MIND BBS 〜掲示板〜

芸能界の麻薬問題。

石井竜也

14.06.05 10:28

あまりここでは言いたくなかったのですが、やはりこれだけ世間が厳しい視線を送っているブラック・ホールを、語らない訳にはいきませんね。まず、人の前に立つ仕事をしているという事実。感性を武器に、自分で作った作品を自作自演するという事、何より、大勢の皆さんに支えられているという現実。しかもその方達、つまりファンは、彼ら・彼女らの心の底から信じて大好きでいてくれているという責任、自分だけでは、ここまで長いキャリアを続けられてはいないという責任。まあ並べれば、多くの信頼を勝ち取った人が、なぜに悪の道を選ぶのか?という事に尽きる。つまりは、交友関係と、自身の自覚の問題になってくるのだろう。ある程度のキャリアなら、危険人物との関係は、絶対に避けられる。しかし、そういう世界の人たちと仲良くしようとすれば、残念ながら芸能界には、いくらでも、その道の人たちとのパイプは存在する。しかも、いいカモにされているのにも気がつかないのが、愚かとしか言いようがない。危険人物は、この業界でも、一見して解る。どんなに不良な格好をしようが、真面目な奴は、目で解るもんだ。特に覚せい剤や、違法ドラッグに手を染めているような連中の顔は、どこか、忙しい。落ち着きがないのだ。そういう世界が、すぐそばにある事を、俺はいつも注意している。人のやった事を責めるつもりはないし、偉そうな事をここで言うつもりもないが、法に関わる事を、しかも、自分の身体を崩壊に導いてまでする必要がどこにあるのか?が解らない。理解出来ないのだ。かっこいいとも思わない。今回のように、長い間に渡って、危険な交遊と違法を繰り返しやってきた事には、何ともやりきれない、情けなさを感じる。俺は、実は、この業界に浸かってしまう事を、かたくなに拒んできた。友人も作らないし、誘われても飲みに行く事などはない。申し訳ないが、「芸能界」という枠が、大嫌いなのだ。そこに入って「悦」になっている人びとも、本当に大嫌いだ。別に麻薬をやっているから、過激だとも思わないし、俺の思う過激は、あくまでもその人が本来持っている多少変態な部分とか、物事を違う角度から見てしまう癖であったりする事。そこが俺には魅力に感じる。そういう表現を、薬の力で引き出している事で、既に俺には『普通の人』としか映らない。魅力がないのだ。ラリって、不思議な事を言っても、面白くもおかしくもないし、才能も感じない。それを感じているのは当の本人だけで、周りは引いて行くだけだ。そんな物に手を出して何の得があるのか?俺には全く理解しがたい。才能とは、自然にそのアーティストから、乱反射してくる輝きや、煌めきをいう。残念ながら、麻薬でそれは出せない。60年代や70年代、フラワームーヴメント時代に、「ハッパ吸ってラリってるのが、ロックの神髄でかっこいい!!」とか言ってる、馬鹿野郎どももいたが、俺の世代じゃなかったし、よだれ流しながら、ギターを弾いたり歌ったりする事が、見かけで判断しては悪いが、頭がいいとは思えなかったし、才能の高さも感じなかった。・・・まあ、何も感じなかったな。俺が感じたのは、愚かさと、弱さ、だらしなさと、ばかばかしさだけだった。笑って見ていた。80年代までは、正直何組かのアーティストのそういう醜態は、嫌でも見た事を覚えている。でも、見てよかった。「あんな風にだけは、なりたくない」と思えたから。あれが才能・・・ね(笑)チャンチャラおかしくて、この業界にいる自分が情けなくなる時がある。大した才能なんだろうけど、多くの人を巻き込み、家族や親戚、周りのスタッフまでに迷惑をかけても、違法な物に手を染める芸能人や、シンガーソングライターが後を絶たないのは、なぜなのだろうか?答えは、簡単で、チヤホヤされるのだ。今まで食うや食わずで頑張ってきた緊張が一気に安心にかわるのかもしれない。俺は音楽をする時には、ミュージシャンとは、距離を置く。