この時期に思う事。
石井竜也
11.08.10 01:51
人間の業なのでしょうか?この数千年、どれだけの人間が、無惨に殺されていった事でしょう。戦争と平和というと、第2次世界大戦から、イラク戦争までの映像に残っている戦争だけを思い浮かべる事が多いですが、人間の歴史は、いつ頃から殺し合う争いをしてきたのでしょう。また、戦争のたびに、むなしさと反省は必ずあったと、思うのですが・・・人間の争いのDNAは、今になっても、進化しない。それどころか、恐怖と、防御の境界線も忘れ、いつの間にか戦争に発展していく現在の戦争。戦いの原因にはそれぞれあるのでしょうが、結局、人間の欲望の最果てにある空虚な、無意味な、あまりにも愚かな殺し合いをしてきたのです。国境や宗教、原油や金鉱、・・・俺は、戦争の原因には大きな二つの要因があると思う。まず一つ目は、「言語や真意を理解できずに、あるいは文化形態の違いに優劣をつけたりする、差別」もう1つは「急速に発展した一部の富裕層のさらなる発展のため」つまり、戦争は、人間の欲望なくしては語れないのではないでしょうか?恨み、憎しみ、誤解、洗脳、ねつ造、・・・そして、「衝動」という理由もある事をお忘れなく。これは、人間のDNAに組み込まれた悲劇の本能なのでしょうか?それとも、考え過ぎでしょうか?平和を維持する事自体に、その方法論を巡って争う、国同士や政治の世界を見ていると、本能の中にすでに、「戦争」は、悲しいかな、あるべくして起こってきた人類の運命なのかもしれないとも思ってしまう事があります。絶対に言えるのは「戦う事の単純さ」と「平和という形のない雰囲気を維持していくには、人間の業との戦いが必要になる」という事。広島、長崎、そして今も、アジアの巨大な国が、横暴な虐殺を繰り返している事を絶対に私たちは許してはいけないし、目を背けてもいけない。それは神(人間の最低限度のマナー)に逆らう事になるからです。