とある本を読んで
柵
14.09.18 00:05
虐待されて育った子は『善と悪が逆』になっている
いじめ・暴言・暴力・DV・・・戦争も、私は、すべて虐待と認識している。
歪んだ認知……。
中略『夫(妻)から暴力を振るわれて、二度、大きな怪我をした。生活費はすべて管理され、自分のお金はなかった。だから、自分で勝ってに出かけたり、好きなものを買ったりはできなかった。出かける時はいつもケータイに電話がかかってきて、どこにいるのか、何をしているのかと、「監視」された。
ある時、家で、急に体がぶるぶる震えてきて、呼吸が荒くなり、動悸がひどくなった。それから何度も繰り返すので、どうしてだろうと考えて、夫の帰宅時間が近づくとそうなるのに気がついた。それに気づくまで数ヶ月かかった。しかし、どんな時でも玄関に夫の姿が見えると震えは止まり、きちんとできた。働いていた時に、上司にきつく言われて同じ症状が出てしまったことがある。――それでいつも自分から退職した――』
親権裁判が始まる。裁判中、彼女はずっと自分自身を責め続ける。
『“裁判の時、夫が証言している間は怖くて法廷に入れなかった。――裁判中はずっと「こんなことしていていいのか。夫ともう一度仲直りして、裁判を止めようか」と迷っていた――。ある時、弁護士さんに「できれば夫と上手くやっていきたいのだけど……」と迷いを口にしたら、「あんな冷たい人に戻ってきて欲しいの!」とびっくりされて、叱られた。――心の中では「暴力を振るうのは私を愛しているからだ。いつかは変わってくれるはず……」と考えていた。それは、親に対してずっと思ってきたことだった。”―――彼女の話を聞けば、誰でも裁判に勝って、子どもと暮らして、DV夫と別れるほうがいい、と思うだろう。しかし、彼女は逆だった。“夫に逆らわず、夫の優しさを期待して、そばにいて耐えること”である。――人が当たり前のように思っていることが、彼女にとっては悪いことである。なぜそうなるのかというと、次のような心の動きからである。「目の前にいる親は、暴力を振るい、御飯もだしてくれないことがある悪い親である。子供はそれ以外の親を知らない。自分が生き延びていくためには、その親に従うしかない。人は誰でも生きていこうとする。そのために必要なことを実行することが「善」である。」――悪い夫に耐えることが善であり、夫と争うのは「悪」となる。善悪が逆転した心理システムに生きていると、悪に耐えていると心は安定し、善を求めると不安になる。期待できないものを期待するよりは、確実なものに耐えていたほうが不安は小さいからだ。』
そして、彼女は裁判に勝ったが……虐待の連鎖は続き…。自分の子どもを虐待してしまった。福祉の人に何度も相談したが…「じゃあ、児童相談所に子どもを一時預けたらどうですか」と言われてしまう。その通りかも知れないが、彼女の気持ちを全く気遣っていない、事務処理対応に、彼女は二度と相談することはなくなり、また、一人で虐待をしてしまう日々との葛藤だった。が、彼女は“自らの意思の力で病院を訪れて、虐待の連鎖を断ち切った。”そして、彼女は本当に善悪を再逆転して、子どもと『生きている喜び』の人生を今 生きている。
いじめ・暴言・暴力・DV…戦争…etc.
これらの事を、自分自身が行っているとか、行われているとか認め、病院に通うということは……並大抵の人間には出来ないことだと思った。
そして、その“善と悪が逆”という連鎖を断ち切った精神力に学んだのは『必ず悪は断ち切れる』ということ。
人はどんな状況下であったとしても、産まれながらにして、“生きる”という力強さを備えている、“善”という大切さを知っているということ。どんな状況下でも人間は、頑張らないと生きていけない。同じ頑張るなら『平和な世界を』感じられるように、日々、小さくてもいい、自分なりの平和な努力を積み重ねて行こうと実感した。
『生きている喜び』とは『先ず自分自身が歪んだ認知をしていないか?歪んだものの見方をしていないか?』という、自分自身への問から始まるものなのかも知れない…と思った。
