記憶の限界。
石井竜也
15.03.23 12:43
日本各地で、猛威を振るった、大震災からの自然の猛威、それが終わると、隣国との不協和音、それに伴う、国内で怒る、信じがたい殺人や、猟奇的な事件。人は、どこに、中心軸を合わせ、政治や社会と向き合い、人を愛していいか、災害の影響か、それとも、なにがしか不安な時代の変遷期を感じているのか・・・・とにかく、小賢しい、卑劣な反抗は続いている。この状況は、なぜか、自分の評価を嘘で作り出す事件の頻発から始まったように思う。転がるように変わった政治の世界。全地球規模で起こっている、民族紛争と、イデオロギーや、宗教弾圧、もしくは、利益優先型社会制度の崩落。とにかく、この時代を、私たちは、必死で乗り越えようと、もがいている。それは個人であれ、社会であれ、同じ事のように思う。自分の生活を冷静に見れば、テレビやインターネットの嘘が、自ずと、わかってくる。まさに自分自身の生活自体の中に、現代の闇は隠れていて、それは気をつけてみれば、必ず、社会と直結している事に気がつく。人は自分の小ささを嘆く「巨大な可能性」なのだ。だけど、その可能性に、「お前は小さな存在だ!」と社会のあちこちから打ちのめされ、いつの間にか、偉大な可能性を、手放してしまったり、努力をしなくなってしまったりするものだ。しかし、だからといって、その人を攻める事は出来ない。それは、そうやって、時代の中の権威ある者が、民衆を押さえてきたからに他ならないからなのだ。人は、一人の巨大さをいつの間にか忘れさせられ、まるで社会の傍観者のように、決まったチケットの座席順に並べられ、おとなしく、しかも、幸福そうに、窮屈な小難しい演劇を見せられているに他ならない。忘れてはだめだ。自分自身を絶対に忘れてはだめなんです。あなたは、人間だ。心を持った地球人だ。愛情も情熱も、友情も、慈愛も全て、持ち合わせている生き物だ。ただし、この感情は、忘れやすいし壊れやすい。そしてほんの些細な事で崩壊する。だから、自分が保てなくなってくる。それでも無理して自分を維持しようとすると、どこかで嘘をつかなければならなくなる。そこで人は、ふと、気がつく・・・自分が大人という部類の社会の「いち歯車」に作り替えられていた事を。夢は現実味を増し、まるで考え方まで一変して行く。そして、自分を鏡に映した時に、ふと、気がつくのだ。「俺は何者なんだ?」ってね。しかし、安心して下さい。世界中の殆どの人は、そういうカオス状態の社会の中で生活し、見失う事は当たり前のような教育と、システムの中に生きているのです。じゃなきゃ、戦争なんて起こりはしない。社会構造を突き詰めれば、実は完全にコントロールされた流れがあり、そのほころびは、あちこちで小さく報道されるから、全く巨大な計画には気がつかない。異常になる人間社会は、異常にしたいと願う者たちで作られた、世界規模の計画かもしれないのです。日本人が何故、こんなにも冷静でいられるのか?きっと世界は、そう思っています。それは、我々の中には、ご先祖様から代々受け継がれた、自然災害や、天変地異にどう向き合うかの「あきらめ」と「覚悟」が同居しているからに他ならないのです。でも、そんな強固にも見える日本人の血の記憶も、忘れるほどの潮流が人間社会には存在するのです。ある時は戦争、ある時は暴動、ある時は災害、そして、今この時代においては、「経済」です。何者かが、何かを欲するがあまり、民衆はその計画に落とされて行きます。そこに気がつきそこを糾弾する者は、抹殺されるか、社会人としての証拠である、ブリキの勲章を外されます。私たちはそれが怖くて、動けないし、正直な言葉を吐けないでいるのだと思います。結局、政治という者は、どんな種類の者であれ、普通の民衆にとっては「恐怖」を植え付ける事でなり立っているという事なのでしょう。攻めて、小さな自分でも、忘れない事です。この世で一番怖い事は、流れに乗らされて、自分を忘れてしまう事なのかもしれませんね。