REPORT 〜ご報告〜

2012年3月11日 故郷・北茨城市へ

震災からちょうど1年が経ったこの日、
石井竜也が向かったのは、生まれ故郷である茨城県・北茨城市。
震災直後は、ニュースで時折映る変わり果てた故郷の様子に心を痛めつつも
その状況を直接目にするのが怖く、
しばらくの間足を運ぶことができなかったという。
しかし、故郷のために何かできることはないか…という思いは日に日に強まり、
4月の北茨城市長訪問以降、この1年で訪れた回数は計7回。
この大震災は、たとえ長い間遠く離れていても、
想い出の詰まった故郷の原風景は、
そこで育った人間にとって、いかに大切で
いかにその人の精神を支えているかということを改めて教えてくれた。

~14:00 大津港にて~

まず訪れたのは、あの日最大6.7mの大津波が襲ったという、
石井の実家からほど近くにある大津の漁港。
学生時代、そこで働く漁師や父親の姿を絵に描いた、想い出の場所でもある。
しかし今では、堤防のアスファルトは波打ち、
船着き場は余震に次ぐ余震で、原型がわからないほどに崩れ落ち、
すっかりとその姿を変えてしまった。

震災直後には、あちこちに津波により打ち上げられた船が横転していたが、
今ではすっかりと片付けられ、
船着き場に綺麗に並ぶ船達が、漁に出るのを待っている。
船はどれも・・・白くてピカピカだ。

「毎日船に乗っていれば、こんなに綺麗なはずがないんだよね。
 きっと、海に出る日を待ちながら、漁師が毎日磨いているんだろうな。
 震災の被害が、津波だけであれば、
 漁師達の強い思いで、既に漁は始まっていたと思うよ」
と、悔しそうに石井は言う。

福島県に隣接するこの港では、
放射能汚染の影響で今も漁に出られない日々が続いている。
そして、いつまでこの状況が続くのかは・・・まだ誰にもわからない。

そんな厳しい状況に立たされている大津港の漁師達は、
“久しぶり、よく来たね”
といったような温かい目で石井を迎え入れ、
「あそこの加工所も全部駄目になっちゃったよ」と明るく話しかける。

そんな彼らの笑顔に、
“海の人間は強いから、めったなことでは弱音を吐いたり、
涙なんて絶対に見せたりしないけれど、
きっと心の中はズタズタなんだと思う”
と以前、石井が話していたことを思い出す。

~14:46 黙祷~

「市民の皆様もそれぞれの場所で
心から黙祷を捧げられますようご協力をお願い致します」

14時46分を迎えた時、
町中のスピーカーから、アナウンスが流れ、サイレンが鳴り響いた。
1年前は、津波警報がこんな風にスピーカーから
聞こえてきていたのだろうか。
けたたましいサイレンの音は、きっと子ども達を不安にさせていただろう。

同じく追悼の気持ちを胸に、港に集まった漁師の皆さん、
町の皆さんと共に、石井は堤防に立ち、
死者5名、行方不明者1名の尊い命が失われたこの海に、
またこの先に続く東北地方の海で犠牲となった御霊に、
1分間の黙祷を捧げる。

そしてこの日のこの時間に、キャンドルに火を灯し、祈りを捧げようと
GROUND ANGEL-MIND from MINDを通じ、
石井が全国の皆さんに呼びかけていた「HEART CANDLE」。
全国の皆さんと共に、石井がここ大津港の海で捧げた
キャンドルに描いたのは「心」の文字。
そのキャンドルは、傷ついた人々の心だけでなく、
活気ある漁船の往来を、人間たちと同じように待ちわびている海の心を
優しく癒しているようにも感じられた。

~15:00 大津小学校へ~

北茨城市では、未だ頻繁に起こる予断を許さない地震に備え、
防災に対する意識の高揚を図ろうと、
石井の出身校でもある北茨城市立・大津小学校にて
陸上自衛隊、航空自衛隊、海上保安庁、警察署などが一体となった
大規模な総合避難訓練に、朝の11時から3000人もの市民が参加していた。

その避難訓練の終了間際に駆け付けた石井は、
「MIND from MIND基金」として集められた寄付金500万円を、
皆様を代表して、豊田稔北茨城市市長に贈呈。

「今日は僕の“MIND from MIND”という活動を通じて、たくさんの方から
預かったお金を、北茨城に寄付させて頂きたいと思って準備してきました。
お年寄りの方、そして子ども達のために
ぜひとも有意義に使って頂きたいと思います」

「まだまだ不安はいっぱいあると思いますが、
 人間は前を向いて生きて行かなくてはなりません。
 東北に比べると、どうしても北茨城市のニュースが減ってきています。
 すぐ隣がいわき市なのに、東北3県の中に入っていないがために、
 国の支援が届かないこともあると思いますが、
 僕は僕のできることとして、事あるごとに
 これからも北茨城の話をしていきたいと思います」

そして“相手に頑張れというのではなく、自分に向かって言うような歌を”と
『つよくいきよう』を披露することに。
「1万人の歌プロジェクト」として、全国の方々に歌って頂き完成したこの曲は、
ここ北茨城市内の19校もの小・中・高・養護学校の皆さんにも
参加いただいた曲でもある。

石井の「歌ってくれる人―!」という呼び掛けに、
「ハーイ!!!」と、手を上げ元気に返しながらも
周りに続々と集まってくる子ども達を見て、
「今、防災訓練やったんでしょ? 
そんなにギュウギュウに集まったら危ないよ」と石井(笑)。

