度重なる自然の猛威。
石井竜也
21.07.23 16:27
現在、中国の映像が報道されているように、全世界各地で、洪水被害が半端ではありません。以前もお話しさせていただきましたが、アフリカでは、再びサバクトビバッタの群生が日に日にその数を増やし、農作物の被害は甚大化しています。ほとんど砂漠であるイエメンでも、大洪水と、雹が降っています。世界中の自然環境が我慢の限界だ!とでも言うように、すでにカタストロフとでもいうべき事態になっております。中国では、すでに相当数のダムが決壊、鉄砲水、土砂災害、人口密集地域での酷すぎる洪水の多発、元来、海の近くでの台風のような気象現象が、内陸地に大被害を巻き起こしているのです。アメリカでは、森林火災と、トルネード(竜巻)が、考えられないほどの大きさに成長し、アメリカ中が恐怖に晒されています。ここ数年の世界の気象変動を思わせる巨大自然災害は、減るどころか、拡大しているようにも感じます。もはや、エルニー二ョ現象を「世界の終わりだ〜!」とか言っていた1990年代がかわいくさえ感じますね。特にこの2年の人災、自然災害、変異速度の速い疫病の世界的蔓延、大群で襲いかかってくるバッタによる壊滅的被害など・・・もはや、聖書の黙示録を彷彿とさせられます。これを人流への神からの警告と捉えればいいのか、はたまた、我々の住んでいる地球や現在の宇宙規模での変化の予兆なのか?それとも、大自然を食い尽くしてきた、人類への人智の力の及ばないところからの、警告なのか?世界中に巻き起こっている災害の映像が、次々と現実とは思えないような現象を映し出し、各種メディアに投稿されています。すでに、ドラマチックなんていう限度を遥かに超えた、異常事態です。胸まで水に浸かってしまった地下鉄の車内の様子や、まるで「おもちゃ」のように流れていく車の群れ、その間で必死に、助けを呼ぶ人々がどんどん、飲み込まれていく様子など、目も当てらない状況です。こんな規模で同時に世界中が次々と破滅的な状況になっていることが、映像を見ても、信じられないのが、本音です。疫病の蔓延は、大体が洪水被害の後に起こると言われており、害虫被害も、同時に巻き起こっている現状は、遠い古代から人類が幾度も見てきた、経験してきたことなのかもしれませんね。覇権を争う二大強国の世界に与える不安は、予想を遥かに超え、いつ第3次世界大戦になってもおかしくない緊迫した状況です。ここに磁場の攻撃があったりしたら、電磁場の破滅をもたらし、スマホから、飛行機、電車はもちろん、軍事的分野まで、一瞬にして、機能麻痺を引き起こすでしょう。おそらく、この後も、気象状態は驚くべき脅威を見せることでしょう。そうなれば、我々の精神にも何らかの異常が発生するのは自然の摂理です。人々の日常が破綻しているこのコロナ騒ぎの渦中で起こる大災害は、全ての人類が乗り越えなければならない関門なのかもしれませんね。デジタル時代の盲点ともいうべき、計算出来得ない事象は、世界一のスーパージュニア・コンピューターでも、計算は無理でしょう。まだ発展途上にある「AI」では、予測しかできません。予知することができるのは、案外、海の生物や動物たちかもしれませんね。ミミズの大量発生や、鯨などの地球磁場を感じながら生きている動物たちの異常行動など、きっと、近い未来に人類は、気がつくのでしょうね、自分たちの行いの愚かさを・・・。体長が約3〜11メートルにもなる、深海魚である「リュウグウノツカイ」が、去年から、日本のあちこちで、見られていたことからも、このような大惨事の予兆を我々に伝えてくれていたのかもしれませんね。資本主義も、共産主義も、独裁政権でも、人間の強欲は止まることを知らないかのように、狂っていきました。社会の秩序や、道徳心の欠如、強いものが弱いものを平気で蹴り落とす勢いの、今の現代社会を地球という生命が見ていたなら、体についたゴミや泥を、洗い流したくもなりますよね。無理矢理に「人生をエンジョイするためにこれを買いましょう!」なんてコマーシャルが今日も、持つ人と持たざる人との、経済格差を広げ、弱者はただ無関心に放置される社会構造は、すでに、人類の終焉を感じますよね。人間とは、人と人の間にあるものを大切にせよ!という先人の教えです。デジタルの世界がこれほど便利になってしまった世界では、自分のうちが流されて行く映像をスマホで撮影している人の絶望的な心までは、及ばなくなってはいませんか?生きるものは必ず死にます。これはどんなに、クローン技術が向上しても、デジタル科学が発達しても、医療現場が進化しても、変わりません。できるなら、せめて健康で一生を終えられれば幸せなんでしょうが、人類の歴史上、家族に看取られて自分のベッドで死んでいく人の方が少ないのではないでしょうか?人生は長いように思われますが、本当は遠い星々の一回の輝きのゆらめきほど、短いのだと思うのです。それなら、せめて一生懸命生き抜いて、死の淵が見えるまでは、健やかに、優しく、みんなを思い、生きていくことを、できないまでも、努力はしていくべきですよね。