別に信じていない訳じゃない。信頼がなければ、いい音もだせないからね。だけど、ある程度の距離を持つ事で、遠慮なく言える事がある。下手にお友達になる事だけは避けてきた。それは、米米も同じだ。作品を作る段になって、誰かに助けを求めたり、麻薬に手を染めたりしても、所詮、作品に品位なんか生まれない。ましてや、心に響く音楽なんて作れる訳がない。大げさじゃなく、俺はあんな低い人種にはなりたくない(失礼)。ご立派な人も沢山いるのかもしれないが、そこまで、いろんな人を探求する気も興味もない。だったら、ガウディがなぜ空中庭園を、あんなデザインにしたのかを研究する。ピカソがゲルニカを描いた時代を知りたい。アルフォンス・ミュシャの線がなぜあそこまで洗練されているのかが知りたい。世界では、抽象絵画というと、ピカソというが、その前に、ブラックがいるでしょう?ピカソの1000倍才能があるのに、ピカソの商売に負けてしまった大天才。(ま、パリじゃ、違うけどね)アンディー・ウォーホルがなぜに良いのか?どこぞの画商が儲けるために、評論家を囲って作り上げたように思う。本当の天才は、前には出てこない、画家で言えば、エゴン・シーレや、デュフィ、ターナーにベーコン。言い出したら切りがないけど、あまり歴史の教科書には、出てこない。絵の世界にも、大きな変遷期が幾度もあったし、そこで生まれたジャンルもある、丁度、アブストラクトが栄えた1900年代初頭の構成主義と言われていた抽象絵画のブーム、1930年代アール・デコや、その前のアール・ヌーボー、ダダイズムに、クリムトなどを生んだウィーン分離派が起こした幻想主義、フンデルト・ヴァッサーなどは、このジャンルの生き残りであった。こんな時代の変遷機にも、全く時代を読めない画家も沢山いた。ダリが、シュールレアリスムを継承している頃の、マグリットや、タマラ・ド・レンピッカなど、時代にそれてしまったアーティストも少なくない。エゴンシーレなんかも、クリムトの圧倒的な世界観の前ではくすんで見える。まるで、死人が描いているようにしか見えない。アンリ・ルソーや、シャガールのように、趣味が高じて有名に、たまたま・・・たまたまなった画家もいたし、ミロのように、常に洗練され過ぎて、一般にはずいぶんと長い間認められなかったアーティストもいる。音楽でも、クラッシックの世界では、初めドイツのオペラは、イタリアにはかなり馬鹿にされていたし、モーツァルトが本格的に出てくるまでは、お笑いの種だった。言葉の乗せ方が、イタリアが発祥のオペラには、滑稽に映ったのだろう。しかし今では、世界的に演じられているのは、殆どドイツオペラ。イタリアの宗教的世界観から、人間の本来を映し出した、ドイツ・オペラ。その部分が、人びとの感動を呼んだのだろう。結局、歌や音楽の表現とは、人間の内面の表現なのだ。そこは歌謡曲であっても変わらない。ここまでいうと、話がそれているように感じている人も多いと思うが、正直に自分を出したアーティストだけが、この世に名を残しているという事だ。彼らには、麻薬も、違法ドラッグもなかった。酒や女に溺れたアーティストはいたろうが、それさえも、彼らは作品にした。いろんなキャプションをつけたのは、画家じゃない。・・・商売人だ。だから、「あたし芸術はよくわからないの!」という人がいるが、所詮、画商が売るために小難しい説明を付け足しただけで、要は「好きか?嫌いか?」で見ていいのだ。それ以上の何物でもない。・・・とまあ、芸術の話はここまでにして、俺が言いたい、確信に迫ろう。悪いけど、自分で作って、自分で確認し、自分で表現していたら、麻薬なんかやってる余裕はないのが本当だし、夢中になっている時に、そんな物が介在する時間はない。よっぽど、暇なんだな・・・きっと。同情など無く、軽蔑しか無い。

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