SPECIAL3 〜特別企画3〜

Chapter3. 何かしなきゃと思っても、できなくて当たり前

大谷  僕は被災地から帰ってから2週間くらいは、頭のヒューズが飛んじゃって、しゃべるのが専門なはずなのに、しゃべる時に全くアドレナリンが出なくなってしまった。僕はいつも150点200点を狙って法話をするんです。100点以下なんてとることはなかったんだけど、4月の法話会では、僕の自分の点数は68点。なんとかしゃべれました、という点数だけ。もう、悲しみも苦しみもわからない、全くわからない。だけど一つだけわかったのは恵まれたところで自分が生きていたということ。そして恵まれているからこそ、追いこまれて、何をしていいかわからない。僕みたいなのがそんなんですよ。普通の人は、狂って当たり前だと思う。


石井  そう思いますね。


大谷   僕に言わせたら、これで狂わなかったら、この民族はおかしい。だから狂った人が出ただけ、まだこの国に人の命に対しての気持ちがあったと、僕はそういうふうにしか思えない。思わざるを得ない。


石井   そうですね。思うしかないんですよね。本当に。


大谷   自分でそう言い聞かせるしかない。目の前で指がひっかかってるのに旦那さんが流れて行っちゃったとか、目の前で津波にのみ込まれていく人を目の前にしたとか、そんな事に対して、綺麗事なんてないですよ。だから僕ははっきりと言えばいいと思うんです。わからないって。だけど、少なくとも残された命として、自分がやれることだけ精一杯やらないと、僕がやらないと僕に関わっている人が全部つぶれてしまいますから。だから僕は自分のできることしかやれないから、それしかやらないんです。


石井   テレビでアナウンサーか記者の方が、地震が来た時に、これはまずい、とにかく高いところへ早く逃げてくださいと言いながらカメラを回してるんですよ。マイクを持ちながら横に子どもを抱いて、とにかく3階、4階へ上がってくださいって。それを全部撮ってるんです。そうすると、みるみるうちに水が2階、3階へ上がってきた。その時に、車の中で “助けて、助けて”って言っている女の人がいたんですよ。アナウンサーは、その女性を屋根づたいに行って助けたんです。木によじ登った人も助けたんですね。そしてそのアナウンサーが翌日、カメラに向かって言ったのが、「私は2人しか助けられなかった。あの夜ずっと真っ暗な中で100人くらいの “助けて、助けて”という声が聞こえていました。私は助けようと思っても、明かりもないし、どこから声がするのかもわからなかった。そして朝になったらシーンとしていて、何にも聴こえなかったんです。皆死んでしまったんです」と、その現場で泣きながらしゃべってるんです。それを見た時、こんな状況が3月11日から数日間続いていたのかと思ったら、同じ国に思えなくて。それでとにかくスタッフに電話をかけまくって、キャンセルで空いている場所でいいから、会場を借りて、お金をとにかく集めようと。それでコンサートを開催したのはいいけれど…何をしゃべっていいかわからない。


大谷   そうですよ、それが本音ですよ。


石井   巨大すぎちゃって。


大谷   それが間違いなく本音。みんな何かしなきゃいけないということはわかってるんですけど、できなくて当たり前だと思う。僕はいつも言うんですけど、お寺では家族を亡くした人にいっぱい会うじゃないですか。最愛の旦那さんを亡くした奥さんが、もうボーッとして「私どうしよう」って来るんですよ。「それが普通だと思うよ」って言うんです。自分の大好きな人が死んで、“あぁ、死んだ死んだ”って言えるとするならば、それは嘘だよって。いいじゃん人間だからできないことがあっても。正気を取り戻した時に一所懸命生きればいいんです。


石井   その“正気”という言葉にピンときたんですが、頂くメールを見ても半分皆さんノイローゼなんですよ。正気じゃないんです。「星を見ましょう」とか、1行書いて来たりするんですよ。そのくらい今は皆がおかしいんだと思うんですね。


大谷   おかしいんです。だけど、当たり前ですよ。家族を津波にとられて1カ月2カ月帰る家もない、葬式も出してやれない、遺体もわからない人にね、まともになれという方がおかしいよ、僕に言わせたら。


石井   そうですよね。


大谷   重体の人をいじったら生き返るかもしれないって、みんなで寄ってたかっていじってるような状態だもん。時には放っておいてあげるしかないんですよ。


石井   復興復興といっても、やっぱり復興するためには、復興するための気力がまず必要なわけで、その気力を戻すための時間というのも必要ですよね。


大谷   さっきも従兄弟の先生が“来んといてくれ”って言ったのはよくわかります。


石井   それを言われた時はちょっとショックでしたよね。


大谷   僕もよく「連れて行って」と言われるわけ。「徹奘さんが行けば、何か一緒になってやれることがあるかもしれないから」って。だけど僕はね、「すみません行かんといてください、今何人かで行くと、物見遊山になってしまうんですよ」って言ってるんです。


