人の命の重さ。
石井竜也
17.06.25 10:06
うちの親父もそうでした、死んでいった身内も一人一人が、俺に何かを残し、そして教えてくれました。それこそ、命をかけて・・・。人の死とは、そういうものです。残るものに対して、最重要問題を、ちゃんと、説明し、解読していってくれるものです。だから、一人の命は大きいのです。死があるからこそ生(性)があるわけで、その反対は、実は人間には、許されていないのです。これは生物学者の意見です。でもその生命は、ただただ死に向かって生きていく時間を消費していると勘違いしないでください。いつかは、動かなくなるからこそ、人間は、頑張れる。そこに意味も真意もないのです。そう、ご先祖さんが、神様と、決めてしまった以上、我々はそこからは、何がどうなろうと3000年は、生きれないんです。わかりませんよ、これから科学が、異常に成長して、皮膚や、内臓の一部だけ、10000年、物も喋れず、生きるだけならできるかもしれない。でも、生きるということは、何かをなすことであり、愛情であり、守ることであり、勉強し経験することであり、ただただ、幸せや喜び、楽しさを、探すことでもあるわけです。我々は、学者じゃない。だから、物事の確信だの、宇宙の創世記だのを、細かく知ることは、よほどの勉強好きにしか、わかりません。ましてや、なんだか、胡散臭い、超能力も、大予言も、できないわけですし、今を必死で生きていくのが、人間の原点なのです。「愛」は、不滅だ!だの、『愛』が全てだの、『愛』が永遠だのいったやつ、出てこ〜〜〜〜い!!まあ、俺の歌詞にもあるから、あんまり、追及もできないけど。(笑)この世の正義もまた、千差万別であることは、お隣の国を見ていれば、分かること。理解なんて到底できないものなのです。彼らは彼らなりの考えがあるのでしょう・・・・わからないけど。つまり、何を言いたいか?といえば、命の儚さには、涙していいでしょう。記者会見で泣いてもいいのです。でも、彼女は、精一杯生きた。それを悲劇に考えるのは、失礼であることにも、気が付きましょう。一日泣いて、泣いたら、彼女が何を、私たちに教えてくれたか?を考えましょう。そうやって、人は、死に、生きていくものは、それを、ありがたく、勉強するのです。ご冥福を心よりお祈りしますが、祈る私たちもまた、いつかは死ぬのです。その時に、必ず、何かを、次の人々、もしくは、世代に、教えていくに違いないのです。ご先祖さんは、そういう風に生きれる時間が、このくらいの時間なんではないだろうか?って考えたのかもしれないですよね?・・・・わからないけど。(笑)