立ち上がるときの勇気と、犠牲。
石井竜也
14.10.26 10:48
今の日本は、丁度、大きな事故に遭い転倒してしまい、ぼろぼろになりながらも、立ち上がるときのよう。確かに、至る所が痛む。だけど助けを呼ぶにも、家族や友人を抱き起こすのにも、まずは比較的傷の浅そうである自分が、立ち上がらないと・・・。ただ、それだけで、必死の思いで、立ち上がっているのが今の日本の状況である。災害や事故に巻き込まれたときの精神的な状況は、困惑と、必死さと、驚愕で、頭の中は乱れる。しかも、状況を把握するまでには、少しの時間がいる。人生でつまづいたときだって同じ事が言える。復帰出来るまでには、それだけの時間と、精神力が必要だ。世の中で何が一番大切なのだろうか?僕は、「決して、諦めない事」それと、「諦めざるを得ないときには、それを必ず教訓にする事」言い方を変えれば、決して失敗から逃げないで、なぜ失敗したかを冷静になって解読し、自分自身の指針に出来るよう、努力する事だ。いつまでも誰かの責任にして、恨みばかりを、自分の人生にこびりつかせない事は、生きるという事の本質と人間性を保ち、大きくさせてくれる事でもある。それでも、人は、一生許せない事も出てくる。『不幸』とは、そういう事象を言う。決してお金がないから・・・とか、家庭環境が・・・とか、政治が悪いから・・とかじゃなく、『許せるだけの余裕もなくしてしまった時』要するに、万年パニック状態の事だ。自分の経験からいうと、失敗の影には、必ず『安易』という事がある。物事の決定や、他人とのコラボレーションにおいて「安易な決定」が、失敗の全ての要因になってきたのは、自分の軽薄な人生経験からでも、はっきりと解る。だから、僕のような失敗を皆さんにはしてほしくない。それでも、その時その時においては、それなりに必死で考え、熟考したつもりだ。なら、なぜ、失敗するのか?それは、「身の丈にあった、決定をしなかったから・・・」これに尽きるのだ。結局人間は、自分の出来うる範囲というのがある物だ。それをわきまえず、精査もしないで冒険だけに夢中になれば、物事は、牙を剥いてくるってことだな。人生、一瞬の判断を迫られるときもある。そんなときの失敗は、事故として、何となく諦めもつくものだ。しかし時間もあり、ある程度の時間の猶予もあって、なのに、きちんと自分とも向き合わないまま、悪戯に時間を無駄にして、軽薄に決めた事柄での失敗は、後の痛手も大きいし、自分がまず、許せない。・・・そうならないように、人は、目の前の問題に対して、常に真摯でなければならない。出来るだけ、いろんな角度から物事を観て、いろんな意見も聞き、それらの事全てを、絶対にバカにしない態度が、あって初めて物事は回転し始めるものだ。それは個人であっても、国であっても、同じ事なのだ。ここには、様々な人生の書き込みが集まってくる。時には自己反省もあり、時には、悔しさ、寂しさ、苦しさ・・・いろんな感情が、このサイトを作り上げている。僕は、このサイトを立ち上げて本当によかったと思っている。東日本大震災の心の意見交換を目的としていたこのサイトは、いつしか皆さんの人生のはけ口になったり、教訓になったり、他の人生を知る場所になったりと、様々な意見の交換の場になっていたりする。これは、本当に素晴らしい事だと思う。一人で悩んでいる人も居るだろうし、何か答えらしきものが、欲しい人もいるだろうと思う。生きて行く事の方が、困難である事は、十分知っている大人の集まる場所になったと思う。何気ない日常を切り取って、歌の歌詞のように、何気なく表現する人もいれば、よくよく困り果てて、苦しさを吐き出す人も居る。多少強がりな意見もあるだろうし、弱過ぎる意見もあるでしょう。でも、これ全部、生きていれば誰にでも起こりえる精神状態ですよね?浮き沈みは、生きていれば当たり前、いい時、悪い時、人様々で当たり前。いろんな人生の時期を迎えておられるのだと、いつもみています。他のサイトを、のぞいてみると、確かに、ヒット数は桁違いでも、悪口雑言、恨みつらみに人をこき落としたり、笑い者を作り、皆で顔の見えない罵倒を繰り返すサイトの多い事・・・。それが人間の本性だとは、思いたくないですね。