人はどうして死ぬのか?
石井竜也
21.09.05 04:07
あくまでもここで言う「死」という概念は、寿命を全うした個体を指し、戦争、病気、事故、天災などで、奇しくも寿命を途中で遮られてしまった場合を除くことにします。さて、何故、哺乳類から植物・動物、昆虫に至るまで、寿命というものが存在するのか?と、考えた事がありますか?我々人間は、ここでは、ある特殊な例として、ちょっと、あとで話しますね。この「死」という概念は、どこから始まったのか?地球ができて、おそらく20億年以上は、なんの生物も生きられない環境が支配していたでしょう。生物とはいえない、生物になる要素がこの世に誕生したのは、だいたい35億年前、地球がある程度、冷えてくる時期ですね。最初の生命を司る養分は、アミノ酸、リンなど、宇宙にもたくさん存在しているものが、元になっていると考えられています。これらが地球に豊富にあるのは、もちろん、隕石などによる地球への衝突が原因です。要するに、命の元になる物質の最初は、宇宙からもたらされたと言っても過言ではないのです。おそらくこれらの、原始的生命の要素は、絶滅と工夫を繰り返しながら、地球に一定の温度が保たれた時に、今の病原菌のような形で、増え続けていったのかもしれません。その時には、地球の環境が著しく変化しない限り、分裂を繰り返し、地球上のあらゆる生存可能な地域で、それぞれの増殖を繰り返していったのでしょう。しかし、ある時、病原菌らしきものたちに、変化が生じていきます。いくつかのとても考えられない奇跡のような出会いで、ウイルスクラスの個体同士が、一つに合体して行くのです。そこに、あらゆる生物の元となる「細胞」が作られるわけです。それらは、ウイルス同様、自分で個体を増やす能力がありました。やがて細胞の増殖により、「生命の形」が形成されていきます。しかしまだ、この段階では、地球の温度が1度上がっただけでも死滅してしまうような脆弱な物体でしかありませんでした。そこで彼らは、剥き出しのDNAより、表皮で包む状態を作り上げます。この表皮のおかげで、細胞は脆弱な存在から、増殖する機能を勝ち取ったのです。おそらくそれからも、この段階では、まだまだ永遠に増殖できるほどの頑強さは持ってはいなかったでしょうから、地球の環境により全消滅と、新たなる細胞の誕生の繰り返しを何億年も戦ったのでしょう。この危険な星で生きるための方法を、違う種類の細胞同士で繋がり、それぞれの得意分野を活かした形になって行くのです。ミドリムシやミジンコのような、植物でも動物でも無いような生命らしき単細胞生物の誕生です。この時期になると、これらの生命は、変化を繰り返し始めます。あるものは、植物として、あるものは魚類の先祖として、そしてあるものは、甲殻類から昆虫に至る道を、環境により進化して行くわけです。しかし、それでも地球環境はまだ、今のような、ある意味安定感のある環境ではなかったでしょう。絶滅しては生き残ったものや、新たに厳しい環境に耐えうる個体が生まれて行くのです。ここからは皆さんある程度、知識のある脊椎動物である魚類など、が、生まれて行くわけです。たまたま脊椎を持った個体は、敵から逃げるという反射神経を持つことになりました。すでにこの時代には、強力な捕食者もたくさんいたのです。そこで我々、哺乳類となるこれらの生物は、「逃げる」と「隠れる」ということを学び始めます。これが「脳」ができる要素になるわけです。捕食者である生物は、「攻める」という概念しか持たないため、捕食する「工夫」をしませんでした。そこからは、目を疑うほどの速さで進化していきます。魚類から陸を目指すもの、水辺の生き物に関しては、そのスピードは加速度的に、早い進化だったと思われます。それらの変化により、恐竜までの進化は始まっていたのです。アミノ酸やリンなどの生命のスープは、今や、弱肉強食の世界を地球上に作り始めていました。