人の気持ち。
石井竜也
14.05.21 11:37
世の中の殆どの事柄は、雰囲気や、何となく感じる気持ちで、成り立っている事を知っていますか?政治的には、それが民意という言葉で表され、芸能界では人気だったり、テレビ局は視聴率だったり、とにかく数字があろうがなかろうが、「人の気持ち」を探りながら、世の中というのは、動いている物だというのが、なんか、このごろ解ってきたように思います。なんかはっきりとした確実な数字や統計なんて、どこまで信用出来るか?本当は解らないかもね。人は風の中に、何かを感じながら生きていると、僕は思います。それは太古の昔から、人間に、あるいはあらゆる動植物に、地球が与えた弱い予知能力のようなもの。風は、同じ方向から吹く事はありません。あらゆる角度から吹いてきます。そのたびに人は、進む方向や、考え方、心を多少変化させながら、生きてきたのです。ところが近代になり、大きな戦争や、経済発展の為に引き起こされた格差社会、教育の現場まで浸透する悪辣きわまりない洗脳教育、一部の特権階級だけが贅沢を出来る新世界秩序、システムという言葉で騙される、人を助けるという本来の目的を忘れた政治、国の存亡がかかっている状況、確実な悪意の感じるなじり合い、・・・・考えると、本当に嫌気がさしてきます。だけど、僕らは生きて行かなくてはならない。どんなに醜い物を見せられようと、どんなに汚い事をされようと、自分という本来の人生は、与えられた時間は、宇宙から比べたら、「一瞬」という言葉でも表現出来ないくらい短い。人の気持ちは、風に支配されているんです。清々しいそよ風だけではありません。時には、身体ごと飛ばされそうな暴風だってある。もちろん、その箇所にしか拭かないビル風のような特殊な物まである。なぜ、風を引用しているかというと、風は、何かにあたり、それを動かす力ですよね?何か動く物がない限り、何も見えないのです。木々の揺れ方で、その日の風の強さを計ったり、ほほにあたる感触で、恋に落ちたり、意外にも、風と人間は、関係性が強い事に気がつくでしょう?「風を読む」なんて言葉をどこぞのテレビ討論番組で見た事がありますが、そんな事が人間に出来たら、天才を超えて超能力者です。次にどんな風が吹くなんて、誰にも解らないし、それを予想しながら、生きて行くより仕方がない。つまり、自分の感覚を信じるほか、最終的にはないのです。それが間違っていようと、当たっていようと、自分で最終決定はしなければならない。僕が言いたい事、貴方は100万人が、左に走っている時に、右の方が安全である事を察するとします。その時に、その100万人と違う方向に走れますか?・・・実は、物を作るという事は、これに近いのです。大きく把握はしておく、だけど、自分はどう考えても「それ」を良い事とは思わない。だから、人に馬鹿にされても、自分の信じた方向に、走らないまでも、歩いてみる。それを、実は本当の冒険というんです。冒険は風です。貴方にぶちあたるかもしれないし、背中を押してくれるかもしれない。だけど、その方向を信じるなら、歩いてみた方がいい。100万人が向こうに行くから、私も行かなくちゃならないなんて法はない。世の中は、不思議な物で、意外にも100万人が、間違っていた!・・・なんて事は、世界で案外頻繁にあるんです。だから、自分自身を持ちましょうね。もっと、自分の感覚を信じてあげましょうね。ダークに彩られた場所は、魅力的です。でも、案外、御安い場所を隠せて、悪さ汚さも見えないから、ダークに染めてる事もある事を、絵描きの俺は、よく理解しています。光を描くには、キャンバスの色か、白以上の色で明るくする事は出来ないのです。絵を描く時に、影に反射する影の中の光を描くときがあります。ダーク(暗黒)と影は違います。暗黒は、全く見えない、何も見えない恐怖の色です。影は光が作り出した、一つの美なのです。暗黒と、影を、取り違えると、法に背く・・・というより、人としてやってはいけない方向の風に乗ってしまう。風を読むんじゃなくて、風を身体の、いや、心の全感覚で感じてみる事を覚えましょうね。心地いい音楽と同じように・・・。咲き出した花のほのかな香りのように・・・・。