救いだったこと
水色のネモフィラ
17.07.20 14:15
ずいぶんと落ち込んでいた思春期の頃に、TVの歌番組でどこかで聴いたことのあるような、どうにも茨城弁じゃない不思議なイントネーションの日本語を笑って話していた石井君に、妙に親近感を持ち、あれだけでも心救われたんだよな。なぜ標準語でなければならないんだろう?
311の震災から2週間もしないうちにすべての流通がストップして、まだ余震がつづく中体育館の駐車場にテントを張って寝泊まりをして、避難勧告に応じることができなかった家屋の一軒一軒を歩いて訪ねて、南相馬の叔母に野菜を届けに来て励ましてくれたのは、九州の青年でした。叔母は独り心細く恐い思いをしていたと思いますので、九州の方には今でも感謝しかありません。
どのようにお返しできるかと、模索することは永遠につづくのだと思います。