石井   そうですよね。


大谷   「俺が代わりに行って、相手が何を必要としているかがわかったら、絶対に誘うから」って今は言ってるんですよ。中途半端な人が入ったら、さっきのレポーターじゃないけど、「来るならおにぎりの一つでも置いていって」になってしまう。


石井   その気持ちはわかりますよね。


大谷   だけどレポーターの人にしてみても、レポーター魂でたくさんのことを伝えたいんですよね。僕はお寺で修業して32年経ったんですが、最近になって初めてわかったことがあって。それは全ての人が出す意見は、全て正論であるということなんです。意見というのは「音」「心」「見」と書いて、意見なんです。心の音が見えて、言葉になっているんです。だけど僕らは人の心の音に対して、経験がないものは、自分の意に合わないと、間違ってると言うでしょ。僕は違うと思うんです。場に合わないだけだと思うんです。


石井   それをレポートしてくれなかったら、知ることができないし、ある意味彼らにとってみても、辛い仕事だと思うんですよね。下手したら被曝しているかもしれないしね。


大谷   体験者ですから。体験者がしゃべることは、やっぱり仏になることだと思うんです。仏様の語源は正しいかどうかはわからないけど<ほどく→ほどける→ほとけ>だという説があるんです。からまった糸をほどくのが「ほとけ」だと。だから本音が出て来ないと、人間はほどけない。本当に苦しんだ人達の言っている言葉を聞いて、まずは向こうを正気にする前にこっちを正気にしないと。こっちをほどいてもらって、その時に初めてあの人達は被害者であり、僕らは被害を免れた人間として、逝った人と残った人で言えば、残った人の役割が果たせると思うんですよ。


石井   そうですね。


大谷   今まともじゃない人も、一所懸命ボランティアに行くような人も、僕は皆が正解だと思ってるんです。それともう一つはですね、今回一番つらいのは、地震と津波だけじゃなかったこと。地震と津波だけだったら、人間は魂の中に“自然にはかなわない"という思いが組み込まれている。


石井   諦めというかね。おふくろも言うんですよ。津波と地震だけで死ぬんだったら往生できると。だけど、これから三代下の遺伝子まで心配して死んでいく私達の気持ちにもなってみなさいと。それを言われて、本当にそうだなと思って。下手すると自然災害の津波よりも、大きなことだろうと。


大谷   全然比較になりませんよね。地震と津波だけなら、いずれ片がつくじゃないですか。


石井   そうです。復興が始まって、それなりの町ができれば、それであんな変なことが起こらなければ、救済できる気持ちもずいぶんあったと思うんですよ。


大谷   そうなんです。人間は天災ならしかたない、と思ってるんですよ。


石井   日本人は“慣れ”と言ったら変ですけど、どこかそういう覚悟はあるような気もするんです。


大谷   人間のDNAの中にあるんでしょうね。


石井   長い歴史の間で災害と闘ってきたわけですからね。


大谷   うちのおっしょさんが面白いことを言っていて、亜熱帯の植物である稲が、東北で花を咲かせることは本来ないんですって。それを僕らの先人が、一所懸命改良をして、なんとか育てていったと。ようやっと実ったかなと思うと、冷害で一気になくなってしまって、でもその稲穂を一つ一つ触っていくと、一粒だけ米が出来ている時があるんですって。それを集めて出来た品種がササニシキやコシヒカリなんだと。


石井   強い種を集めていくわけですね。


大谷   たとえば鳥インフルエンザにかかると、鶏を全部殺すじゃないですか。もしかしたらあの時に、わざとそのまま生かしておいて、生き残った鶏を残していけば、鳥インフルエンザに強い鶏ができるかもしれないんですよ。


石井   そうかもしれないですね。


大谷   それを全部殺しちゃうから。


石井   強い鶏を作れないわけですね。


大谷   その時は嫌なものを見なきゃいけないけれども、生き残ってきた鶏たちの遺伝子を残せば強くなっていく。やはり自然は淘汰されていくもので、弱いものは無くなるし、強いものは残っていくんです。それが生命の基本なんですよね。だから僕は、東北の人達が被災をすると、DNAの中にその災害を乗り越えたDNAが残るんだと思うんです。これは自然の問題。だけど今度の原発はやっぱり人間の問題ですよ。


石井   そうですよね…。これは人の欲と言うかね、業が招いた災害といってもおかしくない気がしますね。


大谷   今回液状化で駄目になった茨城県の僕のお寺は、もとは沼だったんですよ。沼を埋めて作った。僕は今回はっきりと皆に言ってるんです。沼は沼という条件が揃っているから沼なんですよ。穴が開いている壁に、壁紙を貼ったら綺麗になったというのと同じで、沼を埋めてニュータウンを作ったんですよ。今回の液状化は、自然がここは本来こういう状態なんだということを示したんです。だから今回の津波を受けた地域でも、ここまで津波が来たからここから下には住むなと先輩方が書いた碑があったって。それなのに、人間が便利と贅沢と発展、発達ということを、錦の御旗として振り回した。発展をすることが悪いとも正しいとも思わないけども、絶対だとは思わない。


