MIND BBS 〜掲示板〜

戦争という名の偽善と矛盾

石井竜也

23.07.01 05:08

どこかの国がどこかの国を侵略する時には、地政学とそれまでの歴史認識のずれがあることは、確かなことであると思う。しかしこのくらいのことなら、お互いの腹を割って話し合いで済ませることもできるか?とも思う。ここに、欲望が入ってくると、ことは重大な問題になってくる。背丈が小さいから、その選手は弱いとは、少なくとも合気道の世界ではあり得ない。体が大きくて筋肉ムキムキだから強い!というのは、過去の話になってしまった。筋肉をつけたり、刺青を彫ったり、スキンヘッドにするのは、自分の弱さを隠そうとする「鎧」に近い。今のロシアがそうだ。かなり古い戦略と、時代感覚を麻痺した考え方で、小さな国だから、負けるに違いないと決めるのは、大きな間違いなのである。巨大な国土の国の脆弱な部分は、弱みが見えた瞬間に、それまで子分として見て居た国々が、一斉に、巨大国家の弱い部分に一斉に噛みつき始まることだ。体は小さいが、軍隊アリの大群は、2時間で人の体を、粉状にしてしまう。10cmのピラニアは、数分で川に落ちた観光客を、数十分で骨だけにしてしまうので、自然界を見ていると、いかに、集団の攻撃が「ものすごいか」が理解できる。戦争とは、結局、体の大きさではないのだ。どう、戦略を練りに練って計画をし、思い当たる向こうの出方を想像し、その対応策までを考えることに尽きるのである。プリゴジンの叛逆も、アゼルバイジャンのロシアからの脱退も、結局は、ロシアのアキレス腱を見たからに他ならない。反対にウクライナの、自国への執着と深い愛情が武器ではなく、国を守るということで一つになり、侵略から自国を守る勇気に、世界は、応援せずにいられなくなるのだ。人が一人、死ぬということは、この世の中の可能性が一つなくなるということが理解できるのだ。この戦争の行き先がどこに向かって行くのか?は、いまだにわからないけれど、どんな勝負でも、自分の体を見せつけたり、脅し文句や武装兵器を見せびらかしても、時代の優れたテクノロジーの前には、無意味なのである。人数でもないということだ。優れた、采配ができる参謀長のいる国には、武器の数や人数はいらないのだ。確かに、その規模に圧倒されてしまう時もあるだろう。でも、人間の生きて行く力を、愛する者を守る力を、甘く見てはいけない。人間は、自尊心や国の持つ歴史への自信に裏づけされているものだ。その自信は、1年・2年で、できるモノではないのだ。あまりにも大きな国になってしまった国家では、国の端々までその歴史的素晴らしさは、伝わらない。それは民族という誇りがある以上、絶対に、取り上げることができないからである。

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