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必死さと意地を感じるオリンピック開催に

美惠

21.06.30 06:04

オリンピック開催は、努力し続けやっと出場出来る選手の為になんとしてでもならわかります。年齢や体力、能力など時期を伸ばしては可能にならない事もあるので今でなくてはならない選手の方も沢山いらっしゃると思います。ただ、それならばほんの少しの延期、場所へのこだわり、今だからこそな方法は有るはずだと思います。日本の夏が暑くなると読みました。カナダでもすでに47.5度の最高気温を記録しています。日本も遠い国の事とは思えません。年々暑さが増しています。気温、予期せぬ出来事、それに応じて選手の方の体調に応じた変更をもっと柔軟に出来ないものかと思います。続けてきたオリンピック、その概念や趣は変えないまま出来ることは何かあるはずだと思います。
どの断面をとっても今のこの強行と思える姿勢に経済の動きしか見えません。何にも感じるものがないのです。
それほど必死に出来、多額を動かせるならば、普段から貧困や病、生きる為の最低限の保証さえ幾つもの理由をつけられ受けられていない人々の為に遣うことはできないものなのか考えてしまいます。全く別問題の話なのかもしれませんが、思わずにいられません。今日もこの瞬間も倒産しなくてはいけなかったり、今日明日の生活に困る人も、この時期では多数いらっしゃると思います。助けての声がものすごく多い中、オリンピックの本来の目的から尾ひれが付きすぎた祭典と思える催しは、その多数の声はどうやって受け止めたらいいのかわからないと思います。
この開催への熱量を救済の為に注げたら、どれだけの人が救われるのだろうと考えてしまいます。
その為に遣われるなら、オリンピックが開催されずやってくる国民の税金の負担ではなく、とても納得がいく税金の遣われ方だと感じます。
誰の為に開催されるか、誰もはっきりとは言わなくてもわかりやすく誰の為ですと掲げられている事は、隠さず進んでいる事に怒りとも呆れともそんなものを通り越して、今更な事だと思ってしまいます。
きっとそうしてずっと進んで来た事だと思うからです。

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