日本人気質を大切に。
石井竜也
17.02.20 04:13
昔から、日本という国の国民性は、清貧を旨とし、他人への気遣いと、自分への厳しさを、尊厳として、生きてきた民族です。これだけ、あげても、奇跡の国民であることは、明白であります。300年前の切腹は、今でも、一年に3万人という自殺者の数からも、その責任感と、自分の中に、問題を、抱え込む気質に出ていると感じます。大震災のおり、炊き出しに並ぶ日本人の姿を、世界は、厳格な、真摯な態度と、賞賛してくれていましたが、元々気質ある日本人が、そのまま自然に行なっていただけなのです。これは日本人にとって、当たり前のこととして、互いの心と、現実を共用する、日本の美学であると同時に、プライドなのです。その巨大すぎるプライドゆえに、戦争も半端じゃなかった。今回の安倍総理の、アーリントン墓地への訪問は、安倍さんが、えらいのではなく、日本人の、当たり前の考え方が、行動に出ただけなのでしょう。僕は、愛国心という言葉を、忌み嫌っていました。それは、戦後教育のなかにおいて、左翼思想と、終戦ではなく、敗戦を受け入れようとしない、日本の教育システムの、ねじれ現象に翻弄されてきた、教育を受けてきたからだと思います。日本人は、実に立派だと思います。建築技術、土木技術、科学技術、最近のAI技術に代表される、キメの細かい技術革新、医学の飽くなき冒険と健闘。次々と、見つかる不治の病の解決研究の成果、しかも、文学、しかも、平和活動の拠点も世界的に見ても、日本に注目している傾向は否めない。次々と、受賞するノーベル賞。しかも、誰一人、それを、ひけらかすことはしない日本人のメンタリティーは、世界からも賞賛されていると思います。それでも、日本人は、まだ、地味に、恥ずかしがる。「謙虚」という精神構造が、日本人の、自尊心の中核にあるため、自分で許されないことは、しない民族である。そういう日本人の当たり前の礼儀が、世界の賞賛にもつながっているという、偉大な国でもあります。愛国心というものは、決して悪いことじゃない。自分の暮らす国を愛せない輩は、とっとと、出ていくべきだ。この国の、清潔感を、いたずらで、意味のない屈辱的な意見で汚して欲しくないと、この頃思うのです。一人の少年の行動が、世界を感動させました。一人の自衛隊員の行動が、地域の人々の力となりました。一人の老人の言葉が、全国民の涙を誘いました。日本人とは、元来、そういう民族なのです。していただいたことには、必ず、お返しをする。たとえ他国の考え方が異なっていて、悪いことをされても、必ず、熟考してから結論を出す。世界から見たら、静かで、自分の意見を外に出さない、不思議な民族に映る場合もあるでしょうが、この頃の世界の反応は違ってきてます。日本人はやっぱり『サムライ』なのだ。技術者を、尊敬し、自分ではできないことをする人を、尊敬し、物事を深く考察する国民性が、行動するとき「謙虚」という言葉がに変わっていくことを、世界は理解し始めているのです。この意見は、右翼思想にも、感じられるかもしれませんが、僕の意見としては、靖国への固執は、もうやめるべきだと思います。戦争で亡くなっていった御霊は、もっと、わかりやすい状況で、埋葬、安置されるべきだし、靖国の方針には、はっきりしない論理も多数あることは見受けられることは事実だとも思います。当時国を思い、亡くなっていった兵士たちは、「靖国で会おう!」と、特攻していったと聞きますが、それなら、そういう施設の中に、靖国の、場所を作ればいいだけであると思います。靖国神社は、本来の、御霊を祀り、日本古来の八百万の神を祀る、普通の神社に戻るべきだと、僕は思います。それは、戦争の英雄地王ものは、当時の横丁のおばちゃんにも言えることだからだと思うからです。神社に、英霊も、一般市民もありません。魂を、収めておくなら、戦争の記憶をむしろ、癒し、消したほうがいいと思う今日この頃です。平和は、大きな世界の秩序だと思います。戦争の犠牲者だけのものではないはず。アーリントン墓地の、セメタリーには、42個もの、宗教のマークが一人一人、刻まれています。世界を相手に外交、経済、政治、そして国の成長をしていくのなら、まずは、この偏った、思想に、神社という施設を利用しないということだと思います。あくまでも、神社というものは、神をお祀りする場所だと思います。もっともっと、神道の本当の意味を、思い出すべき時代が来たのかもしれませんね。
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