暴力しか通じない人もいる。
石井竜也
15.01.28 19:41
こんな事を、このサイトで言うべきではないかもしれない。けれど、人間というものは、愚かで基本的には野蛮なのだ。屠殺場を見ないで肉を食べる。多分、豚が殺されるシーンを見て、ハムは食べられない。殆どの人が、「家畜なんて、苦しまないで死ぬんでしょ?」程度。ある人は、「タンパク質はとらなきゃ、死んじゃうし・・・」だから、一年に、数万匹の豚が殺される事は当たり前・・・。しかも、今じゃ全てがコンピューター・システム、何万頭もの豚や牛の肉は、解体され、綺麗なラップに包まれて、小さな、出口からベルト・コンベヤーに乗って、出てくる。個々では、当たり前で、命なんて考えていたら、やって行けない仕事なのだ。しかも、それを、全ての人びとが欲している以上、やらないわけにはいかない現実・食生活。ここで、俺はふと、思った。これって、戦場の近代化に似てないか?誰も、喉をカキ切られて苦しむ動物の姿なんか見たくない。だから、遠くから操作して、手際よく殺す。しかも、出てきた時には、『製品』という違う素材になって、流れ作業の最終段階のシールを張られる。数時間もしないうちに、綺麗に、包装された、スーパー・マーケットのお肉売り場に、あたかも、パックで生まれてきたように、当たり前に、陳列される。時々、血液が、パックにたまっていると、「すいません!こんな血の付いた商品を、置くなんてどうかしてます事よ!」と、どやされる。店員は、ガムを取り替えるように、あまり血が流れていない商品と、交換する。しかも、その需要は恐ろしいほどの食欲で、社会にまわされている。食べない訳にも行かない。どんな方法でこの行程まで辿りついているかなど社会はこういった裏の様子は、出来るだけ、一般の人には見せない。同じ事が政治にも戦争にも起こるのだ。暴力を生業としている人に、命乞いの声など、通じない。「人間なんだから、慈悲の心があるはずだ・・・」大体の人は、こういう甘い考えでいる。だが、残念ながら、そんな事は一切考えない人もこの世には、存在する。今始まった事ではないのだ。ローマ時代にも、江戸時代にも、同じような事があった。スターリンは、自分の部下が政権を脅かしていると、思い込み、自分の側近を無惨にも大規模に処刑した。悲しいかな、人は暴走すると、見境がつかなくなる。事の善悪さえも変えてしまう。そんな事にならないように、我々は、目を光らせて行かなければならない。「暴力」でしか、解決出来ない時代が来ないように、今は祈るしかないのかもしれない。・・・でも、祈らないより、確実に良い事だと思う。