阪神淡路大震災から、20年が、経ちました。
石井竜也
15.01.17 23:52
あの教訓から、僕らは何を考え、何を教わったのだろうか。天災が起こってしまった事を恨むのではなく、あらゆる事は、現実であり、起こりえるのだ!という事を、肝に銘じなければならないのかもしれない。こうやって、亡くなられた数多くの被害者のみなさんの魂が、壮絶な死であったにせよ、今は安らかであって欲しいと、心から、思います。そして、仮設住宅での長い年月に絶えられなくなった、人びとが、自ら命を絶った事件も、確か、5年目位から、多発したという記憶があります。多分、3年は、生き残る事の方に必死で、悲しむ事を、一時忘れていたのでしょう。しかし、数年が経ち、街が、砂漠のように整地されたときの悲しみは、口で言えるもんじゃない。ましてや、肉親の死を目の前にした経験は、忘れようにも忘れる方法がない。太古の昔から、神社は、ある意味生きる事の法と、秩序の場所。仏閣は、日々の暮らしや、とてつもない悩みを、持つ物が駆け込んでくるカウンセラー的な役割を果たしていたと思えるのです。これだけ、多くの災害に、あっても尚、この国が好きだと、胸を張る日本人がこのところ、多くなったように思います。これもひとえに、阪神淡路大震災、そして、東日本大震災を経験して、ようやく達した、日本人一人一人の境地のようにも感じるのです。「忘れない事」それは、命を守ります。「忘れない事」それは、人びとの心を一つにします、「忘れない事」それは、精神性や人情、慈悲、許し合える尊さを、日本人にまた深く教えてくれたように思います。まだ20年です。苦しまれている方々は今も尚沢山いらっしゃるでしょう。でも、前を見なければ、亡くなった多くの命に失礼です。天で、おそらく、多くの御霊は、心配しながら、僕らを守ってくれています。僕らも、そのような、幾多の命に感謝し、自分の存在意義から、この時代に生まれた運命を受け入れ、数多くの事を学ぶべきです。阪神淡路大震災、いろんな事を教えてくれて、本当にありがとう。亡くなられた方達がどんなに無念だったかを考えると、涙が出ます。でも、神戸は国際的にも、日本の海の玄関口の街。みなさんの復興へのご努力と、その粋な、神戸ならではの感覚を、あの大震災で、尚も高めている神戸市民。本当の恐怖を味わったからこそ、心からの笑顔も、苦しんでいる東北の方々の事も、おそらく手に取るように、お解りになるのだと、思います。最後になりましたが、本日1月17日、天に上った幾多の命に対し、「後は、任せて下さい」と、神戸のみなさん、ささやいてみて下さい。大きな夢や復興は、「ささやく事から始まります」。