父が教えてくれた戦争の簡単な構造。
石井竜也
14.08.09 01:19
俺が二十歳の頃の話だ、夏休み時期、居間に寝そべって、8月15日を、迎えた。嫌々仏壇に手を合わせ、慰霊にお香を炊いた。そこで俺が何の気なしに父親に、第2次世界大戦の特集を見ながら、つぶやくように言った「日本人も馬鹿だよな、こんな戦争起こすなんて・・・」父親は、冷静に、しかも、ニヤニヤしながら、こう言った「お前は洋服が好きだろう?作品や絵を描くのも大好きだろ?音楽が好きだろう?女の子も好きだろ?食べるのも好きだろ?家族も、兄妹も大事だろう?友達だって大切だろう?」俺はテレビに顔を向けたまま、背中で、「フフ・・・あたりまえじゃん!」と解った風な口調で言った。すると父親は、淡々と語り始めた。「その全部が、正義という言葉で語られ、戦争の道具にされるのが危険なんだよ・・・」俺は、はっとした。父親は無口な方で、あまり余計な事は言わないもの静かな人だった。その父親が流暢に話している。「いいか、最先端のデザイナーが軍服をデザインし、実力も信用もある音楽家が軍歌を作り、その時代の最先端の技術は全て軍事関係が独占し、軍人になれば最高の食事がとれ、社会的にも尊敬され、しかも、どう見ても、一般の男より、カッコイイ! 街では、軍人以外の細い男なんか女の子に相手にされない。親戚や近所の人から、意気地なしの息子と思われ、自分も家族も肩身の狭い想いをする。・・・そんなに、社会的に英雄視されて見送られる立場なんだよ。・・・それでも、お前は軍人にならないと言いきれるのか?」俺は、『戦争』という意味をその時に初めて、理解した気がした。父親は最後に独り言のようにこう言った「まるで、気違いじみた祭りみたいだったよ・・・フフ」俺は、頭にげんこつ一つ落とされた気分だった。気がついたら、正座して、父親の言葉を聞いていた。一般庶民と軍人が根こそぎ違う扱いをされ、英雄と、守ってもらう側だけの存在に分かれてしまう。しかも、若者にとっての強い精神力や肉体、正義感や英雄に対する憧れは、どんな時代にも存在する。その全ての理想を、戦争という文字を使わず、『正義』という旗のもとに集められてしまったら、確かに、俺も戦場にいるかもしれないと、その時思った。そんな時代に「戦争反対!」などと言っても、おそらく流れ始めた濁流に、かき消されてしまうのだろう。毎年、この時期、我々日本人は、喪に服す。靖国だの、A級戦犯だの、はっきり言って、俺はどうでもいい。しかし、17か18で、特攻隊で死んで行った、当時の若者達に対しては、手を合わせるくらいの真心が合っても良いはずだと思う。そして、世界で何の罪もない人間が、6000万人とも7000万人とも言われる犠牲者達に対して、心を向ける事は大切な心の行事だと思う。もちろん、今まだ殺され続けている内戦や、小競り合いの国に対しての犠牲者にもだ。たとえ、他国の感覚が多少違うからといって、そこを遠慮するのはおかしいと、俺は思う。その御霊に対しての感謝と、誓いを立てる事は、けっして、悪い事ではないと、俺は心から思う。要するに、そこに政治理念や、経済効果、怪しげな策略や、思惑がないのが条件だが、崇高な精神で手を合わせるなら、世界の目を気にする事こそ、品位に欠ける行動になってしまう。政治家だって、一般庶民だって、本心にある謙虚さを持って、手を合わせるなら、他国にどういわれようとするべきだと、俺は思う。これは宗教じゃない。信仰心と畏敬の念の行動なのだ。それを世界にも認めてもらうためにも、日本人の先人への御霊の供養をおろそかにするべきではない。それを止める時に、反対に戦争は、起こりやすくなるとも言える。この時期、少しでも、対戦前夜の日本の状況や、どれだけ苦労して、日本が立ち上がったか?くらいの事を、考え、調べてみるのも、大切な自国の理解に繋がると思うし、危険な匂いを察する、手だても生まれてくるとも思う。これが実は本当の、その国の「民度」なのだと思う。日本人は、もうとっくに、反省し、謝罪し、後悔し、自暴自棄になり、敗戦国の汚名を、我慢してきた。でも、そんな事は、どうでもいい。今、大切な事は、無関心にならない事である事だと思うのだ。もうすぐ敗戦記念日。・・・呼び名なんてなんでもいい。とにかく、悲惨な一時代が終わった「記念日」だ。「祈念日」は、広島・長崎だけじゃない。沖縄、東京、かり出された幾万の若い命、日本全国が戦争の渦に巻き込まれた悲劇を痛感した日である事には、変わりがない。神社なんか行かなくても良いです。ただ、平和である事を、誰かに伝え、共有しましょう。『絆』というのは、こういう時に使う言葉なのかも知れませんね。