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「死」とは、一体なんだろう? その2

石井竜也

21.09.06 12:01

この2億年で、地球上の生物が絶滅したのは、少なくとも2回。全く存在しなくなってしまったという意味です。それでも、生命の誕生は続いていきます。その要因は数多くあるが、いまだにこの完全絶滅の確かな学術的結論は出てはいません。恐竜の時代である白亜紀やジュラ紀を合わせても、1億年に満たない生存期間ですね。この時期の哺乳動物の価値は、単なる餌に過ぎませんでした。ゲシ類的な存在で、岩場の陰、古代のジャングルに逃げ惑う小動物程度の存在でした。それが人間になるまでの進化には、あらゆる特別な身体機能が関係しています。まずは、環境に順応しやすい機能を持ち合わせていたこと、そして子孫を増やすための機能が高かったことに起因します。同じ種類の哺乳類でも、違う種類との交配で、新しいタイプを作り出す事が功を奏して、哺乳類の身体的能力は、どんどんと発展していきます。海の中で単純な脊椎動物であった頃から、脳を持つことにより、身の危険を察知する能力を得た一部の魚類は、両生類、爬虫類と枝葉を伸ばして、水中での生活を離れて地上での生活ができていくときに、初めてオスとメスによる交配により、子孫を残す方法を選ばざるを得なかったのです。これには、永遠に自分の血統を残し続けられるという、一番重要な生命の維持がかかっていたのです。この方法により、多くの新種の哺乳類が現れていきます。今のチンパンジーのような人類に近い類人猿がこの世に産まれたのが5万年前と言いますから、地球の46億年の時間に比べたら、数秒間くらいの時間でしょう。この類人猿たちは、アフリカを起源としていますが、元来ジャングルの中で身を潜められたこれらの類人猿に、緩やかでしかも激しい変化が現れ出したのです。アフリカの台地が二つの異なった環境を作ることで、その変化は起こりました。アフリカ中央部に位置する大陸プレートにより、押されながら隆起することで、この大陸を真っ二つの異なる自然環境にしていったのです。南側は、今までと同じ高温多湿のジャングル、そして、北部はサバンナという、どこにも隠れられない丘陵地帯に変化していくのです。彼らは遠くを監視しながら生きることを強いられます。背骨を伸ばして、立つことを日常としていくうちに、二足歩行を覚えます。そのことが今の我々の持つ「脳を大きくする要因」になったのです。立つことで2本の手が自由に使うことができるようになりました。このことが脳の発達に革命的な発達を促すこととなったのです。つまりは猿の脳みそが大きくなって人間に進化したという説は、今ではあり得ないこととなっているのです。しかしこれらの類人猿だけが進化したわけではありません。他の捕食者も、鋭い牙や強力な力をつけていくという凄まじい進化をしていた関係上、類人猿たちはこれらの肉食動物からは逃げられなかったでしょう。彼らは、洞窟や高い山などに住居を作り、「群」としての生き方を作り出します。これが村や街の始まりでもあります。そして、その中でも家族という概念が生まれていくのです。この時代からオスとメスの役割分担が決まってきます。生きていくには食べ物を調達しなければなりません。家族を守るということは、豊富なタンパク質が必要になったのです。それには、オスたちが共同で「群」を利用して草食動物をとらなければなりません。ここから「狩り」という仕事が生まれるのです。2本の手がここで役立ちます。彼らは肉弾戦の限界に、どこかで気がついたのでしょう。石器を使い始めるわけです。この瞬間から、天才的なアイデアが出始めるのです。人類の祖先は火を手に入れることに成功します。そこから、狩りをしたり、ものを保存するための土器などが考案されていきます。この時期から、隣同士の群から自分達の縄張りを守るという新たな概念も、生まれていきます。これが戦争の始まりです。その様相はその激しさを帯び、威嚇や残酷な殺し方、相手より強いというパフォーマンスにまで発展していきます。この時の人類は今の人類より、はるかに脳を使っていたと最近の学術調査からも出てきているほどです。ここで、相手には悟られないための「印」が必要不可欠になっていきます。つまり、「合図」です。これが言葉を作る要因になります。この時期の人類の寿命は、30年弱とされていますが、僕はそうは思わないのです。おそらくこの寿命にはあらゆる要因が重なっては来ると思いますが、より群を率いる能力に長けた「部族長」や、あらゆることを目にしてきた「長老」などの、ご意見番的な奴がいたはずです。このような奴らからは、おそらく季節を当てたり、雨が降る匂いを嗅ぎ付けるといった、特技を持つものも現れたでしょう。これが宗教の始まりだと思うのです。この複雑化していく人間関係は、仲間同士の諍いをやめさせたり、善悪もあったことでしょう。それが、生きていくための「法律」の始まりだったのではないか?と思うのです。人類は単なる力任せの生き方に、「秩序」を導入することで、暴虐無尽な強い個体を押さえつける術を持ち、より、優秀なリーダーを選ぶ必要が出てきて、これは原始の「政治体系」になって行ったのでしょう。人間たちは、いつしか、移動をすることが必要だと悟ります。それは、気の合う群同士が一つになり、より大きなコミューンを作り、天才的な子孫も増やすことを経験により、学んで行ったと思われます。おそらくここまでは「死」という概念は、さほど大きなことではなかったと推測します。しかし、違う群との合体は、新しいDNAを進化させる要因にもなり「仲間」という概念もできて行ったでしょう。これは「愛情」になりうる現象です。死ぬことに無頓着だった人類は、初めて、悲しさを知るわけです。「愛」の出現が、「死」の概念をも変えていったと推測されます。この時から、「死」という概念は発展し、悲しむという感情にまで行きつきます。おそらく歌はそこから始まったと僕は思うのです。「誕生」や「争いを食い止めるための平和的な歌」というのは、「合図」や「悲しみ」よりも、深くはありません。人類はインパクトのあることから学んで行ったと僕は仮定しています。確かに、愛する人が、または友人が殺されれば、その怒りは、半端なものではなかったでしょう。ましてや子供を殺されるということになれば、その怒りと感情は、愛を知ったが故に、激情に駆られたことでしょう。怒りに満ちた心に歌は生まれません。その表現は遠吠えのようなことの方が表現しやすかったでしょう。「死」という概念が浸透する頃には、愛する人への感情や情緒、感性が働きます。「歌」は「愛する人との永遠の別れ」を意識してから、絶対的に必要な表現だったのではないか?と、僕は思います。大切な人を亡くすことで、生きている喜びを感じ、感性が磨かれていったのではないか?と思うのです。「歌」誕生は、人類の発明の中で一番、重要な行為になって行ったのではないか?と信じています。

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