この頃の気持ち。
石井竜也
11.05.04 00:57
なんか、俺がいつもの俺と違うんだな。3・11からこっち、自分自身の中の何かのアンテナに引っかかってくる不安・・・不吉・・・朦朧としていているくせにやたらと鮮明に心に刺さってくるこの感覚は一体なんなんだろう?大自然が巨大に動くとき、きっと、動物である人間にも、退化したはずの予知能力や、自然と共鳴する何かの力が働くのかもしれないな。ラットが、地震の前に町中から逃げ出したとか、魚群の群れがいつものコースをはずれて、波打ち際に大量に打ち上げられたり、世界中で、異常な気象が続いたり、人の心が荒んで行くのか、あらゆる場所で、不穏な事件が多発したり、または、いつも見慣れている町や人が、恐ろしく、か弱く見えたり・・・皆さんは、こんな気持ちに気がつきましたか?俺は、どうも、ここのところ、嫌な夢ばっかり見ています。すこしでも、この気持ちを打破するため必死で、作品に打ち込むのですが、気がつくと、背中の後ろで何者かの気配を感じて、そのあまりにも大きな身体と妖気に身がすくむ様になりました。顔魂も、作っては壊し作っては壊しの繰り返しで、あんなに早いスピードで作っていた顔魂が、何とも苦しい表情になっています。自然の摂理なのか、時代の巨大な歯車が活発に動き始めているのか、とにかく、おびえる自分がいます。この感覚、どっかで味わった事があるんだけど・・・まるでデジャヴのようで、まったくどこでどんな状況で感じたのかは、解らない。とにかく、素肌の上2ミリくらいのところをを、何か、とてつもなく不吉な奴になでられて行くような感覚。いつもは、夢で満たされる心の中も、まるで、はっきりとしていたイメージがコンピューターグラフィックスのように、曖昧模糊として来てしまって、今の状況なら、「チャイルド・ハウス構想」ももう一回練り直すか、それとも、この山を越えて、続けて行くか非常に迷っています。確かに道は険しいけれど、やる価値はある。それは十分に理解しているけれど、人間の将来という重い責務を抱える事が自分の立ち位置なのか?とも思います。もちろん、はじめから個人で作ろうとなんて思ってもいなかったし、多くの経験を持つ「あしなが育英会」のような経験と信頼を感じる組織と組ませて頂くような事も考えての「構想」だったので、今も、それは変わらないのですが、あのまま、素早く、赤十字にでも預けちまえば、よかったのかも?とかも考えます。・・・いやいや、それが一番いい事だとは思ってもいない自分がいるからこそ、悩むんですがね。今となっては、GROUND ANGELの活動も、自分なりのけじめをはっきりせねば・・・と、自問自答の日々です。まあ、悩まなかった年は考えてみるとなかったんですけどね。人間、あまりにも大きな事件や災害と向き合うと、その巨大さにただただ恐怖してしまうのかもしれませんね。