言葉。
石井竜也
14.06.18 11:30
言葉は責任や人格です。言葉の真意より、言葉の持つ意味を理解しないで使うと、案外、落ちなくていい場所からも転落するもんです。それはこの社会に置いて、言葉が生きているという証拠なのです。ここにも、沢山の言葉の問題と戦っている方の投稿が見られますが、傷付く場所を、覚えておく事です。自分がどんな状況で言われたどんな言葉に、「痛い」と感じたか?自分が傷付いた言葉は、どんな「たぐい」の言葉であったか?又、そのイントネーションは、どういう強さで起こったか?嫌いな言葉を、並べても、どんどん増えるだけです。なぜなら、言葉そのものには、大した意味がないのです。状況や自分の環境、今までの経験や人格なども組み込まれた上での、「痛い言葉」な訳です。だから、自分が言われた事と同じ状況でも、別に何事もなく、ながせる人もいるのです。また、相手が、傷つけるために吐いた言葉には、悪意と、嫉妬、妬みや嫉み、自分を優位にするための作為や、あなたをおとしめるための悪意もあるかもしれません。こういう言葉を平気で人に投げかける人のタイプは、2種類です「自分に自信があると、信じ込んでいる人(大した事もないのに)」と「自分が弱いが故に、やられる前に相手より優位に立とうとする臆病な人(権利だけを主張するタイプ)」大体はこの2種類の臆病な人が殆どです。こういう人は、外から見ると、不憫です。かわいそうと他人から思われている事も解らずにいる事が多い。自分が哀れんでみられている事も、解らず、「悪口雑言ぶちまけている事も気がつかない、愚かな人」です。物事には、一定の理解が必要です。他人の立場や、その人の苦労を理解したり、理解しようとする勇気と、最低限の思いやり。これをなくして、自分のフラストレーションだけを人にぶつける人は、ある意味の「人格破綻」でしょうね。よく「私は他人とのコミュニケーションがへたなのよ」と平気で言える人がいます。実はこれ、自分が「愚かな人であると、人に告げているのも同じ事」なのです。社会生活は複雑です。そんな中で、他人との言葉交換が取れないと言ってしまう事こそ、始めの甘えと敗北に繋がります。この場合の敗北とは、「自制心の欠如」の事です。この世の中、自分と全く同じ人などいません。まずそれを肝に銘じた方がいい。「なぜあの人は私と反対の事を言うのか?」と思い始めたり、感じたりした時には、あなたの言葉が、他人を傷つける兆候にあるという事を、示唆しています。イライラや焦り、理由のつかない倦怠感、そんな物はだれにでもある物である事を、理解しておきましょうね。別に「優しい人間になろう!」なんて思わなくていい。でも、少なくても、何の意味もなく、人を傷つけるる言葉を吐く人間にだけはなっては、いけません。あなたが不幸になるだけですから・・・。活字で描けば、痛い言葉でも、言い方や、少しの心使いで、思いやりのある言葉にかわる事は、多い・・・いや、殆どが、そうなるはずです。あなたの方に、「思いやり」があれば!ですけどね?自分を磨く事は、自分から、発せられた言葉が、動人に受けとめられるか?を、想像出来る力をせんれんさせていけるか?という事だと、思います。小さな事かもしれませんが、生きて行くには、小さな事から直して行かなければ、なりませんよね?