先入観に囚われないための「自衛」
お茶緑
22.05.06 04:37
「自衛しなさい」が昨今何かと叫ばれる世の中ですが、これは常に自分の身の潔白を証明し続けなさい、と同じ意味になりつつあるような気がしています。謎の基準により少しでも悪いと判定されると匿名の場で容赦ない吊し上げが待っています。
大勢で群れるほど辛抱が効かない生き物になってしまうのかなぁと思います。
必ずしもいつもそうなるわけではありませんが…
世界でも、日常でも、集団の中で揉め事や凶悪犯罪などの攻撃に巻き込まれた場合や、多数派に属している、いない、○○(お金でも権力でもブランド品でも何でも当てはまると思います)を持っている、いない。○○の生まれである、さらに究極を言えば自分と違うからなどの理由(後付けでいくらでも述べたてられる)に基づいて、お節介にも個人を勝手なその人の基準で「弱者」認定してくる人はどこにでも存在しますよね…
完璧な人間など存在しないのと同時に、序列をつけていい人間など存在しません。
海や領土に線を引いて取り合うことよりも人と人との間に侵してはいけない聖域があること、人々の心や身体、文化は聖域である、つまり基本単位は自分一人、それ自身であってそれ以上も以下もない。沢山の人と過ごしていても、何人の友達が居ても、逆に1人であっても自分という存在の大きさは変わらないよ。ということを脈々と伝えていく必要があるのでは無いかな…と思います。
凶悪な犯罪の被害や侵攻を受けてしまった人が
「でも、貴方も自衛しなかったのが悪いんじゃない?」「拒否しなかったんだから自己責任なんじゃない?」「多数派に逆らったんだから仕方ないんじゃない?」
逆に「○○の人は間違いを犯したから生きる価値がない!」
これでは生きづらくもなると思います。
あらゆるものをジャッジして所有物のように分類するのではなく、自分とそれ以外、で余裕を持って考えることの出来る人になりたいなぁと思います。