勇気のある人、ない人。
石井竜也
14.02.12 01:05
よく、そんな曖昧言葉で人を表現する大人雑誌。勇気は誰にでもある精神の奥深くに隠し持っている、パワーなのです。引っ込み思案で、自分で言いたい事も、人の前では言えない。これは勇気がない訳ではなく、人前に出られない性格なだけです。心の中では、しっかりとした自分の意見が固まっているはずです。だからこそ、自殺は絶えない。生活苦からの自殺は、仕方ないにしても、自分自身との向き合い方で挫折した人の自己犠牲は、本当に痛ましい。勇気とは、自分の意見を、人に伝える事ではありません。むしろ、その感情を、自分の中で昇華出来る力の事を言います。人前で自分の意見が言える人が、じゃあ、この国に何人いるのか?嘘半分で、言いたい事を美辞麗句でくるめて言う輩より、自分の中で、結論を出し、自分の中で納得をし、自分と同じ悩みや、似ている境遇の人に一言、その考えに考え抜いた一言を、アドバイスとまではいかなくとも、言える勇気が本当の勇気です。嘘で固めてあらゆる方々を巻き込み、商売している人間とは、神と悪魔ほどの違いがある事を忘れないで下さい。『卑屈』とは、卑しい事を、何の罪悪感も持たずに実行出来る人の事を言います。『卑劣』とは、他人の痛みを解っているくせに、利益のために、社会的にも、人道的にも弱い立場の人びとを、欺き、騙して、自分だけの幸福を、自己満足で行える無神経きわまりない人の事を差します。『卑怯』とは、人情を忘れ、法に触れる事もいとわないで、弱者の悲しみを利用して、利益や、満足感を持てる人を言います。平気でこれらの事を実行出来る人を、『人非人』と言います。つまり人でなしです。『邪気』に屈服し、悪に魂を売り渡す事は、勇気ではありません。落ちて行くのも解らずに飛び込む「畜生」の事です。他人の努力を認めず、自分だけの優越感をご満悦にたたえさせ、その事が、金を生まなければ、即刻排除出来る鬼畜生にも劣る、人ではない「人情のない人」がこの世にはいます。イジメもその一つである事を、社会人(大人)は、自覚しなければなりません。それは見えないからです。見ようともしない事は、この世での一番の罪です。イジメには、3つのカテゴリーがあります。1、イジメを何とも思わない奴の存在。2、それを見て見ぬ振り、もしくは楽しんでいる連中。3、その行為に何の根拠もなく加担し、楽しむ奴。このうち、誰が一番、罪だと思いますか?正解は、3番です。この世で一番の罪は、いじめられている人を、おもしろおかしく、無関心に見ていられる精神状態の腐った人を、本当の人間社会では、『悪魔』と呼ぶんです。悪魔は、何も、角が生えて醜い姿をしている訳ではありません。普通に生きているような顔を、もしくは、自分は善人ですという顔をして、苦しみのど真ん中の人に、声も掛けない人をさすのです。これを、ギャザリングと言います。傍観者という意味です。関わりもしない、助けもしない、あげくの果ては、自分の鬱憤をいじめられている人を見る事で解消している『悪魔』です。社会が乱れたり、戦争が起こる原因の殆どが、このような、無関心から成り立っている事を、僕らは知らなければなりません。