SPECIAL3 〜特別企画3〜

Chapter2. 日本全体が、悲しみの涙に溺れてしまったら、この国はだめになってしまう

石井  現場の方々というのは、それなりに皆さん生きることに必死で、そこにとにかく全神経を集中して生きてらっしゃると思うんですよ。ところが被災地以外の人もノイローゼみたいになっちゃってるんです。「自分は何もできない」「行ってみたら膝が抜けちゃって何もできなかった」「炊き出しのご飯を横から横へと手渡す事しかできなかった」と、泣きながら帰ってきて、何もできない人までも傷つき始めているわけですよ。


大谷  僕はね、こう言っているんですよ。今は、腕に大きな傷をバン!と負ったんです。大きな傷だから、体中の白血球がそれを治そうと、グーッと集まっている状態。だけど、その時に腕のことだけを考えると、身体が全部駄目になる。だから今大事なことは、皆が普段の生活をすればいい。


石井  そうなんですよね。


大谷   僕も4月上旬ごろまでは自粛していたんだけれども、その後は舞台を観に行ったりとかしたんですよ。結局、二次三次の被害者になっちゃってるんです。みんなが。


石井   そうそう。


大谷   例えば石井さんがコンサートを止めたとすると、石井さんが止めるのは簡単だと思うけれども、石井さんの周りの人、照明さん、音響さん…全部が駄目になる。


石井   それもあってコンサートをキャンセルしなかったんですよ。もちろん物理的に出来なくなっちゃった会場もありますが、僕はあくまで延期って言ってるんですね。


大谷   もう一回考え方を変えなきゃいけない。その人のできることをしたらいいんです。義援金って言ったって、毎月5000円なんて送れないですよ。だけど5000円のご飯だったら毎月食べに行けるじゃないですか。そうすれば、その5000円の中で数百円かもしれないけれども、それが税金で回れば、助けることにはなるんです。だから僕は舞台をやる人達は、もちろん義援もいいけれど、まずは舞台をやったらいいと思う。僕も説法会は全部休まないと決めたんです。僕は阪神淡路大震災の時も被災地にすぐ入ったんですね。その時は朝一番で梅田の駅から電車に乗って西宮北口というところに行って、水とパンを30キロくらい担いでぐるっと回って、そこには泊まる所も無いし邪魔になると思って帰ってきたんですね。それで23時ころ、梅田の駅に戻って、腹がへっているから何か食べようと思ったら、駅の構内にある赤ちょうちんで、みんなが笑いながら酒を飲んでいたんです。さっきパンを配っていた場所から、多分電車で10分くらいの街でです。僕は最初、なんと不遜なと思ったんです。正直そう思った。だけどもし国民全体が、悲しみの涙の中に溺れてしまったら、この国はだめになっちゃうんですよ。


石井   埋没してしまったら、だめになっちゃいますよね。


大谷   今も北陸や九州や四国に公演に行っても、「大変なんですってね」って話だけですよ。液状化で壊滅したお寺の写真を見せれば「えーっ」て言われるけれども、そこまで。だけどね、それでOKだと思うんです。もし自分の大好きな人が死んで、その人についてみんなが自殺しちゃったら、国は滅んでしまうもん。


石井   本当にそうですよね。


大谷   だから僕は地方の人は何もできなくてもいいと思うんですよ。普通の生活をしてくれたらいいんです。義援金を出すことも大事かもしれないけど、今回は、そんなレベルでは解決しない。僕はね、今各地の法話会で、お茶を売っているんです。というのも、さっき話した被災した友達は「矢部園」というお茶屋さんをやっているんですね。被災地の人だって、義援金も一定のラインまでいったら、“恵んでもらってる"みたいな気分になっちゃうと思うんです。だから僕は被災地の人は、働くべきだと思うんです。お茶屋さんはお茶を売ればいい。ただ被災して売るお店が無くなってしまったんだったら、それを僕らが手伝えばいいんです。彼がお店を再開できないと、彼が買っている静岡県の茶園もつぶれちゃうわけですよ。今、被災地の方に、お金をあげることは簡単なことなんですけど、長い目で見た時に、それではだめだと思っているんです。だから、今は店がないから売れないけれども、僕が売ってきますよ、と。今300缶くらい売ったんです。被災者が自分の稼業で生きるということは、すごく重要なんですよ。それがその人の人生だから。


