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音楽家、フェルメール・センター銀座 音楽監修

KABE

18.08.02 07:39

久石譲さんの感性
「フェルメールとエッシャーについて」
フェルメールの絵に曲を付けてほしいという依頼をいただいた際に、この人たちは平気な顔をして、なんと無茶なことを言うのだろうと思った。
断言してもいいが、ある絵画作品を見て、それをそのまま音楽にしたという例はない。音楽好きの皆さんは言うかもしれない。ドビュッシーの「海」は北斎の影響を受けているのではないか。あるいは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」はどうか。しかし、それらは絵画がなんらかのきっかけにはなったかも知れないが、作品そのものが創作の出発点になったものではない。
取材のためにオランダを訪ねる機会を与えられ、フェルメールの暮らしたデルフトを訪ね、17世紀の古楽などにも触れた。デン・ハーグやアムステルダムの美術館ではフェルメール作品とも対面した。しかし、正直なところを言えば、完成されたフェルメールの作品そのものからは音楽を見出すことはできなかった。
フェルメール作品の多くは、室内、アトリエなどたいへん狭い、閉じた空間のなかで、ひたすら深度を求めるように構成されている。そうした完結した世界に、ほかのなにかが入り込む余地はない。
デン・ハーグの街で、偶然、同じオランダの版画家エッシャーの美術館を見つけた。エッシャーは以前から好きなアーティストの一人であった。エッシャーの版画作品には独特の空間性と抽象性を持ち合わせている。規則性、法則性なども明確に読みとれ、これはある意味、ミニマルという僕自身の創作スタイルと相通じる。エッシャーの作品をミニマルととらえたとき、音楽が生まれる予感がした。
こうして、エッシャー的な論理性、さらにフェルメール的な感性、この双方から絞り込むことにより、自分の作曲ができるのではないかと思うに至った。
最終的にフェルメールにちなむ6曲、エッシャーにちなむ5曲が完成した。エッシャーは、作品自体が抽象性をおびているので、エッシャーの作品タイトルをそのまま引用した。では、作品を完全に理解したのかと問われても、逆に謎は深まったと言うべきかもしれない。
一方、フェルメールにちなむ楽曲について福岡伸一氏から再三「どの曲が、どの作品なのか?」と質問を受けたが、はぐらかし続けた。フェルメールのようなたいへんシンプルな構成の作品は、タイトルまで付けてしまうと鑑賞者のイメージを限定してしまう。それは僕の望むところではない。
言うまでもなく、音楽家は言葉ではなく、音で表現する者だ。作曲をしている最中は、極端に言えば、時に無意識で作業している。こうした間は、作品の言語化などはとうていできない。作品が完成し、その音がもう一度言語化されるには、一定の時間を要する。今回の作品が自分にとってどういう作品だったのかを知るには、今しばらく時間が必要なのだ。
最後に、今回、弦楽四十奏を基本に編成したことは新しいチャレンジであった。これは作曲家にとって大きなプレッシャーがかかる編成であると同時に、演奏家にとっても技術力、表現力があらわになる、もっとも怖い編成でもある。しかし、こうしてやり終えて、たいへん満足している。本当にピュアな、宇宙にも匹敵するような広い世界を見ることができたと思っている。

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