「希望」という「絆」。
石井竜也
11.07.24 04:17
逃げられない現実は現実として、受け止めなければならない事もあります。しかし、この状況の厳しさを、全国が共通認識を持っているとは、言えません。例えば、福島の今の状況は、第2次世界大戦の終戦時を超えるような絶望感と、喪失感、そして、どこに向かっていけば良いのかサッパリ解らない政府の対応。3・11で既に解っていた、スピーディによる調査報告があるにもかかわらず、即座に発表しなかった総理大臣。相馬市の小学校の子供達は、雪の中、福島原発の第3原子炉のの小さな立ち上がる、煙を見ていたそうです。この小学校では、700人以上が被曝してしまったそうです。ちなみにスピーディとは衛星から即時にかなりの精度で、放射性物質の飛散分布図を表す機械の事ですが、4号炉が水素爆発した3・15では、相当の飛散が広がった模様です。そして僕が一番「この国の中心人物が愚か」であると思ったのは、そのスピーディによって、ホット・スポット、またはこれから風や、雨等、自然条件も加味した上で色分けしてある放射能分布図は、既に、爆発の8時間前に作成されていて、これを、発表していれば、相馬市の700人以上の子供達の被爆は、免れていたんです。これは、ふるさとを奪われ、復興も全く希望が持てない厳しい現在、あまりにもずさんな原発の補修状況、俺たち大人は、どうやって、この子供達を守ったら良いのだろうかと、悩みます。・・・「絆」と「希望」を感じられないでいる被害者の皆さんには、他の県民と比べると、また違った絶望感があるのです。これは茨城でも同じで、自然まで汚染され、何の変化も見えない緑の山々も全てに、セシウムや放射能で汚染されているなんて思えない風景の中で、どういう生き方をしたら良いのでしょう?だけど、必ず人間は、(日本人)は、強く生きてきた訳です。これから想像以上の過酷な現実の険しい道を歩かなくてはならない事は、はっきりしている。今、復興とか言っている政策は、全く「絆」を感じない冷たい物ですね。せめて僕たちは、一人一人でも、絆を作っていき、出来るだけのこの時代においての出来うる限りの「希望」をせめて子供達に感じさせてあげたい・・・という事が我々の想いだと思います。