石井   きっとそこまで行き着くために、ずいぶんいろんな事をやってきたんでしょうからね。


大谷   だけど彼、僕が連れていった仲間にはお茶の話をしたのに、僕には一つもしなかったんですよ。


石井   向こうの方はそういう人が多いですよね。僕も東北の気質は良くわかるけど、こんなに真面目で大丈夫かなと思うくらいに純粋な人が多いですよね。


大谷   結局最後は真面目が勝つんだよね。目先に負けた人が負け。


石井   船乗りの人も、その辺に捨ててあるような船を買ってきて、明日から昆布をとりに行くとか言い始めてるんですよね。おそらくその人達も、家族や知り合いが流されたりとかしてるんだろうに。


大谷   あの人達にしてみたら、それしか生きる術がないんですよね。生きる術がない人はそれで生きるしかないんですよ。だから彼らは海で死ぬと決めているんだよ。


石井   そうそう、それは昔からそういうふうに言いますよね。


大谷   板子一枚下は地獄、というような人は、その強さがなかったら生きていかれない。


石井   そうですよね、本当に強いです。見てると。


大谷   今回東北の人はね、強い。これ関東や関西だったら大変だったよ。


石井   僕の従兄弟が、福島で校長先生をやってるんです。生徒も2人くらい亡くなくなっちゃったみたいで。学校は避難区域になってしまったんで、違う町に行ってるんですね。それでこの間電話をしたんですよ。「大丈夫?」って。非常に責任感が強くて、とてつもなくインテリジェンスのある人だったんですけど、俺が電話をかけた時、彼はしばらく俺の声を聞いて「いえ、まだ車は見えてませんけど」とか言ってるんですよ。「竜也だよ」って言っても、「あのまだちょっと車は見えてませんけどね。どちらまでいらっしゃってますか?」って、支援車の運転手と間違ってるんですよ。しばらくわかってくれないんです。「違うよ、従兄弟の竜也だよ、石井竜也だよ」って言ったら「あぁ、たっちゃん!!!」って、やっとわかってくれて。「どうしたらいいだろう? 唄いに行こうか、俺」って聞いたんですよ。そうしたら「いや、来なくていい。来ると、子ども達が、帰る時に“なんで帰るの?”と聞くから。それに答えられる?」って。帰る理由を言えるかって。それで、来なくていいから、僕の作品にあるダルマで作った「顔魂」を送ってくれって言うんですよ。子ども達を笑わせたいって。早速3つ送ったんですけどね。


大谷   僕もこの間行って、最後に送ってもらう時に、帰れるところがある人は…と思いましたよね。


石井   そうなんですよね。


大谷   ここに、お薬師さんのお経があるんですが、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)という人は、人々を救うというを願いを立てたんですね。その中にこんなことが書いてある。“諸々の病気が迫ってくる。救いが無く、帰る所が無く、医者が無く、薬が無く、親が無く、家が無く、貧しさのうえに苦しみ多く。そんな人も僕の名前を一回聞けば、病気はなくなって身体と心を楽にしてあげましょう” これがお薬師さんの願望なんです。そしてお経の中にこういう言葉があるということは、過去にもそういうステージがあったんだろうなと。


石井   あったんです。今日はその話もしに来たんです。おそらく薬師寺の千三百何十年という中にもいろんなことがあったと思うんです。そこをどうやって乗り越えてきたんだろうと。


大谷   今は大きな事故が起こったばかりだから、交通事故で死ぬか生きるかわからないような状態で、皆がもうバタバタしている。僕もお袋が倒れた時そうでした。だけど落ち着いてくると、いろんなことがだんだんと見えてきて、だんだん状況を把握していくと、お陰様という言葉に変わっていくんだと思うんです。その時にこれだけは言えるのは、体験した人でないとしゃべれない真実がある、ということ。


石井   本当にそうですね。


大谷   僕らは体験してないんですよ。体験した人達が今度は仏になるんだと思う。さっきの旦那さんが早死して子どもとお父さんを亡くした奥さんは、「なんで私だけ残っちゃったんだろう」って言ってるんですって。


石井   そうですよね。そう思っても不思議ではないですよね。


大谷   だけど僕は明確な答えを持ったんです。“もしあなたまで死んでしまったら、この人達の生きた証を残してあげる人はいなくなりますよ。この人達が生きていた証を供養してあげる人がいなくなりますよ。あなたは辛いかもしれないけど、あなたにはその役目が残っている。だからあなたはそれを一所懸命やる。そして彼らの苦しみを自分の言葉で語ってください”と。


