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「季節」に代表される日本人の「節度」という美学。

石井竜也

22.01.10 16:15

四季という言葉ほど、日本人の精神性を代表する言葉はないですよね。春・夏・秋・冬・・・でも、これは、あくまでも、どの季節においても毎年のように自然界の法則は、変わっていくということを念頭には入れていません。ここからここまでは冬とか、ここからここまでは夏と言った具合に、あくまでも日本人の体感温度や日差しの勢いなどを考慮して無理やり決めた、所謂「季語」な訳です。季節は、そんなにキッカリと、4つに分けられるはずもなく、全ての季節にはグラデーションな部分が存在するし、だんだんと夏になるということです。代表的なのは、四季の中に「梅雨」が入っていないことです。日本人気質の中に、このだんだんと季節が移り変わるという概念を、定着させる寛容さや、いい加減さは、あまり潔く感じなかったのが原因なんじゃないかな?と思うのです。六十歳を「還暦」と呼んだりね。年齢も、どの国も、違う考え方があるわけですから、何歳だから、青春じゃないとは言い切れないというのが、俺の考え方です。しかも「青春の謳歌」なんて、いくら決めても、決まるもんじゃ、ないんじゃないですかね?要するに、これからの人間の青春の概念や、幼いという大人には不十分な人格、大人とか子供とかの概念は、どんどん変わっていくのだろうな?ということです。「節度」を重んじる国民性から、個人の発育や経験値などを考慮せず、二十歳になったら、みんな大人という考え方自体、これからは無くなるかもしれませんね。だって、俺の友達でも、十七歳で親を亡くし、牛乳配達して高校に通ってたやつとか、めちゃくちゃ大人だったですもん。だから、大人か子供かなんて、年齢では決められませんよね。だって、こんなの、日本の士農工商制度でも、言えることだったと思いますよ。商売をしていた家庭でも、貧乏だった人たちもいるし、めっちゃ大富豪のいわゆる「豪商」と言われる、侍さえも、金で脅せる人たちもいたわけですから、それこそ、4つしかない身分制度なんて、なんの意味もなかったんでしょうね?「越後屋の、お主もワルよのう・・・がははは」とか、いい例ですよね。笑。人間世界の矛盾があまりにも、複雑怪奇になってきてからの、社会構造上の必要性に気がついたのでしょうね、昔の人たちも。そのために政治というカテゴリーが生まれるわけですよね?でも、それさえも、悪い方に利用する奴らが出てくる。「利権」や「権力」の間で、一般と呼ばれる人々は、搾取されるだけの、日々を送っていたことでしょう。何故、日本には、未だにとんでもなく過激なお祭りが、あるのか?あれは、我慢の限界点を作らせないための、政治的思惑があったのではないか?と思うのです。まあ、こんな考え方は、「なんとか一揆」とかを助長させないように仕組まれた支配階級の奴らの思惑とも、合致しているんですよね。「お祭り」「政・まつりごと」どちらも「マツリ」という神道の言葉が組み込まれているのも、頷けますよね。商人階級にも、これは言えることですよね。「大安売り」とか「大還元祭」とか「売り叩く」とか「叩き売り」とか、とにかくいつもより、得した気分にさせるために、要するに売れ残ったものを、腐らせないように「安く売っちまえ!」ってことですよね?買った方も、何か大変な得した気分になったりしてさ。要するに、「節度」というのは、こういう、非人道的なことになりやすいあらゆることを律するために、日本人が自分達に課した「法律」だったのかもしれません。コロナ禍の中での成人式は、本当に可哀想になるような風景でした。まあ、相変わらず暴走族の連中みたいな輩も未だにいますけどね。あれを見て、この国がいい方向に行くのか不安になる大人もいっぱいると思いますが、人間、いつかは思い知らされ、反省し、大きくなるもんですよ。捕まって塀の中に入って、徹底的に打ちのめされて、出てきた時には、別人のようになって、青年育成の現場に入っていく!なんて人も、多いでしょ?そう考えると、人の可能性は「良い・悪い」だけじゃ判断できないとも言えるわけですよね。でも、自分の立ち位置や、人格形成をいち早く気がついて作っていった人たちもいたわけですから、結局「人間は年齢だけじゃない」ってことです。

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