京都の庭師の名人に聞いた話。
石井竜也
14.04.13 01:23
彼は京都のかなりの旧家で、おそらく皇室関係から町の街路樹まで、あらゆる樹木と対話してきた家系なのだろう。僕と落ち合ったのは、彼が長年掛けて育てている木々の生い茂る庭というより、雑木林的な場所だった。柔和な中にも、毅然とした雰囲気、凛として、木々を見渡す彼の目には、まさにあらゆる情報が渦巻いているのだろう、「ほら、あそこ、しだれ桜だよ・・・」とぼそっと、話しかけてくる。そこは、雑木林どころか、彼があらゆる試みを日々樹木に施し、新たなる新種も作り上げる事が出来る、魔法の庭園であった。ただ、大邸宅の日本庭園のような場所を想像していたもんだから、その乱雑とした庭(敷地)がまさか、日本で1〜2位を競う庭師の研究所である事を不思議に思ったものだ。彼は、いろんなサクラの種類を育てていた。樹木と樹木を重ね合わせるようにして、新しい新種などにも着手しているのだった。彼は言葉少なに「なに、先代が、やり残している事も、俺の責任だから・・・」要するに、彼らの世界では、その人、一代の話ではないのだと気がついた。聞けば300年も、育て、研究している樹木もあるという。庭師とは、今まで「庭を奇麗に整え構築して行くお仕事」と思っていたが、やっている事は、命や人生を掛けた研究者という印象の方が強くなった。彼らにとっての時間の概念が、あまりにも一般の我々とは、かけ離れていたために、あの雑木林が奇麗に見えなかったのか!と気がついた。「サクラは嫌いだよ・・・」彼が言う、「どうしてですか?日本人の憧れの木じゃないですか?」そう俺が言うと、「サクラは我侭でね、自分が嫌な場所に植えられると、すぐ枯れる。こっちがナントカしようと、何年もかけて直しても、結局サクラは、自分の居場所じゃないところである事を、悟ってしまうんだよ。そうなりゃあ、こっちがどんなに咲け咲けと祈っても、咲いてはくれないもんなんだよ、・・・フフフ、サクラは我侭だ」まるで一人の人格に向かって話しているように、または、大きな独り言のように、彼は丁寧な口調でぼくとつと話す。樹木を相手にする仕事というのは、10年20年が当たり前。次の世代に願いを託す事もあるのだ。優雅と言えば優雅だが、過酷と言えば過酷だ。だって、その樹木の感性は、自分の代には、見られないかもしれないのだから。それでも、おそらく今日も、彼は、あの雑然とした林の中で、つぼみの調子や木々の特性を見極めては、次のアイデアを10年越しに考えているのか?と思うと、なんだか、自分がずいぶんと小さな事をしているようにも思えてくる。世の中には、こんな風に、時間を飛び越える人もいるのだ。別れ間際、彼が口の中でぼそっと、つぶやいた。「樹木と生きるという事は、1000年という時間と付き合う事である」なんだか、無意識に涙が出た。今でも印象に残っているのは、どう見ても薮の中をかき分けて、見せてくれた小さな苗木。「こいつは風に弱いから・・・」と、いとおしそうに、薮に隠した。愛情とは、かくも偉大であり、探求と冒険を繰り返す事なのか!と、目からウロコであった。俺たちは、多少、焦りながら人生を生きているのかもしれない。だから、時間もないと錯覚してしまう。時間に追われるか?それとも、時間を有意義に過ごすかという単純な事なのだけれども、有意義に過ごすには、かなりの精神力が必要である事には変わりがない。時間の感覚とは、本当に不思議なものである。