのものだったので、気が付いた時、手術をせざるおえませんでした。ドックのMRIを定期的受診してたら、薬のみで済んでいたかも知れません。
私はドックの仕事をしているにも関わらず、父に受診させていなかった事を、すごく後悔しました。
父にも申し訳なくて、何度も自分を責めました。
私自身もドックを、大切な家族、自分自身の為でもあるので、受診しようと思います。
もちろん主人にも受診してもらうつもりです。

理解する努力より・・・。

石井竜也

13.03.29 00:16

確かに、我々は、常識にとらわれ、大人である事に必死になり、それでもまだ足りなくて、自分で枠組みをこしらえて、かろうじて、小さな空気穴から、ビクビクしながら呼吸し、そこまでしているにもかかわらず、同僚や会社、時にはあんなに悪さをしていた同級生にまで気を遣い、時には親にまで遠慮して生きている事に驚くのです。「大人である事」「いっぱしの社会人である事」が、そんなに得ではない事にふと気がつく。ところが一度築いてしまった頑丈な「なんとなく常識城」は、そう簡単には崩れない。そこにいれば、殿様のように思うのだ。別に何かが守ってくれる訳でもないのに、尚も、意思のブロックを積み上げている。その積み上げたブロックが落ちてけがをしたとき用に保険にまで入って、尚もまた頑丈になって行く「不確かな常識人」。こんなにいらぬ情報に惑わされ、気もそぞろなくせにパントマイムだけうまくなって行く私たちは、一体、何者なのか?一体何を恐れているのか?・・・考えると見えてくる事がある。社会常識という輪の中に何となく入っていたいのだ。そこから出されてしまわないように、必死で何かにしがみつく事で頭はいつも満杯だ。本来持っていたはずの自由な発想や、行動力や「遠慮」よりもっと大切な「謙虚」も忘れて、自尊心と誇りを胸に必死に食い止めて、ガムテープでベタベタに貼付けてなんとか今をしのぐのだ。「私は立派な社会人」そう思いたいがために、我慢と、忍耐と努力、情報収集に、常識人としてのたしなみ。「こんなに苦労しているのに」と、嘆きながら納税のために仕事をする。決して自分のためだなんて、思えない日常。こんなに抱え込んでいる俺たちに、本当の意味の「障害のある人たちの人生」なんか、想像出来るのか?とふと、思うのです。・・・でもね、考えると、結構暇な時間もある事に気がつくんだな。まるでそれが悪のようにも感じて、わざと仕事を作ったりしてね。そんな時間を何となく使って、自分とは違う人生の事も少しは考えられるのではないか?と思うのです。余裕なんて誰もないでしょう?だから、空虚になった時間を、ほんの少し、違う人生が一杯ある事も考えてみるのも、割といい物です。案外そこにこそ、本当に自分が潜んでいたりね?人生は、実は決まっているようで何も決まっていないのです。それなら、なぜ我々は、身だしなみだ、美学だ、誇りだ、清潔だと、強調し、アピールしなくちゃならないのか?本当は全部、「資本主義」という、物を買うようにしむけられるタイプの世界に生きているからなんです。そこでの「常識人」でしかないのです。全く違う理念の国に行けば、この苦労して構築した「お城」全てがあっさりと、いとも簡単になくなってしまう。違いは意外にも微妙なのです。昨日まで悪と片付けられていた物が、急に善に早変わりしたり、ついこの間まで健康に最高にいいとうたわれていた物が、実は「発がん性物質」だったり、病気だって、おそらく、人類の歴史上、これほど多くの病状に名前がついた事は無かったでしょう。命名する事できちんと、区別出来るから、簡単になるはずが、多すぎて、自分が何の病気だったかも、定かでなくなる。現代に生きるという事は、自分を見失いながら、なおも探す、焦りの時代なのです。

コミュニケーション

愛うさぎ魚

13.03.28 19:40

心くばりは、忘れないようにしています
相手に合わせる場合が、多いような気がします
いろいろな自分がいるような気もします
いろいろな顔があるなぁ…女優のようだな…と思ったこともあります
母親の顔、娘の顔…などなど…
…そんな自分自身…ちょっとだけ面白いかな…と思いました☆

住まいのエレベーターで乗り合わせて、あいさつをすると、あいさつしてくれる人と無視する人がいます
あいさつしてくださる方の中には、もっと話したいそぶりを見せる方がいらっしゃるので、天気の話しとか、寒いですね〜とかいろいろお話しをします♪

もちろん他にも、コミュニケーションをとる場面は、本当にいろいろあります
初対面の方とお話しすることって、結構あります

コミュニケーションとりたいなと思ったら、話しかけて、反応を見ながら質問して、相手にたくさん話してもらうようにします
でも相手が拒否してきたら、それ以上は何もしません
そういうのも、雰囲気でわかります

私自身のことを拒否、否定する相手とは、できるだけ距離を置きたいけど、どうしてもそうはいかない場合もあります
そういう時は、いちばん大変です

家族にも友達にも、心くばりは忘れません
土足で上がり込むようなことはしません
適度な距離は保ちます

みんなが盛り上がってくれていればいいのですが、そうでない時は、できるだけ話題を提供したりします
ひとりだけ話題にはいれていないな…と気づいたら、早めに違う話題に移るようにします
その人に、話をふったりもします

相手が話してくれていると、楽だったりします

相手のことがわかってくると、どういう風にしたらいいのかもわかってくるので、いっぱい話しができるといいです

そして、どうしても相手を傷つけたくはないので、どんな時にでも慎重にしています
顔を見ながら、表情を見ながら進めていきます
思いがけず傷つけてしまったら、変なこと言ってごめんね…って謝ります

