錯覚と言う名の洗脳。
石井竜也
11.05.13 23:18
みんなが手探りで自分なりの支援を考えて行く中で、統率する側の意見が、少数派を押さえて、かき消されてしまう無情。80歳のおばあさんが、「私がなぜ生きて、若者が死んだのか?」と死を決意してしまうような状況が未だ続く東北。家族の安否を通り越してあきらめ始めた人々の憤りをどこにもぶつけられずにいる限界。プライバシーもなく、物資もままならない地区がまだまだ沢山あると聞きました。この物があふれる日本で、一本の「ろうそく」を少しずつ使って、一日でも永く使おうと考える現実がある。家族を捜し歩いて、相当のご遺体を見る事で、精神的にも、肉体的にもボロボロになっていく心。がれきの山は未だ、津波の爪痕を残し、まるで、原爆投下直後の広島や、長崎、東京大空襲のあとの焼け野原のような風景。俺たちが、モノクロでしか体験していなかった風景が未だに、広がるカタストロフの世界。これが同じ国の風景か?!と膝を崩すボランティアの方も沢山いらっしゃると聞きます。がれきの撤去が進まない理由は、ご想像ください。未だにあのがれきの下には2万人に近い人が埋もれている事を・・・。重機でガチャガチャ、さっさと撤去なんて出来ないでしょう。誰も言わないけれど、みんなが感じている事態がまさに今起こっているんですね。避難所や、被災地全体の子供達の精神状態が気がかりです。周りの大人の荒んで行く様子を見ている子供達の心には何が映ると思いますか?不安な顔を見せまいと、涙を必死でこらえていたとしても限界はあります。海で生きて来た男達は船をなくし、農地を耕していた男達は農地を塩に荒らされ、家族を何より、大切にしていた父親を亡くし、愛情一杯で、見守ってくれた母を亡くし、自分と引き換えでも、よみがえってほしいと切実に思う子をなくした親の気持ちは、到底、計り知る事は出来ません。いくら何でも、こんなこと・・・なぜ神様は?と天を恨んでしまう気持ちも解ります。いろいろな国で、これと同じ、痛みを今も叫んでいる人々がそれこそ星の数だけいるのか・・・と、ますます落ち込んでしまいますね。だから、ゆっくりと立ち上がりましょう。我々の世代がやらなければならない使命は、この教訓を未来の人たちに伝え、教えて行く事かもしれませんね。この日本に、せめて未来があってほしいと、願っております。