石井   全部が無くなった人達もいますもんね。それを考えたら、その人が生きたということに意味がありますよね。


大谷   今回、村が一つ無くなって、隣の人も家族も皆無くなっている人もいっぱいいるわけです。そのなかでその人が残されたということは、意味があるんです。人間は強い生き物なんだと僕は思う。人間には苦しみを吸収する力があるんです。それともう一つ、忘れる事ができる力があるんです。だけど本当に厳しいことは無くならない。うちのおやじは戦争孤児で、戦争中の話をついに1回も僕にはしないで死んでいったからね。本当に苦しかったから。だけどその人がその苦しみの中から生き抜いてきたその生きざまが、実はあるとき人を救うものに変わっていくんだろうと思う。だから僕はそのお母さんが、生き抜いてくださって、そして人に法を語る時に、その人は僕は仏になるんだと思ってるんです。


石井   痛みを知っている人の話は、みんな一目置いて聞いてしまいますよね。


大谷   僕が学生時代、一緒に遊んでいるグループがあって、その中のある女性のお父さんが急に亡くなるんだよね。そうするとね、僕ら友達は皆辛いね、苦しいね、頑張ってって言うじゃん。そうしたら彼女は僕に「親を亡くしたことのない人に、頑張ってとか淋しいとか言われたくない」って言ったんですね。だけど僕はそれが真実だと思う。じゃあ黙っていたらいいのかというとそれも違う。僕はそれを言った彼女もすごいけど、それを言った彼女も愚かだと思う。だってその時はどうしたらいいのか術がないんだもん。


石井   同じ経験をしていないと、その言葉を発するしかなかったんですよね。


大谷   おっしょさんが「亡くなった人の命を無駄にしないような、裏切らないような生き方をするのが、残された命の一番の使い道」と言ったように、そのお母さんは、残された命を無駄にせずに、逝った命も背負って生きていかなきゃいけないんです。


石井   そうですよね。


大谷   石井さんもお父さんを亡くしたじゃないですか。お父さんの姿、形は無くなったけど、背中には背負っているでしょ。心の中にはいるじゃないですか。親を亡くしたものでなければわからない心がある。だから僕は、今苦しんでいる人達に“あなたは仏様なんですよ”と伝えに行こうと思ってるんですね。


石井   これからどう生きていったらいいのか…という人がどんどん増えていくと思うんですね。おそらく経済状態もこのままでは済まないでしょうし、そうすると今度は南にも波及していくでしょうし、そうなって日本がどんどん疲れ果てていく時に、本当に必要なものが何なのかが、その時初めてわかる。まだ今はわかっていないんじゃないかという気がするんですよ。もっと失くした時に本当のことはわかってくるのかもしれない。


大谷   人間は愚かだからね、こんなに大きな爆弾を抱えていても、言っちゃ悪いけどだんだんとブームが去ってしまって、全然違った方向へ進んでしまうんじゃないかなと。唯一僕の解決方法は、体験するしかないと思っているんです。今回の震災を、僕は直接体験できないから、そのものすごい苦しみを抱えた人と一緒にいるしかないと思う。僕は今度避難所に泊まろうと思ってるんです。泊めてくださるように今お願いをしている。長い時間しゃべっていたら、しゃべることなんかなくなって、その時に人間は初めて本音を出す。それを聞いてみないと、わからない。僕は今回、地震を体験しなかったけれども、地震を体験したほうが良かったのかもしれないという葛藤があったんです。でも僕は、同じ体験はできないわけです。僕は僕以外になれないんですよ。だったら僕のできることはなんだと考えた時に、宗教者だから話を聞く、話をすること。あともう一つ僕が言われたのは、「徹奘さんね、来るんだったらね、地べた這って来てください」って言われたの。「車に乗って、はい来ました、はいさよなら、っていうようなのは勘弁してください」って。


石井   ある被災者のメールでですね、いつものように朝方ダンボールに隠れながら着替えをしていたら、配給車と同じような音がするから、慌てて出ていくと、テレビ局のレポーターだったんですって。そしてマイクを向けられて大変でしょう?とか言われても、そこは東北の人だからグッとこらえて、大丈夫ですと返しちゃうんですって。そしてレポーターが帰ったのを見計らって、みんな黙って着替え始めたりするそうなんです。「こんなに現場は大変です。では」ってレポーターはそのまますぐに帰っちゃう。車で来たんだったら、頼むからおむすびくらい置いていってほしいって。それを読んだ時には、どこまで平和ボケしてるんだって思いましたね。