石井   日本という国の文化は、どの時代も均衡が取れていたとは言えないと思うんです。どの時代でもやっぱり穴は空いていたと思うし、愚かなところもいっぱいあったと思うんですよね。だけど今の日本の状況というのは、手だけがやたらとでっかくなっちゃったりとか、足だけがやたらと大きくなっちゃったりとか、バランスがものすごく悪い体型になっちゃった気がするんです。見えていないところは細々としていて、見えているところだけ筋肉隆々にしたって、バランスが取れていないから、押されたら倒れちゃいますよね。そんな状況が今の日本だったんじゃないかなって。


大谷   今回唯一よかったのは、原発で一カ所駄目になると、もう地球レベルの問題になり得るとわかったことですよね。それは大きい。


石井   それは僕も思いますよ。


大谷   ドイツのメルケン首相が、原発を止めたんだってね。僕は本当にそういう意味では今度の原発はまだこのくらいのレベルでおさまってくれてよかった。もしこれが無くて、今日本に55基、放っておいたら60-70基、外国にも何百、何千とできて、ある時、どこか1カ所が爆発した途端に全部連鎖的に爆発することだってあり得るわけだから。


石井   そうですね。


大谷   今回はたくさんの死者が出たから、死の勉強をしなきゃいけないと思って、僕は尊敬している友松円諦(ともまつえんたい)先生という方の本を読んだんです。『人間と死』という昭和14年に出た本で、世の中はだんだん戦争になっているので、いいかどうかはわからないけど、皆ができるようになることがある。それは、明日死ぬかもしれない、明日爆撃されるかもしれないという死の覚悟ができる、というんですね。


石井   同じことを、戦場カメラマンの方が言っていたんです。カメラを向けると、子どもが異常な笑い方をすると。明日死ぬのを覚悟してるから、日本の公園で撮った子どもの顔とは全然違う、明らかに異常な笑いなんですって。あたかも明日いないかもしれないから撮ってくれと言うような顔で寄ってくるらしいんですよ。生死を50%50%で生きている人達は、子どもでもこうなってしまうのかと。


大谷   その死の覚悟がね、日本人にはないんですよね。例えば僕が今、病気で死にそうだと言えば、石井さんは“大谷さんが死ぬかもしれない"って覚悟ができるじゃないですか。でもこうやって今日会っていたのに、ここから出た途端に車に引かれたら、死の覚悟はしてないでしょ。それはもちろん自分の死もそうなんだけど、普通は目の前にいる人の死の覚悟はしていないわけですよ。でも今回は、死の覚悟がなかった人達に一気に死というものが降りかかって、魂を抜かれちゃったんです。


石井   “魂が抜かれる”というのが、わかるような気がしますね。3・11の前はわからなかったかもしれない、その言葉は。


大谷   魂を抜かれた僕らが、何を考えたかというと、生きる本能として東海地震がくるかもしれない、東南海地震がくるかもしれないと、死の覚悟をする。そしてどうやって生きることが正しいのか、最低限度のものは何なのかということを考えて、ちょっとブヨブヨしていた身体がキュッと引き締まったような。


石井   確かに、この袋に入る分だけと袋を持たされた人が、10キロ圏内に入っていくんだけれども、結局ほとんど何も持って来ないんですって。持ってくるのは家族の写真くらいで、何をしていたかといえば、睡眠薬でペットを殺してきたんだと。避難所には連れてこれないし、ここにずっといてもいずれ死んでしまうからといって、殺してきちゃう。明らかに福島県内の人達の考え方自体がおかしくなっているから、それを聞いた周りの人達は“それは良いことをした"と言うそうなんです。必要な物を持ってきてくださいと言われても、人間はもう選べなくなっちゃったんだなって。きっと50年前60年前、ひょっとすると100年前の人は、位牌と、これと、これだけは、みたいに、精神的に自分を保つための最低限度の三種の神器みたいなものはもっていたのかもしれないと思うんです。ハンコと言っても、よく考えたら実印なんか作ればいい話だし、例えばすべて村の書類が流されてしまったら、国民であるかどうかもわからないわけじゃないですか。私は鈴木よし子です、って言っても、証明できないという人達もいるわけですよ。


大谷   中国残留孤児の話みたいだね、それはね。


石井   従兄弟に聞いても、相馬市の海側の人達が自分達の学校に避難して来て、「自分を証明するものが何もない」と泣きながら言うんですって。なんとか私を証明してくれって。