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震災遺構〜仙台市立荒浜小学校〜

リリィ

23.11.04 22:18

2021年「OH! ISHII LIVE」の配信で『朝日につづく道』を聴いて、心の奥底に封印していた記憶が甦り、
2022年「EARTH MIND」での『ヒハマタノボル』から向き合う勇気をいただき、
ようやく、足を運ぶことができました。
仙台市荒浜地区に行ってきました。

田んぼの真ん中をすーっと走っていた県道10号線は、山脈のような盛土の上に造成され、立派な道路に変身していました。
私が知っている荒浜はそこにはありませんでした。荒浜地区が集団移転していることは存じておりましたが、小学校を除いては何一つ残ってはいませんでした。
私が、朝日を見るために通っていた砂利道にも、アクセスできませんでした。
石巻や他の地区もそうですが、
“キレイ”すぎる景色が、震災を物語っているように感じてしまいます。
「そこには、何があったんだろう、、、」

さて、校舎の中に入って、ある教室の黒板を見た時です。連絡用の黒板に3月14日の連絡が書いてありました。あの日のままです。
いつも通りの明日が来ることを信じて疑わないことを象徴する、その黒板を見た時に、涙が止まらなくなってしまいました。
荒浜小学校の屋上では、自衛隊のヘリに子どもたちを乗せて、近くの霞目駐屯地にピストン輸送を行ったそうです。ヘリが来たら、すぐに乗せてもらえるように、子どもたちは屋上へと続く階段に座って夜を明かしたそうです。圧倒的な海水の勢いから逃げて、階段の踊り場で、いつ来るか分からないヘリコプターを待ち続ける。家族の安否も分からないままで、朝まで。寒くて、怖くて、暗くて、、、どんなに心細かったか、、、親御さんの方も、自身の子どもが生きているかどうか分からないままで、朝を迎えて、、、もう言葉になりません。

屋上に上がると、海が見えました。
あの日、目の前の堤防を越えて、全てを飲み込んで行った海は、夏の太陽に照らされてキラキラ輝いていました。
私が知っている、朝日がキラキラする姿は見られませんでしたが、新しい荒浜の姿を目に焼き付けて帰ってきました。

津波だけでなく、最近は、線状降水帯が至る所で発生し、水害が絶えません。
今年は、関東大震災から100年だそうで、横浜でもあちこちで防災のイベントが行われていました。防災の意識を忘れることなく生活したいと、改めて思います。
都市災害において、一番のリスク要素は「人」だそうです。集団心理が働いたり、普段は取らないような行動を取ってしまったり、要因は色々とあるそうですが、「人」が最も危険なんだそうです。
石井さんがよく仰られる危機を察知し判断を下すための“感性”というお言葉。
自分の身は自分で守れるように、子どもたちにも伝えていきたいです。

荒浜小学校には、地震発生から10分足らずで、津波の第1波が到達しました。地震発生から5分程で、上空のヘリから「津波が来る」とアナウンスが聞こえたそうです。その5分の間に、小学校に避難できた方は助かりました。たった5分です。
荒浜がどのように被害にあい、その後どのように復興していったのか、映像を見ながら、小1の娘がボソッと「津波は高いところに逃げるしかないんだね」と呟きました。
その言葉の重みが忘れられません。

石井さんの歌がきっかけで、自分の震災の傷に向き合うことができました。
私自身は、自分が被災したわけでもなく、親族も亡くなってはいません。
それでも、思い出の場所がなくなるという喪失感は、今まで経験したことがないほど大きいもので、ずっと心に蓋をしてここまで過ごしてきました。
今回、震災遺構に伺えたことは、私にとってはかけがえのない一歩です。
このような機会に巡り会えたことに、心から感謝申し上げます。
そして、震災で亡くなられた方々に、衷心より哀悼の意を捧げます。

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