戦時下のくらし
千人針
18.07.20 16:11
昭和12年(1937)の盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに始まった日中戦争以後、同年の防空法や翌年の国家総動員法などによって、「銃後」と呼ばれた一般国民も、さまざまな規制や動員をうけるようになりました。戦局の拡大により、軍需品の生産が優先されると、生活必需品が不足し、同15年の砂糖を手始めに米や衣料などの購入が制限されていきました。また資源の輸入が難しくなると、金属類の供出が行われ、果ては松の根から戦闘機用の油を取ろうとするなど、国をあげて戦争に協力する体制が取られました。
苦労を強いられたのは大人たちだけではありませんでした。昭和16年に国民学校制度が実施され、尋常小学校は国民学校に改められました。働き手である成人男子の多くが兵士として戦地に行ったため、小学生といえども、農作業の手伝いなど多くの労働奉仕が行われました。川越中学校(現川越高校)、川越高等女学校(現川越女子高校)の生徒たちは、軍需工場などへ動員されるなど、戦争も末期になると学校とは名ばかりの状態でした。