他にもいろいろありますけど…
私は、そういうことなのではないかな、と思っています


あと子どもが好きなので、私は、長い時間一緒にいることができることはいいなぁと思います

子どもは、親を選んで産まれてくるっていうのを、前に、スピリチュアルの本で見ました
はじめて知った時は、感動しました
だけど、虐待の悲しいニュースとかを見ると、私を選んでくれればよかったのになぁ…とかって思います…
…あの時も…何で私を選んで産まれてきてくれなかったのかなぁって思います…あの時も…何でなのかなぁ…
ぎゅうって、抱きしめてあげたいです…

スピリチュアルとかの言葉って、すごく心に響くときと、実はそうではない時があります
同じ言葉でも、その時は感動したけど、違う時だとまるで反対に響いてくる…
言葉って…人それぞれ、その人の今おかれている状況、気持ちなどによってとらえかたが変わるので、本当にむずかしいです
でも、だからと言って言葉を無くしてしまうと、もうそれ以上のことは、何もうまれてこないと思うので、心くばりは忘れないようなコミュニケーションは、大切だなって思います

無題

匿名

13.03.28 18:37

皆勝手な事ばかり… こんなに頑張っているのに私の気持ちなんかわかってもらえない。とても悲しい…

ひとりひとりの意識。

花実月

13.03.28 10:44

今、常識と呼ばれている事も、結局は、今を生きているひとりひとりの意識の多数決によって、作られていってるんですよね。。

だから、今、なんらかのきっかけで、今までの意識を変えてみよう!もっと自分はどう思うか考えてみよう!という実際の行動は、とても意味のある事だと、私も凄く思うんです。

アーティストである石井さんの活動は、いつも今の時代に(そして新しい時代に向けられての)、必要な新しい意識の提案であり、人間が人間として進むべき方向への、意識の軌道修正をしていて下さってる事を、感じてなりません。

未来に向かって何を思い、何を変えていくか。そこから自分のできる事で、小さな事でもどう行動できるか。

ひとりひとりの意識は小さくても、諦めて考えない感じない位置から、ちょっと意識を自分の意志で変えてみると、まわりへの発言や態度が少し変わっていく。それがまた、小さくても何かの影響をまわりの誰かに与えていくと、私は信じています。

人間は人と人との関係の中で初めて、新たな発見をし、成長していけると思うから。

未来を向いて、自分らしく前へ進もうとする意識を皆さんのメッセージから感じて、また、自分は自分に与えられた個性、環境の中で、どう生きていくかと考える、元気と力を頂いてます。

いちがいにそうとは言えないだろうし。

あゆ子。

13.03.28 01:28

他の人の考えに共感するのはいいのですがそれから自分のこととしては、と考える必要があると思う。識別することができないとやみくもに盲信することになり、自分の心を直視できなくなります。他の人の人生と自分はまず、違うものだしでも似たような経験は言葉を使って表すことができますが、自分にとって大切なことかどうかの識別はけっこう難しいときもあります。私の経験からだと言葉に本当の体験からくる揺るぎない、前向きなエネルギーがある人の言葉はしっくり来て
聞いた瞬間からでも少し時間が経ってからでも大きな気づきをもたらしてくれます。そこには闇の影は感じない。本や手紙、メールからの文面でも同じようにわかります。実際に自ら体験し、問題を乗り越えた人の言葉はそういう力があります。インスピレーションでつながっているのでしょうね。そこには確信からくる信頼があります。

あいたい

k

13.03.28 01:09

だめだってわかってるのにあいたい。追っかけ最後にするからと父との最後の約束だったことも…色々理由を見つけては会いにいってる自分。前回はお祝い記念ライブ。米米はべつ…。地方まで行かなきゃ大丈夫とか自分の都合のいいことばかり…。
でもてっぺいちゃんも父もいない世界では…たえられないって事も真実。 今日はてっぺいちゃんのあの写真みちゃったから会いたくなっちゃった。

Warm Blue

如月

13.03.27 22:21

tFMのメルマガで石井さんがおっしゃってた思いを読ませていただいて おもうことなんですが、
Autismとは 表面上 顕著に現れている状態ですが、 「人」ってみな不完全な状態なんじゃないでしょうか。

表面的に 障害という形で 持つ人と 内面的な障害を持つ人、 一件日常生活を 普通にしている人であっても なにがしかの 問題は抱えているものです。
それが 表面上に現れていないだけで。


どんな自分であれ そのままの自分を まるごと受け入れること 
そのままの自分をどんな自分でも 愛すること 
それが ひいては ほかの人の どんなことや状態でも 受け入れ 愛することになるのかなと 私は 捉えています。

私は 自信がないなぁと よく思います。

自信がない = 自分を本当に信じることが できないこと
自分を愛せてない ということですよね。
でも そんな自分も 責めないで 受け入れることが 出来た時
心は 平安になります。

こうあらねばならないと 知らず知らずのうちに 自分にも 枠をつくり 当てはめて しんどさを感じている自分
そんな自分を理解してあげて 
あ~ 無理してる自分がいるな とおもうだけで すこし気持ちがらくになれます。
そんな風にすることが  愛する とか 受け入れる ってことなのかなと 捉えています。 

“どんな自分も愛することが できると 
どんな人でも 愛すること、 受け入れることができる。"

そんな風に ちょっと視点を変えていくと 
いろんな方の状態も 個性なんだと 思えるような気がします。

石井さんが World Autism Awareness Day に参加されることで そういうったことを 改めて考える機会を あたえてくださったことが ありがたいです。

最新の発言に戻る

category

【ATTENTION】
当サイトでは、BBS内に書き込まれたURLのリンク先の情報、またその内容から発生するあらゆる問題についての責任は負いかねます。

BBSご利用上の注意