さて、この時に、すでに寿命というものは、生物にとっての運命とでも言うべき進化であるとともに、自分たちをより強い個体にして行くための道具として、「劣化」という壁にぶち当たっていたわけです。地球上のあらゆる生き物は劣化することで寿命が決まって行きます。これが「死」の基本原理です。要するに、死ぬという概念は、地球の変動にも耐えられる子孫を確率的に残していく道具として、我々が選んだ、地球という星で生きていくための原理になったのです。ならばなぜ、寿命の長い生物と短い生物とがあるんだ?という問題にぶつかります。これは、より巨大化することで、寿命を長らえる生き物と、小さくて寿命は短いが、子孫を多く残す方法を取っただけのことなのです。ネズミなどの哺乳類は1分間に600〜700回もの脈を打ちますが、巨大な体を有する哺乳類である「象」などの生き物は、1分間に20くらいの脈で生きているのです。シロナガスクジラなどの30メートルを超える生き物は、3回くらいと言われています。この脈の速さで寿命は決まってきますが、生きていく環境により、それらの動物たちは、子孫の数も違っていくのです。小さくて、すばしっこい動物ほど子孫の数は増えますが、反対に、寿命は短いのです。対して大きな動物は、一度に多くの子孫は作れません。これは魚類も哺乳類も昆虫でも同じです。蚊やノミ、ダニなど、小さな昆虫は、途轍もない数の子孫を増やしますが甲虫などの昆虫類は、さほど多くはありません。象の平均寿命は、約60〜70歳です。シロナガスクジラなどは、事故にでも遭わなければ、100歳を超す個体もたくさんいます。その個体の大きさにより寿命は決まると言いましたが、これに反論もあると思います。例えば、犬を見てみると、大型犬では10〜13年、小型犬は長くて12〜15年くらいですよね。もちろん犬種で異なってきますが、小型犬の方が寿命が長いんです。「これは生き物の方程式には合わないでしょう?」という意見もあるでしょうが、実はこれには人間の介入が深く関わっているのです。犬は、今いるほとんどの種類は、人間が、作り出した生き物と言ってもいいでしょう。つまりは、大型犬の直接の先祖であるオオカミは、大型犬とさほど変わらない寿命なのです。さて、それでは人間はどうでしょう。今の人間の寿命は、自然界においては、おそらく40年〜50年は生きることのできない動物のはずなのです。今となっては、一家族に一人か二人という子孫の数です。頭脳の発達した生物の場合は、生きるための食べ物や、バランスを重視していきます。今ある薬のほとんどは、不自然に長生きさせるための薬やビタミン剤などがほとんどです。医療知識を、あらゆる残酷な方法で、勝ち取った人類は、自分たちの生きるべき時間を長くした分、楽しいこともあるでしょうが、かなりの苦しみに耐えていかなければならなくなったのです。そこに発生したのが「欲望」です。人間に欲望ができたのはネアンデルタール人の時からであると、考えられてますが、クロマニヨン人などの頃には、すでに縄張りというより領地の概念が、あったのではないか?と言われているほどです。4万年ほど前にすでに、人間は欲・得の世界で戦っていたのです。これまでの世界大戦や、宗教戦争、資本戦争など、全ての根源は、4万年前から行われていたと言ってもいいでしょう。これは全て、頭脳の発達による、情緒観念、所有欲の表れです。つまり、今の人間は、寿命を延ばすために生きていると言っても過言では無いのです。しかし、寿命をもし300年に延ばすなら、この佇まいでは無理です。細胞も、体内機能も、このままでは、せいぜい、100年がいいところです。300年の寿命が欲しいのなら、体の細胞そのものを変えなければなりません。そうなれば、今の私たちの作り上げた「美」の世界は、完全に変わらなくてはならないでしょう。「死」は自然現象であり、人間が生きていく上で、とてつもなく大切な現象なのです。