全ての人に平等な事。
石井竜也
14.10.23 10:21
「人は生まれて必ず死ぬ」という事だけは、世界共通です。40000年も生きたなんて人を、見た事は無い。それなら、この短い人生の中で、どう生きていくべきか?世の中は、不思議なものです。起こりそうもない事故に巻き込まれたり、聞いた事もない病気にかかっていたり、昨日笑顔で別れた同僚が、朝冷たくなっていたり・・・まあ、あんまり縁起のいい話じゃないけど。事実、ある事ですよね。時間を生きて行く事は、愛する人と別れたり、好きな車を買ったりと、いろいろな事が起こります。その中でも避けて通れないのが、愛すべき人たちとの永遠の別れと、そのときの厳しいほどの悲しさ。これは誰にでも、起こりえることです。それまでの、楽しい仕事仲間との食事も、大好きなコンサートや、映画鑑賞も、あんなに好きだった読書も、この厳しい悲しみで、逃げ込む事も出来ない事がありますよね。そんな時には、音楽さえ聴く気になれない。症状が酷ければ何も受け付けなくなってしまい、あんなに笑顔が素敵だった貴方は、その笑顔さえ忘れてしまったようになる。要するに「絶望」する訳です。この深い絶望の暗黒に入ると、人は、あたかもそこが終着点か、この世のおしまいのように感じる。そんな時に小さな光を見つけたとしても、貴方は自分から光には向かわないでしょう。きっと、逆に遠ざかるかもしれません。光り輝く明るい未来など、希望も期待もしなくなり、暗闇に閉じこもった方が、楽なように感じる。これが「心の放棄」です。絶望の向こう側にある漆黒の闇を見ているのです。・・・だけど、そんなに奥の暗黒に入って行っても、まだ、救いはあるんです。目をつぶろうが、耳を塞ごうが、口を塞ごうが、聞こえてくる「思い出の歌」心で鳴り響く音までは消す事は出来ません。湧き出た歌は、貴方を包んで、多少、明るい場所まで運んで行くでしょう。何も感じなかった感情は、たった4小節の歌によって、その固い扉が開かれる事がある。数日何も食べていない人のように、貴方は、その歌を、実際にかけてみる。今まで見えなかった部屋の隅々までが見えてきて、音楽と、貴方だけが、そこには存在している。夢も希望もなくていい、ただただ、貴方は大好きな音楽の中に包まれて、初めて、泣く事が出来る。涙はやがて、心に染み付いた汚れを落とし、本来の貴方の心が、鼓動し始める。そして、やっと解る。そんなに厳しいほどの悲しみを通り抜けなくてはならない時期にさしかかっている人が、実は、自分だけではなかった事を・・・。大人になるのも悪くない。人の痛みを解ってあげられるから。愛情や、友情、信頼や、信じる事が、どれほど、貴方を変え、それが発端になり、社会自体の価値観が変わってくる。僕たちは、実は、こういった誰にでもある心の中の自然災害に見舞われ、「絶望」や、その先にある「心の放棄」を体験し、やっと、一人前になれるのかもしれませんね。現代のお経は、『歌』かも知れない。「幸福なんて、数える程度」と開き直らないで。貴方の大好きな歌と一緒に、流れに身を任せてみるんです。もがくと、溺れる、泳ぐと、疲れる、早く水から上がらないと、体温が奪われる。だから、ゆっくり、岸辺に向かうんです。あなたのついた岸辺が、貴方の幸福の場所です。そこまでの危険を乗り越えてまでも、助かった心を、まだ「不幸せ」というのなら、きっと・・・貴方は、岸辺には着いていません。早く、自ら上がる事をオススメします。たき火を焚いて、身体を温め、濡れた服が乾く頃、同じように岸辺に上がってくる人びとがいます。その人びとは、あなたと、大差かわらない深い悲しみの川を下ってきた人たちですから、何も言わなくても、一緒に、たき火に手をかざすでしょう。その光景が『共存』なのです。