MIND BBS 〜掲示板〜

京都アニメーションスタジオの悲劇

石井竜也

19.07.20 01:04

もう、「セル画」という言葉も聞こえなくなってしまいましたが、昔はよく、セルロイドのフィルムに、一枚一枚、一秒間に、12枚24枚、35枚というように、手書きで、絵をパラパラ漫画と同じように、フィルムが動いてやっと、どういう動きなのかがわかるという、なんとも、アナログな方法で、一つの作品を作り上げていたんです。気の遠くなるような忍耐も、時間も、人間力も、かかっていたんです。いまでは、かなりの動きが、リアルにCG化されて、コンピューター上で再現できるようになり、時間も手間暇もだいぶ、縮小されました。動きや影、僕らの子ども時代には動かなかった髪の毛まで、風や動きの力学にそって動く、ものすごい進歩。それでも、アニメーションという言葉からくるように、自然宗教から発生した、アニミズム、つまり、生きていない者に命を与えるという意味には、ちゃんと、なってますよね?作家の頭の中だけで縦横無尽に動き回っていた、キャラクター達が、本当に、そこにいるように、自然な動きを、獲得しはじめた、この頃のアニメーション。ヒーロー物ばかりだった、子どもの世界を、どんどん、青年層まで共感を得るような人間ドラマまでこなす時代になったわけです。たった一枚の絵から始まる、アニメーションの存在は、本物の人間がなかなか表現できない表情まで、作りあげる時代になり、少し前なら、「これだったら、役者さんの演技で魅せる、実写の方がいいんじゃない?」という声も聞こえていましたが、今では、その反対になってきています。役者さんの名前もわからない方が、確かに、その主人公始め、登場するキャラクター達だけに、集中できるわけです。この時代を一番反映しているのが、CMです。今では、高いギャラを払って、有名人を起用する企業も少なくなってきました。かえって、名前の売れていない、透明な存在に、企業も気がついたんです。「あの有名人が食べてるから、私も食べる!」の時代は、終わりました。この時代においては、流行という文字はもう通用しなくなったのです。テレビの時代が去り、デジタルの世界では、指向性も、一人のものです。あなたが気に入れば、それでいい。他の意見は聞いても、「へえ・・・」と感じるくらい。これは個人の自由と権利を確実に、変えました。群集・民衆の時代から、個人、趣味の時代に移行した確実な現象が、今のアニメーションの技術を発展させました。しかも、この神道の国、日本で。神世の時代から、日本人たちは、一人で責任を、背負い、首を落とされていきました。意外にも、日本人の血の中には、個人の責任においての自由が、根ざしていたようにも思います。今回亡くなられた、未来と今日を、嘘と誠を、夢と現実を、絵で表弁してきた、アーティストたちに、心をこめて、哀悼の意を捧げます。

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