さくらちる。
石井竜也
14.04.07 19:43
サクラを愛でる日本人の心は、100年前とは違うかもしれない。敗戦と、身も凍るような体験をしている我国では、今では何か儚い美しさの象徴として、サクラを見ているように思う。散り行くサクラ、どんなに美しく華やかでも、終わる頃合いは日本人ならすぐに解る。終わりの解っている美しさを、表す言葉で「美しさ」を使っているように思うのは俺だけだろうか?少年時代、自分が50代の親父になるなんて、到底考えていなかったし、信じられない事だった。人生や、科学、文明、それぞれに終わりはあるのだろう、でも、今ひとつ自分たちに終わりが来る事など、この30年、考えもしなかった。3・11で日本人が一番変わった事は、物事には「終わりが来る」という事実。双葉町の小学校や中学校の入学式が、集団疎開したいわき市で、今日行われた。決して帰る事が出来ない町を目の前にして、生きるギリギリの攻防を、まださせられている福島の人びと。いつまで、仮設住宅に住めばいいのか?と将来を苦にして、ノイローゼになる人が後を絶たない、海岸通沿いの東北の町の気持ち。政治は、国は、と言ってみても、この国自体の脆弱性からして、そうはまともに助けてくれそうもない。政治が出来る事は、この国では決められているのだ。戦争に負けるという事は、こういう事なのだ。敗戦国は、勝利者の国には、反抗出来ない。せめて日本のように勤勉である国には、数々の頭脳が次々に出てくる。だから、ナントカ細胞も、ある意味、日本人の焦りを感じた事件だった。ゴーストライターは、こっちに置いといたにしても・・・。身障者を名乗り、自分の作品でもない物を、大先生気取りで、被災者の方や、被爆2世の肩書きを利用した彼の行動は、笑えないな。こういう事件は、ある意味、国の精神状態が、かなり疲弊している証拠であると言う心理学者もいる。俺は、違うな。サクラの儚さを、本当の意味で理解した今だからこそ、こういう嘘に、寛容にはなれない時代になったのだ。現実面で、かなりのダメージを残したままのこの国で、その後処理もきちんとしないまま、ただ、経済論理だけを声高に言い続けても、人びとの心には届かない。散って行くサクラの姿に、最後は潔く・・・なんて、考えられないよね。人はあがいて、かっこわるくても、一生懸命に生きる価値と権利がある。せめて、「サクラは散っても、どうせ来年また咲くんだろ!」くらいの強さを持たなければ生きては行けないくらい、厳しい時代になったのかもしれませんね。