皆さん、いろいろな意見はあるでしょう。
石井竜也
11.04.29 08:34
皆さん、いろいろと私に言いたい事も心にしまって、20%も言えていないのは十分に理解しております「なぜ、もっと早く現地に行って義援金を出さない?」とか「せめて北茨城市くらいには、この中から少しはもって行くべきだ」とか、「子供だけが被害者じゃないんだ」とか「今、ひもじい思いをしている人々に物資という形で支援しないのか?」など、その他にも言いたい事だらけだと、御察しいたします。皆様が、あの日以来被災地への心配と、これからの不安で心が苦しくなるほど、ご心配しておられる事は、いたいほど、よく解ります。僕は、こう考えます。「これは永い支援だ」という事。しかも、ご遺体も復興により、隠れていた方達が続々と見つかっている現在、そういう心情的な事実が一応の収束が出来ない限り、たとえ皆さんの義援金が多くの方に行き渡ったとしても、遺族達の心の救済にはほど遠い金額と、意味になってしまう。「それでも、しないよりましだろう」と言われそうですが、皆さん・・・と、今は普通に暮らしていると思い込んでいる西日本の方々にも、MIND from MIND LIVEの時の皆さんの真剣な顔が僕には忘れられない。このお金は絶対に「形ある使い方」をしたいのです。老人の問題や、風評被害の問題、原発問題に、全ての国民に課せられる増税の重圧、それに伴う雇用問題、低迷する経済の行方。今は普通に生活が出来ていると思い込んでいる西日本にも、半年もしないうちに経済的打撃は容赦なくのし掛かってくるでしょう。そのときに、本当の協力体制は生まれる様に思われます。今でも、東京では、すでに雇用、就職難、放射能への恐怖、地震への異常反応、金融不安、世界からの経済的閉め出し、輸出の異常な低迷、政治不信、日に日に低迷する生活水準、いつ途絶えるか解らない電力、ニュースや情報媒体への不信、数えたらキリがないほどです。これらを全て「がんばれ日本」で、押し切ろうとする無理。これは、とてつもない難題です。・・・こんな俺でも、理解出来うる国家の危機です。こういうときには、ゆっくりと、しかも地盤のしっかりした道を選んで歩かなければなりません。一度、亀裂に入ったら、命はないでしょう。だからこそ、僕はそのタイミングを見極めたい。いたずらに時間を引き延ばしている訳でも、炊き出しが嫌な訳でも、老人問題に興味がない訳でも絶対にありません。でも、人間には出来る事と、出来ない事があるし、また、このくらい大規模な災害には、集中型の支援が一番いいと思うのです。何でもかんでも、支援すれば、折角のお金も薄い皮膜程度で終わるでしょう。いや、皮膜にもならないでしょう。避難生活者が40万人以上とも言われる多くの方々全てに行き渡る支援金・義援金は、どのくらいになると思いますか?賛否両論ある中で、僕なりの答えを出して、皆さんの賛同をお待ちします。