石井  「僕は小さいときからこの町では“たっちゃん”と呼ばれてました。
     大きな声で“たっちゃん!”と言ってください」
子ども達「たっちゃ~ん!!」
石井  「なあ~に? というわけで、
     校舎の裏側にいるオーケストラをバックに(笑)
     『つよくいきよう』を、たっちゃんが歌います!」

と、避難訓練で緊張気味だった大人と子どもを
和ませたところで、歌がスタート。

<すべてのものが 過ぎゆくように>

しっかりと歌を覚えてくれていた子ども達の声に
石井の表情も、思わずほころぶ。

<ゆっくりとでも 大地の上に
 足を踏みしめている それが未来になる>

その歌詞と青空に響く子ども達の歌声に、力づけられる大人達。
石井がいつも話しているように、
“大人が子供を元気づけるのではなく、
子どもが大人を勇気づけてくれる“ということを、と改めて感じる。

そして歌が終われば、
もみくちゃになっての記念撮影!
「また来るね~!」と石井。

余談)
この時、ONにしたままだったスタッフの録音機器には、
「たっちゃん! かんどうしたよ!」という子どもの声が
しっかりと録音されていました(笑)

~15:30 校長室にて~

ここ大津小学校を訪れ収録された番組『ようこそ先輩』(NHK)が
数日前に再放送されていたということもあり、
逢う人逢う人に「見ましたよ~」と声をかけられていた石井。

「2日や3日で、子どもの心をあそこまで開かせるのは難しいことです。
私達のように毎日付き合ったって、なかなかできることじゃないですよ。
放送を見たら、いつも話さない子も、たくさん話していて、
あの子があんなにしゃべるんだ!って、
テレビに向かって手を叩いて皆で喜んだんです」

と先生方からも改めて感想を頂く。

そして続く数社の媒体のインタビューでは、
1年をこの日を振り返り、故郷の想いを次のように語っていた。

―― 放射能の問題に直面している町への想い ――

「生活が立ちいかない状況も、今この街にはあると思うんですけど、それでも歌を歌うと、ああやって笑ってくれる、感動してくれるのはたまらなかったですね。今回被災されたどこの港町も同じだと思いますが、ここも悲しさから一所懸命立ち直ろうとしている町なんじゃないかなと思います。どうしても放射能や風評被害の問題で復興が立ち遅れてしまうので、そういうところの解決に向けた対策を、もっとしっかり行政に行って頂けたら、少しは皆、顔を上げられるのかなと思うんです。それに僕はここも東北だと思っているんです。トンネルの先は福島なのに、関東に括られて対応が手薄になるのは、あまりにも可哀想。放射能の問題なんて、線を引けるようなことじゃないんです。ここの子ども達にしても、放射能の問題で、遊ぶ時間は限られているのに、登校するのに30分、帰るのに30分かかるんです。その登下校の1時間は、大人はどう説明したらいいんでしょうか。目に見えない恐怖みたいなものが、今後、子ども達にどういう影響を与えてしまうのだろうと、すごく心配です。福島も同じ。そういうところで生きている子どもたちのことを、日本中の、もしくは世界中の人に考えてほしいです。来る度に心が痛むのは、僕らは東京に帰ればいいんですけど、この子たちはずっとここにいるわけです。震災で半壊した家が、壊されて平地になっていくのを、“今日はこの家が無くなった”“今日はこの家が無くなった”って見ながら登下校しているんですよ。それをどんなに子ども達の気持ちを淋しくさせているかと考えると、本当に胸が痛いです」

―― 故郷への感謝 ――

「岡倉天心が作った日本美術院がある、文化の発信地でもあるこの町に生まれ、山や海に囲まれた自然いっぱいのこの町で育ったことが、僕の感性を磨かせてくれたんだなと、今改めて思っています。ステージや衣裳など、全てのプロデュースをできるようになったときに、“ああ、このために僕は絵の勉強をしてきたのかな”と思いました。僕の作る歌に、情景やストーリーが見える歌詞が多いと言われるのも、きっと絵を描いていたからなんだろうなと。故郷で身につけたものは、どこかで何かしら自分を救ってくれている。そんな僕を作ってくれたこの町が大切だし、今この厳しい状況に対面しているこの町を見て、何もしないわけにはいかないんです。これからも、自分の生まれたところに寄り添った活動をしていきたいし、まだまだやるべきことはいっぱいあるんじゃないかなと思っています」

「この二宮金次郎、俺の小さい頃のままなんだよね!」

「MIND from MIND」を立ち上げてから1年。
先日、皆様から集められた支援金の一部を
北茨城への寄付に充てさせて頂く旨を報告した際に、
たくさんの皆様から、温かい賛同の声をお寄せ頂きました。
そのお気持ちに、石井竜也より心より深く御礼申し上げます。

14時46分を迎え、北茨城の海に向かい黙祷を捧げた際に、
背中に強く吹く海風が、
フッと自分の気持ちを軽くしてくれたと後に石井は語っていました。
それは震災後、何度か北茨城の海に訪れていた石井の
初めての感覚だったそうです。

かつての人と海との関係性が戻る日が
一日も早く訪れますように、
GROUND ANGEL - MIND from MINDでは
これからも皆様のお力をお借りしながら
石井竜也の故郷・北茨城市をはじめ
被災された皆様への支援を続けて参りたいと思います。